魚をさばく! 描く!

五島を代表する料理屋さんの一つ「いけす割烹・心誠(しんせい)」のご主人、佐野誠さんは魚料理のプロ。

でも、実はこんな素敵な一面も持っています。

幼い頃から油絵を描きたかったという佐野さんは、長年の念願叶って昨年の秋に五島市内の油絵教室(実は私の教室です)で油絵を始めました。

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五島の教会群

長崎の教会群が世界遺産になるのを祈念して、五島の隠れた教会をご紹介します。

福江港から車に乗って,五島を代表する教会(なぜかは知らねど候補から漏れてしまった)のひとつ、堂崎教会方向へ走ります。やがて右手奥に堂崎教会が見えて来ます。そしてその付近の左手に見える赤い橋を渡ります。

戸岐大橋と言います。ここは橋を渡った戸岐の波止場です。こういう石の階段を昔はガンギ段と言ってました。ガンギの意味はわかりません。海がきれいなのはわかります。

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絶品!丸カンボコ

これって壱岐や対馬にもあるんでしょうか。 五島では「丸カンボコ」と言っていますが正式には「巻き蒲鉾」なんですね。正式名称(大げさな!)は今日初めて知りました。

昔は漁師さんの家ではほとんど手作りで作っていました。 昆布が入っていないタイプや色がついていないタイプ、いろいろあるんですが私的には、色粉できれいなピンク色プラス昆布入りの、このタイプが一番のお気に入りです。

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海(水)の細道

細道探訪は絶対に歩かないと駄目です。車に乗っているとアッと思ったときには、もう通り過ぎた風景になってしまいます。

歩けばホラ、こんな素晴らしい瞬間に出会えます。

冬の陽だまり。祝福してるのは特に私じゃないんでしょうけど、少し得した気分でした。

 

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五島は空海ストーリーの宝庫です

空海。言わずと知れた真言宗の開祖です。諡(おくりな)は弘法大師。司馬遼太郎の「空海の風景」にも当時の福江島の克明な説明が書かれています。

空海が「死ヲ冒カシテ海ニ入ル」とまで覚悟を決めて、唐へ向けて出帆したときの感動の言葉「本涯ヲ辞ス」(辞本涯)の像は三井楽町柏の崎に立っています。

嵐に見舞われるなど、苦難の末に帰朝した空海は、上陸した浜に建つ大宝寺で本邦初となる真言密教の講筵(こうえん)を行いました。以来、大宝寺は西の高野山としてあがめられています。このお寺については機会をみてレポートしますね。

今回はその空海がらみで、空海が名づけをした五島家の祈願寺「明星院」のレポートです。

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ジャムを作りました

我が家の裏に小ぶりの森らしきものがあって、そこに割りと大きめの栗の木が3本あります。

その栗の木をうまく利用してツリーハウスを作ろうと思い立って、ミニジャングル状態になっていたのを(言葉通りに)切り開いたら、なんと色んな果実の木が出てきてびっくりしました。

これが、とっかかったばかりのツリーハウスでその奥がかってのミニジャングルです。

 

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限界集落という言葉

インターネットで「限界集落」の定義を調べてみました。

過疎化・高齢化が進展していく中で、経済的・社会的な共同生活の維持が難しくなり、社会単位としての存続が危ぶまれている集落。中山間地域山村地域、離島などの社会経済的条件に恵まれない地域に集中している。大野晃・高知大学名誉教授が最初に使い始めた概念だ。

へー、そーなんだ。

離島に暮らしている私としてはすごく嫌にしか聞こえない言葉です。否定的なニュアンスしか感じないのは私だけかな? 私は(とても)シアワセなんですけど。

でも、これってあくまでも学者とか行政とかの机上の数字だけ目線のような気がして仕方ないんですけど。 そこで暮らしている人たちの気持ちを考えてはいない気がします。そもそも「社会経済的条件」ってなによ。便利さが一番だよ。不便で可哀そうだね。ってなんとも上から目線じゃないですかー。

ずっと、その土地で暮らしてる人たちの全てが快適さや便利さを求めていると思ったら大きな間違いだと思います。優しくて懐かしくてほろ苦い記憶が染み付いている生まれ育った土地、空や空気、さらに臭いなどは、他人がはじき出す数字では絶対にわからない財産です。

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