島の細道 対馬特派員取材|鍵本拓弥|2015.2.19

大陸を見据えていた「清水山城跡」



今回は、厳原町にある「清水山城跡」へと行ってきました。



清水山城は天下統一を果たした豊臣秀吉が、1592年(文禄元年)に大陸の明国への侵攻を図り李氏朝鮮に服属と明国侵攻への協力を要請したところ、李氏朝鮮はこの要求を拒否したため豊臣秀吉は朝鮮半島への出兵を決め、秀吉の命を受けた対馬領主の宗義智が佐賀県唐津にあった本陣、名護屋城の兵站基地として厳原の清水山に築城されました。

清水山城は石垣により三層に区切られていたのですが現在も清水山の麓から山を見上げるとその名残りがあるのが見てとれます。(写真右側から三の丸、二の丸、本丸)



城跡の中には立派な石垣の跡が残っており、当時の姿を垣間見ることができます。




本丸からは厳原の城下町や海の向こうの水平線まで見渡すことが出来、船が近づいてくればすぐに分かっていたであろう事が分かります。



険しい山ではない為、普段着でもハイキング感覚で登れる気安さが魅力のスポットです。

対馬特派員 鍵本拓弥

対馬市 交流センター前から登山口まで徒歩20分
登山口より本丸まで徒歩30分

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