航海安全の守り神 住吉神社

鴨居瀬の住吉神社01

 対馬東部にある住吉瀬戸(紫瀬戸)に住吉神社が祀られています。古くから航海安全の神様として地元の漁民から信仰されてきました。昔は瀬戸が紫色に染まるほど紫色のサンゴが見られたそうですが、現在ではわずかしか見ることが出来ません。

由緒には、対馬で彦火火出見命と結ばれた豊玉姫が、この地に産屋を造り皇子を出産、抱育した古跡とあり、祭神は「彦波瀲武鵜茅草茸不合命(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)」と「三筒男命(住吉神)」となっています。

住吉瀬戸 紫瀬戸

紫瀬戸

神社は、瀬戸に浮かぶ岬にあるため規模は大きくありませんが、静かで美しい場所にあるため島内の他の地区からの参拝客も多いようです。拝殿には奉納の絵馬が多く、信仰の篤さが感じられました。

住吉神社 拝殿

住吉神社絵馬

住吉神社02  

対馬特派員 鍵本泰志

名称 住吉神社

住所 長崎県対馬市美津島町鴨居瀬491番地

アクセス 国道382号線を北上、浅海中学校を右折。厳原市街から約26km。車で35分。グーグルマップ

 

しぼりたて生酒と美味しい肴

新酒生酒と旨い肴01

 今の時期は全国の蔵元で蔵開きが行われ、新酒を目当てに大勢のお客様が訪れているとか。対馬で唯一の蔵元、河内酒造でも行われましたのでさっそく新酒のしぼりたて生酒を購入してきました。

通常販売されている日本酒は殺菌のため加熱処理が行われていますが、生酒の場合は一切行っていないため芳醇な香りが楽しめます。そこで今回は、このお酒に合う酒肴を作ってみました。

いかの塩辛

 一品目はイカの塩辛。蔵開きに合わせて数日前に水揚げされたばかりのイカを購入し準備していました。イカのワタと身は塩を振って一晩冷蔵庫で寝かし、次の日に混ぜるのですが、ここでワタの半分(2杯のイカだと1杯分のワタ)をフライパンで弱火で熱し覚ましたものを一緒に入れるのが我が家流。あとは隠し味に少量の醤油も入れています。アルコール消毒したタッパーに入れて冷蔵庫に保存して5日目くらいで食べごろです。そのあいだ、一日一回は混ぜてください。

あじのなめろう

 二品目はアジのなめろう。新鮮で型の良いアジが手に入ったので三枚におろし、皮をはいで腹骨と中骨を取り除き、味噌、大葉、おろし生姜、ネギと一緒に包丁でたたけば出来上がり。簡単なわりに肴としても、ご飯のおかずとしても最適な料理です。

あさりの酒蒸し

 三品目はアサリの酒蒸し。砂抜きしてあるアサリを流水で殻をこすって洗い水気を切っておきます。フライパンにゴマ油を熱しニンニクのすりおろしを加え香りがたったらアサリを投入。日本酒をひたひたに入れフタをして殻が開くのを待ちます。途中フライパンを軽くゆすると閉じてる殻も開きます。開いたら醤油を少し回しかければ出来上がり。皿に盛って小口切りしたネギをかけて食べてください。

 昔の人は塩や味噌を舐めながら日本酒を飲んでいたそうですが、ここで紹介した酒肴もけっこう塩分がきいて日本酒との相性も抜群です。ただ、健康のために塩分の取りすぎには注意しましょうね。

皆様もお酒に合う自分好みの酒肴を作ってみてはいかがでしょうか?旨い!もう一杯!

