軍艦島物語⑫ 〜悲運の軍艦・土佐の話〜


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 現在では「軍艦島」と呼ばれることが多いこの島の正式名称は、「端島」。 既にご存知のように、島の形が軍艦に似ていたことから軍艦島という愛称が付きました。

 端島が「軍艦島」と呼ばれるようになったのは、1920(大正9)年に、 三菱造船長崎製造所で起工、1921(大正10)年に進水した軍艦「土佐」に、形が似ていたためと言われています。軍艦「土佐」は、その後の日本の敗戦を暗示するかのように、不運につきまとわれた船艦でした。

 土佐が人々の期待を乗せて進水式を終えたちょうどその頃、アメリカではワシントン会議が開かれていました。そしてその議場で軍縮条約が調印されたのです。それにより、建造途中だった8隻の軍艦に土佐を加えた9隻に、建造・運行中止命令が下されました。

 役目を失った土佐は、日本海軍の標的演習用の船艦としての利用が決まりました。そして、本来は味方であるはずの、海軍所有の艦隊から砲弾や魚雷をその身に浴び、海中深く沈んでいきました。

 軍艦である土佐が活躍する機会がなかったのは、むしろ幸いなことだったでしょう。けれども、このエピソード1つとっても、戦争からは何も生まれないということがわかりますね。

 悲運の軍艦・土佐。その進水式では己の悲運を予知するかのように、祝いのくす玉が割れることはなかったのだそうです。

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