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要塞としての対馬 芋崎砲台跡

朝鮮半島に近く東シナ海から日本海へ抜ける海峡に位置する対馬は、古代防人の時代から現在に至るまで国防上重要な役割を果たしています。新年最初のパワースポット特集はいつもとは趣向を変え、明治から昭和にかけ島内に30以上作られた砲台の中から芋崎砲台をご紹介いたします。

 

1861年ロシア軍艦ポサドニック号が対馬中央部の浅茅湾(あそうわん)に現れ投錨。芋崎に上陸し宿舎や井戸を掘り半年間占拠しました。対馬藩や幕府は対応に苦慮しイギリスの干渉でやっと退去する事件がありました。
このような事から明治になりロシアやイギリスの脅威を感じた政府は、国防の最前線である対馬を要塞化することを図りました。まずは浅茅湾防備のために四つの砲台を築きましたが、その中のひとつがここ芋崎砲台です。

 

こうして大日本帝国陸軍により1887年に着工し1888年に竣工した芋崎砲台。
これは東京湾に次いで日本で二番目に出来た砲台でした。
私はこちらを訪れるのが初めてで、よくわからないまま案内看板から荒れた軍道を歩くこと40分。やっとたどりついた砲台跡は想像していた以上に規模が大きく立派なものでした。

まるで映画のセットのような景観に時間を忘れてあちこち見て周ったのですが、堅牢で丁寧な仕事ぶりに今から120年以上も前にこのような建造物を造った方々のパワーをひしひしと感じました。

砲台跡で見つけた古いビン。何が入っていたのでしょうか?

(砲台跡の写真は雰囲気を出すため色の加工を行っています)

名称:芋崎砲台跡
場所:長崎県対馬市美津島町
アクセス:厳原港から国道382号線を北上、美津島町の十八銀行を左折し県道24号線を進む。
竹敷方面へ右折し昼ヶ浦方面へと進むと案内看板が左に見える。(ここまで車で25分)
案内看板から軍道を徒歩で30分から40分。


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