しぼりたて生酒

対馬特派員 鍵本泰志

トンネルを超えて行こう!対馬のウエストコースト

鵜瀬海岸

 険しい山が多い対馬。東海岸から西海岸へ行くにも山越えで行くルートしかないため、距離の割に時間がかかったり、大型のバスやトラックが走行しにくいなどの問題がありました。

そのような問題を解決するために、新しく開通したのが佐須坂トンネルです。今までだと西海岸まで山越えで20kmの道のりを40分程度で行っていましたが、トンネルを通ると20分で行けるようになりました。佐須坂トンネル01

 トンネルは3分程で通り抜け、そこから15分で西海岸へ到着!強い風が吹いていましたが、海の色はきれいなマリンブルー。天気が良かったので韓国が見えるかな?と思いましたが、残念ながら今回は見ることができませんでした。

西海岸01

 小茂田港の南西にある鵜瀬に行ってみると、波が打ちつける岩の上に海鵜(うみう)がコロニーをつくっていました。岩の上が雪をかぶったように白くなっているのは海鵜の糞でしょうか?今は休憩の時間なのか海に潜って魚を獲る光景は見れませんでした。残念!

海鵜のコロニー

対馬特派員 鍵本泰志

春の磯開き 懐かしい磯ものがいっぱい!

磯のかた貝

(かた貝(松葉貝)・厳原町小茂田の磯にて)

磯開き・おがみぜ

(おがみぜ(カメノテ)厳原港の磯にて)

 春になると対馬の各漁村では磯開きが行われます。私が子供の頃は、自由にとっていた磯ものと呼ばれる貝類ですが、最近は減少して漁業権が無い人がとることは禁止されています。子供の頃に食べていた味は大人になっても忘れがたく、無性に食べたくなることってありませんか?

 そういう時にお世話になるのが、生産者市場の鮮魚コーナー。さっそく覗いてみると、対馬ではオガミゼと呼ばれるカメノテや、かた貝と呼ばれる松葉貝、サザエ、トコブシなど磯ものであふれていました。

磯開き・生産者市場01  磯開き・生産者市場02

 そこで目をつけたのが、かた貝(松葉貝)。子供の頃は塩ゆでして食べていましたが、周りにいた人たちに尋ねると、貝殻ごと味噌汁に入れるとか、炊き込みご飯で食べると美味しいとのこと。さっそく購入して炊き込みご飯を作ってみることにしました。

かた貝

2パックでこの量。これで税込400円でした。

【炊き込みご飯のレシピ】

1.かた貝は殻と身が剥がれるように軽く茹でます。身は縮んで少し小さくなります。(茹で汁は捨てないで下さい)

2.かた貝の内臓は小石が噛んでいたりするので、取り去ります。そのときに細いひも状のものも内臓についてくるので一緒に取ります。

3.かた貝、にんじん、生シイタケ、ごぼう、こんにゃくを食べやすい大きさにカット。

4.洗ってざるにあげていた米を炊飯器に入れ、水の代わりに米の分量分の茹で汁をこしながら加えます。3の材料と薄口しょうゆ、酒、塩、みりんもしくは砂糖で味付けし炊きます。簡単ですね!

かた貝 炊き込みご飯

出来上がりました!磯の香りがして美味しそう!いただきま~す!

対馬特派員 鍵本泰志

 

 

節分と豆まき

豆まき

(対馬の天台宗僧侶による豆まき・・・醴泉院)

 一年が経つのは早いもので、もう春の訪れが感じられるようになりました。対馬の天台宗醴泉院では、今年も節分の時期に護摩祈祷と豆まきが行われました。

 旧暦では立春が新年の始まりとされています。節分は元々、季節の変わり目である立春、立夏、立秋、立冬の前日を指していました。季節の変わり目には邪気が入ると信じられていたことから、宮中行事のひとつとして炒った大豆をまいていたのが庶民に広がり、神社やお寺、各家庭でもまかれるようになったとか。

 大豆は米と並んで神前に供える穀物で、穀霊が宿るとされています。その神聖な豆を鬼の目にめがけて投げ「魔目」それが「魔滅」につながるということで邪気を払い福を呼び込む意味があります。

護摩祈祷

(護摩祈祷の後は幸せと健康を願い参拝者全員がお祓いを受けます。・・・醴泉院)

