島の祭り・人々|五島特派員取材|庄司好孝|2015.4.20

五島が生んだ偉人・鉄川与助

日本における教会の設計・建築の父「鉄川与助」は明治12年(1879年)に現・南松浦郡新上五島町青方で大工棟梁の鉄川興四郎の長男として生まれました。

有川の尋常高等小学校を出ていることから、実家は赤貧洗うほどの窮乏ではなかったのではないでしょうか。当時は尋常小学校4年で学業を終える児童が多かったそうです。ともあれ、高等小学校を出てからは、父親の手伝いをしながら大工仕事を覚えていったのでしょう。やがて彼が20歳の時に、当時住んでいた魚目村に野原棟梁が曽根天主堂を建設することになり、作業に参加したことがきっかけで西洋建築に目覚めます。それまで専門的に建築を勉強した経験がなかった与助は、建設の際に指導を受けたペール神父との交流を通して幾何学に触れ、自分の目と耳のみで教会建築を学んでいきます。現在のコンピューターCADシステムでも高度な技能が必要とされるリブヴォールト天井の設計・施工もこうして学んだものでした。

彼が27歳の時に初めて自分だけの力で設計し施工したのが中通島にある冷水教会です。
これ以降の彼は、教会建築に取り憑かれたように五島を始め九州各地で、信者たちから請われるがままに教会を造り続けていきます。


その中には、国の重要無形文化財になっている新上五島町の青砂ケ浦教会や、晩年に行った原爆によって倒壊した浦上天主堂の再建。また与助がそれまで未経験だった鉄筋コンクリートを使った平戸市の紐差教会、パステルカラーで可愛らしい奈留の江上天主堂などがあります。鉄川与助が造った教会には一つとして同じデザインの教会は存在しません。これは彼がどれだけ教会建築を愛していたかの証なのではないでしょうか。私には彼は建築家というよりアーティストであったと思えて仕方ありません。


鉄川与助のお孫さんのHP「おじいちゃんが建てた教会」に彼の事跡が詳しく紹介されていますのでぜひご覧下さい。


それによると、鉄川与助は奥様と生涯仲睦まじく、とてもお洒落を好む方だったそうです。また、これは良く知られていることですが、彼自身は仏教徒でした。

宗教に関係なく、「神(佛を)を信じる」ことの本当の意味をわかっていたからこその彼の人生だったのでしょう。昭和51年(1976年)97歳で永眠されました。

惜しくも世界遺産候補リストからは外れましたが、五島市の堂崎教会です。写真に写っているのはスペイン・バルセロナ在住のスパニッシュ・ギタリスト、池田浩さんです。彼はこの教会にインスパイアーされて、即興で演奏してくれました。彼のバッグにはボロボロになった聖書が入っていました。






こちらは僕が大好きな「水の浦教会」です。浦上天主堂や冷水教会に似た雰囲気があります。

















それから14日にご紹介した楠原教会です。

五島特派員 庄司 好孝

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