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島の祭り!|対馬特派員取材|鍵本泰志|2015.1.12

対馬聖人 陶山訥庵(すやまとつあん)

最近は猪や鹿など有害鳥獣による農作物の被害が全国的に広まり、大きな問題となっています。ここ対馬も例外ではなく、市による侵入防止柵の補助や銃やわなによる捕獲補助金の支払いなどで対策を行っていますが、駆逐するまでには至っていません。

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しかし今から300年以上前の江戸時代中期に対馬から猪を撲滅しようと計画し、やり遂げた人がいます。対馬聖人として地元の人々に慕われている陶山訥庵で、対馬の八幡神社境内には、その徳を讃える頌徳碑が建っています。

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明暦3年(1657年)対馬の府中(現在の厳原町)に生まれた陶山庄右衛門(訥庵)は、木下順庵(江戸幕府の儒官)のもとで学んだあと、京都などを遊学し帰国後に家督を継ぎ対馬藩のために尽力します。元禄12年(1699年)に群奉行(こおりぶぎょう:農民の管理や年貢の徴税、訴訟などをあつかう)の役に就くと、15年来の不作と猪の被害で農民が困窮しているので、猪と鹿の駆逐を藩をあげて実行するべきという旨の口上覚を同役の平田類右衛門との連名で藩に提出し、翌年の元禄13年(1700年)に許可がおりると実行に移していきました。(殲猪令)

その方法は、対馬の北端から南端まで大垣で仕切り、その内側をさらに内垣で細かく仕切って、一区画づつ猪や鹿を追詰めていくやり方で、冬の農閑期に行われました。また、これにかかる費用は、山林から出る薪材や鹿の皮を売って賄っています。五代将軍、徳川綱吉の生類憐みの令が出されていたこの時代、両奉行は幕府からお咎めがあった際は、死を決する覚悟で事に当たり、自然崇拝が色濃く残る地域では、禁忌の山への入山をしぶる農民たちを安心させるため、山中に祭壇を設け神主に祈祷させたりと色々問題がありながらも計画を進め、9年の歳月をかけ約8万頭の猪を駆逐しました。

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訥庵の墓は厳原港の近くにある修善寺にあります。9年もの歳月と大変な労力をはらって駆逐した猪も近年、誰かが対馬に持ち込み逃したことで増え、300年前の状態に戻っています。訥庵が生きていたら何と言うでしょうか?境内の案内看板に導かれ、感謝の気持ちで墓前に手をあわせました。

対馬特派員 鍵本泰志

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参考文献

対馬国志 第二巻 永留久恵著
動物学雑誌第281号 元禄寶永年間に於ける対馬殲猪の事跡 渡瀬庄三郎著
対馬歴史民俗資料館報第30号

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