ご利益ヨロシク 対馬特派員取材鍵本泰志|2015.5.19

古の海宮 和多都美(わたづみ)神社

3世紀末に書かれた中国の史書、「三国志 魏書 東夷伝 倭人条」には、当時の対馬の様子が書かれています。そこには土地が険しく良田が無いため、海の物を食し南北に市糴(してき)していたとあり、古くから朝鮮半島や中国大陸、九州本土へ穀物や生活必需品を求め、海を渡っていたことが伺われます。海に生きる人々にとってその信仰対象は海の神様ということで、今回は和多都美神社をご紹介。

神社の祭神は豊玉姫命(とよたまひめのみこと)と彦火火出見尊(ひこほほいでのみこと・山幸彦)。由緒によると「神代の昔、海神である豊玉彦尊(とよたまひこのみこと)が、この地に宮殿を造りそれを海宮(わたづみのみや)、この地を夫姫(おとひめ)と名付けた。宮殿の大きさは高さ一町五反、広さは八町四方あった。上国より失った釣り針を探しに来た彦火火出見尊と豊玉彦尊の娘、豊玉姫は夫婦となった」とあり、海幸、山幸伝説や浦島太郎の竜宮伝説を感じます。

大潮の満潮時には、拝殿が建つ辺りまで海水に浸かることから、拝殿脇の松の木の根は奥へ奥へと本殿下まで伸び、龍のようなイメージを抱かせます。











神社の裏手は、スダジイ、ウラジロガシ、など照葉樹や落葉樹の森。一歩足を踏み入れると清涼な空気が流れているのを感じるとても気持ちの良い場所です。この森は和多都美神社の社叢(しゃそう)として長崎県の天然記念物になっています。


この和多都美神社は古くから阿曇族が宮司を務めていたと云います。九州の福岡市東区にある志賀島や和白、糟屋郡などを本拠地にして列島各地や大陸へ航海していた阿曇族と対馬の海の民との関係も深いものでした。

対馬特派員 鍵本泰志

名称   和多都美神社(和多都美神社)
住所  長崎県対馬市豊玉町仁位和宮55番
アクセス 厳原市内より国道382号線を北上、仁位の手前を案内看板に従い左折。35km車で50分

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