
ご利益ヨロシク 対馬特派員取材|鍵本泰志|2015.3.3
石と宗教 明嶽神社
対馬の神社を巡っていると、ご神体が石となっている所が多いようです。なぜ石を信仰するのか不思議に思われるかもしれませんが、例外を除き、石そのものを祀っているのではなく、神様の依り代として石を利用しているのであって、信仰の対象は神様なんですね。また、別の利用法としては、海岸で石を拾い、病気平癒などの願いを込めて神社に奉納するような地区もあります。


そこで今回は、落ちてきた星がご神体と伝わる「明嶽神社」をご紹介。対馬の中央、西海岸にある豊玉町の銘(めい)にあり、明星嶽の懐に抱かれ、地元の方々に大切に祀られています。鳥居の右側の木がすごいですね。 神社の由来を津島紀事で調べてみると『明星神社 神体石 長さ一尺ばかり あたかも人の形のごとし。 かつて風もなく、雲もなき夜に星 渚に落つ。 その声 雷のごとく。 変化して石となる。 よってその岩の上に壇を築いて神石を祝い奉る。・・・・』(原文は読みにくいので、読みやすく変更してます) とあり、こちらのご神体は隕石を祀っていることがわかります。現在は、明星嶽の神を祀る嶽神社と合祀されているのか、鳥居には明星神社ではなく「明嶽神社」の額が掛っています。
神社の由来を津島紀事で調べてみると『明星神社 神体石 長さ一尺ばかり あたかも人の形のごとし。 かつて風もなく、雲もなき夜に星 渚に落つ。 その声 雷のごとく。 変化して石となる。 よってその岩の上に壇を築いて神石を祝い奉る。・・・・』(原文は読みにくいので、読みやすく変更してます) とあり、こちらのご神体は隕石を祀っていることがわかります。現在は、明星嶽の神を祀る嶽神社と合祀されているのか、鳥居には明星神社ではなく「明嶽神社」の額が掛っています。

津島紀事には、ご神体の隕石が落ちた様子は書かれていても、その年代が書かれていないため、いつの時代の隕石かわかりませんが、津島紀事は江戸時代末期の文化六年(1809年)に書かれているので、それ以前のこととなると少なくとも200年以上前から祀られていることになります。人の形をした30cmほどの落ちてきた星。昔の人々はそこに宇宙の神秘と神の存在を感じたんでしょう。また、対馬全島にいえることですが、その信仰が代々受け継がれて大切にされていることも忘れてはいけません。
神社の近くに対馬の伝統的な高床式倉庫がありました。衣類や穀類を収めていた倉で火事の際、類焼しないよう民家とは離れて建てられています。昔は板状の石を重ねて屋根にし、強風にもびくともしませんでした。こちらの倉庫は瓦を使ってありますね。ただ、痛みが激しく、早急な修理が必要かと感じました。だんだんこういった倉庫も少なくなっているので、出来れば後世に残していきたいですね。
対馬特派員 鍵本泰志
名称  明嶽神社
場所  長崎県対馬市豊玉町銘
アクセス 厳原港から42km 車で1時間10分
国道382号線を北上。豊玉町田を左折、同町小綱を右折。
参考文献 「津島紀事」平山棐 著

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