山幸彦、海幸彦伝説発祥の地 和多都美神社


みなさんは、山幸彦、海幸彦の神話をご存知ですか?ここ、対馬の和多都美(わたつみ)神社は、豊玉姫(とよたまひめ)を祭り、山幸彦が失った釣り針を求めたどり着き、豊玉姫を妃としたと伝承される海宮の古跡です。

神社の説明文によると、神代の昔、豊玉彦尊(とよたまひこのみこと)が当地に宮殿を造り、宮を海宮(わたづみのみや)と名付け、その宮殿の大きさは高さ一町五反余り、広さ八町四方もあった。

豊玉姫は豊玉彦尊の娘で、ある時、彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと、山幸彦)が失った釣り針を探して上国よりたどり着き、この宮に滞在すること三年、豊玉姫を娶り妻とした。山幸彦、海幸彦の伝説は、当地から生まれたものである。とあります。

今回はそんな神話の里、豊玉にある和多都美神社で8月29日に行われた古式大祭の様子をレポートいたします。

 

朝9時、静かな和多都美の杜に神殿の扉を開ける音が響き渡り神事が始まりました。

粛々と神事は進み「命婦(みょうぶ)の舞」が舞われました。緋袴に千早を身に付けた命婦が手に神楽鈴を持ち、古風な神楽歌を歌いながら四方舞を舞いました。命婦は世襲制でかつては藩の保護で多くの命婦がいたそうですが、近年では途絶えていた為、30年ほど前にその伝統を消さないように舞を受け継ぎ現在に至っているそうで、平成8年には国指定無形民俗文化財となっています。一番下に「命婦の舞」の動画をアップしています。日本の芸能の原点ともいわれる巫女舞をぜひ、ご覧になってください。

神社の前に広がる浅茅湾では、地元卯麦(うむぎ)の一般人チームと豊玉高校チームの櫓漕ぎ和船による競争「舟ぐろう」が行われています。2戦とも子供の頃から櫓漕ぎに慣れている一般人チームの勝利となりましたが、まっすぐ漕げずコースアウトした高校生チームにも周りの観客からあたたかい声援と拍手が送られました。

また、手水舎横の土俵では子供たちによる奉納相撲が行われ、小さい体で大きい相手を土俵の外に押し出したり、組まずに逃げ回る相手を追い掛け回す場面もみられ拍手や笑いが絶えませんでした。

 

場  所:対馬市豊玉町仁位和宮55

日  時:毎年、旧暦の8月1日

アクセス:和多都美神社までのバスはありません。タクシーかレンタカーをご利用下さい。(厳原町から車で40分)


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