1300年以上前から現在に至るまで、対馬は国防の最前線としての役割を果たしてきました。今回は、古代の防人(さきもり)が守った山城、金田城(かねたのき)をご紹介します。
今から1300年以上の昔、朝鮮半島では唐・新羅連合軍が百済を攻撃し、これによって百済が滅亡しました。その知らせは倭国(日本)にも伝わり大きな衝撃を受けました。その後、百済から百済復興のために援軍を送って欲しいと要請があり、倭国は663年に兵を朝鮮半島へ送りました。
朝鮮半島西部の白村江で倭軍と百済の連合軍は唐軍と戦いますが、倭軍が大敗。朝鮮半島から撤退しました。その結果、大和朝廷は唐や新羅の来襲に備え、665年から667年にかけて福岡、佐賀、山口、奈良、香川、対馬に城を築き国防の備えとしました。
特に朝鮮半島に近い対馬の金田城は、来襲の見張り、煙をあげての(烽)九州本土への通信など、重要な役割を担っていました。
金田城は美津島町の城山(じょうやま)にあり、周囲は風光明媚なリアス式海岸、浅茅湾が広がっています。アクセスは徒歩による山歩きと海上からシーカヤックや小型船で上陸の2種類がありますが、今回は徒歩で三ノ城戸までご紹介します。
県道24号線から金田城入口へ入り、車で約5分。登山道登り口に到着。ここからは徒歩で登って行きます。
登山道とはいっても、旧軍道なので道幅も広く歩きやすいですが、立ち止まると薮蚊の攻撃を受けます。虫除け対策をしっかり行って歩きましょう。
登り始めてすぐに、大きく湾曲した木を発見!
登山道は切り立った崖沿いに続きます。(落ちたら這い上がるのに苦労しそう)
登り始めて20分。眼下に浅茅湾が広がる、見晴らしが良い場所に出ました。さらに歩くこと3分ほどで、三ノ城戸へ到着。山裾へ向かって石塁が続いています。
この三ノ城戸から二ノ城戸、一ノ城戸と山を囲むように土塁や石塁が続きます。その技術の高さと、規模の大きさに古代、大和朝廷の国防に対する感心が伺えますね。
名称:金田城跡(かねだじょうあと・かねたのき)
場所:長崎県対馬市美津島町
アクセス:厳原港から車で25分。空港から車で15分。(登山口まで)
ご注意:慣れない方はガイドの同行をオススメします。
ガイド
千年旅ガイド・・・0920-54-3595(ホームページ)
対馬観光物産協会・・・0920-52-1566(ホームページ)
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