軍艦島物語⑮ 〜向こう三軒両隣〜

 石炭産業華やかなりし頃、長崎県内の炭鉱で働く人たちは何処も皆、仲良く暮らしていました。特に軍艦島は「一島一家」と表されるほど、島民同士の結束の強さには定評がありました。

 就寝する時でも家の戸に鍵をかける習慣は有りませんでしたが、泥棒に入られたという話はあまり聞きません。

 いつもとは違う、珍しい料理を作ったり、多めに作り過ぎた時などは、近所にお裾分けすることも当たり前のことだったようです。

 共同風呂では、幼い子どもを連れた母親が入ってくると、誰からともなく子どもを預かり、洗ってやっていたものだとか。中には、子育て中に一度も自分の子どもを風呂に入れたことがないという母親もいたそうです。しかしその母親も、自分の子育てが一段落すると、誰に言われるわけではなく、自然に他家の小さい子どもを湯にいれたり、身体を洗ってやったりするようになったと言います。

 当時の軍艦島の島民たちは、嬉しいことも悲しいことも全てを共有し、島民全体が1つの家族である、という意識の元で、仲良く助け合って暮らしていたと言う事です。

photo:2015©P3Labo

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