 我が家でも節分の豆まきは昔から欠かせない大切な行事として続いています。子供の頃の思い出は、節分の夕方に母親が家中の窓を開け、私に炒り豆が入った枡を渡し「鬼は外!福は内!」と言いながらまくように言われてました。私はいつも近所の目もあるし恥ずかしいので小さな声で言いながらまいていたのですが、母親は「それじゃ鬼はでていかん!」と私から枡を取り上げ、近所中に響くような大声で盛大に豆をまいていました。毎年のことながら私は恥ずかしいのと、普段は物静かでやさしい母親の変わりようにいつも驚いていた思い出があります。

 対馬特派員 鍵本泰志

浅茅湾を見守る大岩「飯盛山」

 
美津島町にそびえ立つ飯盛山(いいもりやま)
名前の通りご飯を山盛り盛ったような形の、山というよりは岩のようなこの山ですが
今回は飯盛山の山頂から浅茅湾を望みます。
 
 
山道は所々整備されておらず少々危険な道のりとなっています。
 
特に岩場の部分になってからは風も強く、万が一転げ落ちたら止め処なく転がってしまいそう。
気を引き締めて岩にしがみつきます。
 
        
 
                                                           
 
やっとの思いで這い上がってみると、山頂には神社が。
山を下りた後でここの神社の由来や名前については色々と調べてみたのですが、資料が残っておらずわかりませんでした。
恐らくは飯盛山の大岩を奉る為の神社なのだと思います。
 
 
 
 
神社の反対側へと回ると……絶景!
道中の険しさも忘れてしまいそうな程です。
 
 
 
 
 
何処か下界とは違う雰囲気を感じる飯盛山に力を貰えたような気がするのでした。

懐かしの味「ピーターパンの対州飴」

 
こんにちは!
今回は対馬に昔からあるパン屋さん「ピーターパン」をご紹介します!
 
 
 
 
吉村鶏鳴堂ことピーターパンは三代続いてきた100年以上の歴史のあるお店で
初代の店主さんが佐賀から渡ってきて始めた飴やお饅頭を作って販売するお店から時代の流れと共に作る商品の種類が増え、今では和菓子からパンや洋菓子まで幅広く販売しています。
 
主に美津島町鶏知地区の人達から親しまれてきたピーターパンですが
厳原のスーパーマーケットなどにもずっと昔から商品を卸しているため、厳原在住の私や父も子供の頃からピーターパンのボーロ菓子や菓子パン、飴などを食べてきました。
 
元々美津島町という町は明治時代の頃竹敷地区には海軍の軍港が、鶏知地区には陸軍の警備隊司令部があったので
軍人さん達を相手にする商店や飲食店などで賑わっていた街でした。
現在は一部閉店してしまったものの最近まで鶏知地区だけでピーターパンを含め四軒も製菓店がありました。
 
 
 
 
今回はそんな軍人さん達も食べていた対馬名物、「対州飴」を購入してきました!
 
対州飴は昔ながらの製法で今も作り続けられている晒し飴で、キャラメルのような柔らかさと素朴で優しい甘みを持つ飴です。
一粒が昨今のキャンディよりも遥かに大きい為、お茶請け等にも出来そう!
 
時代が移り変わっても変わらない対州飴、これからも対馬の事を見守っていって欲しいと思うのでした。
 
 
 
長崎県対馬市美津島町鷄知甲541
ピーターパン
TEL 0920-54-2960
対馬特派員 鍵本 拓弥
 

軍の町に残る 陸軍墓地

鶏知陸軍墓地02

 リアス式海岸の浅茅湾(あそうわん)に面した美津島町(みつしままち)。空港や郊外型の大型ショッピングセンターが並んでいることから、周辺は新興住宅地の開発が進んでいます。明治時代には浅茅湾に面した竹敷に海軍の要港部が、町の中心である鶏知(けち)には陸軍の対馬警備隊司令部が置かれ、軍人を相手の料亭や商店が並び賑やかだったとか。その鶏知に陸軍墓地があるというので行ってみました。

