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島の祭り!|対馬特派員取材|鍵本泰志|2015.7.23

誠信の交わり 江戸時代の国際人 雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)

厳原市街を見下ろす金石城の跡地に、雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)の顕彰碑が建てられています。そこに刻まれている「誠信之交隣」こそ、現在の日本と韓国に必要とされているのではないでしょうか。
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雨森芳洲は対馬の人ではなく、そのルーツは滋賀県にあり、京都で開業していた医者の息子として生まれました。幼少期は医者を目指していましたが、10代後半で江戸に出て木下順庵の門下となり儒学を学びます。22歳の時、師の推挙で優秀な人材を必要としていた対馬藩へ仕官。以後、朝鮮外交に携わりました。
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私の手元に「交隣堤醒(こうりんていせい)」があります。これは雨森芳洲が第6代対馬藩主、宗義誠へ提出した日朝交流に関わる意見書で、倭館での生活や二度にわたる朝鮮通信使との交流を踏まえて書かれた外交の思想書でとして、現在でも十分通用する事が書かれています。
その内容は54項目から成っていて、最初の「朝鮮交接の儀は、第一に人情と時勢を知ることが肝要にて候(そうろう)・・・」から始まり、様々な事例を挙げながら最後に「誠信の交わりと申すこと・・・誠信と申し候は、実意と申す事にて、互いに欺(あざむ)かず争わず、真実を以て交わり候を誠信とは申し候・・・」で締めくくられています。

要約すると外交とは、通り一辺倒な表面上の付き合いではなく、相手国の異文化や歴史をふまえ、異国人の考え方を知り、尊重することで対等の関係を築き生まれる。そのために、互いに欺かず争わず、真実を以て交わることが大切と説かれています。この考えを自ら実行し、朝鮮外交に携わった芳洲は、朝鮮通信使の製述官もその著書で、偉大な人物として紹介しています。

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雨森芳洲の墓は、厳原町の長寿院にあります。韓国の反日、日本の嫌韓とあまり関係が良くない現在の日韓関係。お互いに誠信の交わりで交流できれば良いなと、墓前に手を合わせました。

対馬特派員 鍵本泰志

参考文献 「交隣堤醒」東洋文庫852 平凡社 初版第1刷
雨森芳洲先生顕彰碑 長崎県対馬市厳原町今屋敷(旧金石城跡)
雨森芳洲の墓 長崎県対馬市厳原町日吉313 長寿院

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