 旧道から細い山道を登っていくと、そこにあったのは古い公園。雑草は刈られて手入れされていましたが、ブランコや滑り台などの遊具はサビが出て、しばらく使われてないような感じでした。

鶏知陸軍墓地02

公園の一角には、三つの石碑が並んでいます。一番大きな石碑は「忠霊塔」とあります。説明看板など無いため詳しくはわかりませんが、このような軍用墓地は平時の軍人を埋葬する目的で作られ、後に戦争で命を落とした戦没者も祀られるようになったようです。立派な石碑ですが、残念ながらところどころ欠けたり、敷石が割れていました。

鶏知陸軍墓地03

真ん中の石碑には「表忠碑」とあります。慰霊祭のときにでも建てたのでしょうか?

鶏知陸軍墓地04

 三つめの石碑は「ロシア軍人の碑」とあります。石碑の裏に説明文が彫ってありました。それによると『1905年(明治38年)5月27日の日本海、対馬沖海戦において不幸にも対馬の地で永眠された軍人、五人を二つの浜石をもって墓碑とし、手厚く葬られていた。遺骨は1909年5月に長崎市の稲佐山口のロシア人墓地の合祀碑に埋葬。その後も住人たちにより墓地の清掃は絶えることがなかったという。ここに百周年を迎え、勇敢に戦った五人の氏名を刻むとともに両国の平和と友好交流が深まることを祈念して建立する・・・2005年(平成17年)5月27日 対馬・歴史顕彰事業推進委員会』とありました。

鶏知陸軍墓地05

 この説明にある対馬沖海戦とは、日本海軍の連合艦隊とロシアのバルチック艦隊の戦闘でのことで、司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」やこれを原作にし、2009年から2011年までNHKで放送された同名のドラマで有名です。この戦闘で壊滅的なダメージを受けたバルチック艦隊のロシア兵たちが多数、対馬へ漂着したと伝わっています。

 長年、対馬に住んでいる私も初めて訪れた陸軍墓地。日本とロシアの戦没者のご冥福をお祈りします。

対馬特派員 鍵本泰志

 

名称  鶏知陸軍墓地

場所 長崎県対馬市美津島町鶏知 グーグルマップ

アクセス 厳原市街から9.6km、車で15分

父との想い出 手作りイカ型でイカ曳き

イカ型01

 我が家の茶の間のなげしには、古い餌木(えぎ)が掛っています。これはイカを釣る目的で作られた古くからある疑似餌で、私が子供の頃はイカ型と呼んでいました。

 現在ではホームセンターの釣り具コーナーや釣り具店に行けば、色鮮やかな餌木がたくさん販売されていますが、昔はこのように木片から削りだし、色を塗って手作りしていました。手先が器用で釣り好きだった父(故人)は自分で作ったイカ型でミズイカ(アオリイカ)を釣るのが趣味で、小学校3年くらいから私も良く連れて行ってもらいました。

 父は伝馬船(てんません)と呼ばれる櫓漕ぎの小さな船を持っていました。船尾で片手で櫓を漕ぎながらゆっくり船を走らせ、もう一方の手でイカ型の仕掛けをしゃくりながら釣っていた姿を思い出します。帰港するときに櫓を漕ぐのは私の役目。小さい体でエッチラオッチラと漕いで帰っていました。

 釣果は季節や潮の流れもありますが、イカ型の出来に左右されるので良く釣れる物は本職の漁師さんが売ってくれと言ってました。そんなとき、人が良い父は惜しげもなく無料で上げていましたから我が家に残っているイカ型はこの3本だけとなりました。

イカ型02

スーパーの鮮魚コーナーには大きなミズイカが販売されていました。大きなものは2,000円を超える値段がついています。子供の頃は父のおかげでミズイカはもちろん、サザエやアワビ、ウニなども買うものじゃなくて食べたければ自分で獲るものだったのですが、現在では買うものになってしまったのはさびしいですね。

なげしから父が削ったイカ型を降ろして手に取ってみると「おーい、ミズイカ曳きに行くぞ」という父の声が聞こえたような気がしました。

イカ型03

対馬特派員 鍵本泰志

先人の知恵? 迷信、ことわざ、いいつたえ

上對馬のものごつ いいつたえ

 皆さんは子供の頃に「夜に爪を切ったらいけない」とか「乳歯が抜けたら上の歯は床下へ、下の歯は屋根の上に投げる」とか聞いたことはないでしょうか?

私の手元に昭和60年に上対馬町教育委員会が発行した「上對馬のものごつ いいつたえ」という本があります。その冒頭では昭和20年代頃から長く育まれてきた行事や慣習がすたれてきたとあります。読んでみるとお正月から大晦日までの各種行事や言いつたえ、天気のこと、迷信、ことわざまで多岐にわたって書かれていました。そこで今回は、近年では忘れ去られて人々が口にすることが少なくなった迷信や言いつたえについて私が覚えていることを中心にご紹介します。

 

『ものもらいが出来たら、井戸に小豆3粒を投げ入れ、振り向かずに帰る』

これは40年以上前に祖母が、私にものもらいが出来たときに小豆をものもらいに当て、井戸に投げ入れたあと後ろを振り向かずに帰った記憶があります。小豆をものもらいに当てるとき何かおまじないの言葉を言っていたように思いますが、定かではありません。

『お盆に泳ぐと河童が尻を抜く』

海水浴場の近くで育った私には、夏休みに海で泳ぐことがライフワークとなっていました。しかし父親や祖母から「お盆に海で泳いだら仏様が、あの世に連れて帰る」とお盆に泳ぐことは固く禁じられていました。

『西が曇れば雨になる』 『小鳥が鳴き出すと天気になる』 『月に雨傘、日に日傘』

現在では、気象衛星の画像や天気図、予報など予測できる天気も昔は自然現象から予測していたようです。ちなみに『月に雨傘、日に日傘』は、月の周りに光臨が出たら雨になり、太陽の周りに出たら晴れるという意味です。覚えておくといいですね。

『山に入るときアブラウンケンソワカと3回唱えると虫にかまれぬ』

この言葉は、幼いころに聞いた覚えがあります。どんな意味だろうと不思議に思い、ネットで調べてみると仏教の中でも密教系の真言のひとつのようです。アビラウンケンソワカが正しいようで、大日如来の内面の悟りを表し、あらゆることを達成するための呪文とのこと。虫よけのおまじないではなかったんですね。

『沖で水死人を拾えば漁がある』

このことわざは対馬はもちろん、他の地域の複数の漁師さんから聞いたことがあることから広い範囲で普及しているのではないでしょうか?厳しい自然を相手に仕事をしている漁師さんたちは信仰深い人が多く、「沖で土左衛門(水死体)を見つけたら、船に引き上げて連れて帰り、弔えば大漁に恵まれる」と信じられています。

『沖であやかしに会って、あかとりを貸せと言われたら底を抜いて貸さぬと海水を舟に汲み込まれて沈没させられる』

これも子供の頃によく聞いた怪談話で「沖で海坊主が出てきて、あかくみ(舟底に溜まる海水を汲み出す小型の桶)を貸せと言われたら、底を抜いて貸せば、海坊主がいくら海水を舟に入れて沈めようとしても出来ないので助かる」というもの。

ここに挙げた迷信以外にも、皆さんも多くの迷信や言いつたえをご存知かと思います。たまには童心にかえって思い出してみてはいかがでしょうか?

対馬特派員 鍵本泰志

参考文献

「上對馬のものごつ いいつたえ」

昭和60年3月20日発行

発行者 上対馬町教育委員会