西の果て、のそのまた西へ。

五島列島は、本州から見ると西の端にあります。福江島はその中でもいちばん西側に位置し、その福江島からさらに西へ行くと、嵯峨ノ島(サガノシマ)という小さな島があります。

嵯峨ノ島へは渡海船で行きます。福江島の貝津(カイツ)という港から、「さがのしま丸」に乗船。15分ほどゆられていると、その島は見えてきます。人口161人。北方の男岳(おだけ)と南方の女岳(めだけ)という2つの火山が、そのすそ野でつながってできた島。西側の海岸は海食によって頂上の火口付近まで削られて一大断崖をなしている。断崖には、火山の内部構造がはっきりと露出し、火山の噴出状況が顕著に示されている島としても有名である・・・そうウィキペディアに書かれてある通り、地層や島の形状を眺めるだけでワクワクする島です。

さらに、日本中の釣りファンから聖地とさえ呼ばれる五島において、釣り人たちが足しげく通う島。それが嵯峨ノ島です。聖地の中の聖地であるから、釣り人のものすごい聖地、とでも言いましょうか。この日も、渡海船を下りた釣り人たちが一目散に釣り場へと向かっていました。

「膝まで海につかればサザエがごろごろ」「ウニなんかもう敷きつめるようにいた」などなど。その昔、親の転勤のために嵯峨ノ島に住んでいた私の母は、島の暮らしを思い出して、よくそんな話をしてくれました。火山の跡や、荒々しい岩肌や、サザエごろごろや、大物の魚が釣れたエピソードなどがあいまって、「嵯峨ノ島」と聞くと、なんだかこう、自然のエネルギーがわき出るようなイメージがするのです。

また、島には古くから伝わる念仏踊り「オーモンデ」があり、国の無形重要文化財に指定されています。島の公衆トイレに立ち寄ったら、壁にオーモンデのイラストが描かれていました。いつか生のオーモンデが見てみたい・・・その踊りにはどんな意味が込められているのか。大陸の文化とどんなつながりがあるのか。なぜ、この島に受け継がれているのか。嵯峨ノ島は、その自然も文化も、とってもロマンな島なのです。

「西の果て、のそのまた西へ。」への2件のフィードバック

  1. まず最初に故郷三井楽を取り上げてくれた事を嬉しく思います。

    君のお爺さん小学校もしくは中学校の先生ですか?嵯峨の島転勤者なら。

    小生の知る(昭和34年頃)貝津は石を積み上げて造った小さい港でした
    一度だけ渡海船で貝津から嵯峨の島に行き下船せず、次の寄港地荒川港まで行った事があります。荒川にまだ捕鯨基地があった時代です。
    (帰りはバス、二本楠で乗り換え約50分位かけて終点里の停留所まで)

    その当時嵯峨の島の船着き場も、写真で見るのとは大違いで石垣その物。
    「嵯峨の島」のお魚さんは「キンナゴ」が記憶に強く残っています。
    シーズンになると、天秤竿前後ろ一杯にキラキラ光る獲りたてのキンナゴを担いで売りに来ていました町の中心まで、バスも走っていない時代に。
    おかげで昼から“水炊き?”“さしみ”を食べる事ができました。

    この頃頂く“キビナゴ”は昔と比べ二周り位小さいと感じます。

    貝津最大のうりは、五島最大にして最高の美観「高浜!」です。
    又昔の話になりますが、バス停から歩いてしか行けませんでした高浜は。

    五島の海はいつまでも「光沢のある海」であって欲しい。

  2. >千の風さま
    コメントありがとうございます。はい。私の祖父は小学校の教師をしておりました。渡海船のさがのしま丸は昨年新船になり、あっという間に嵯峨ノ島に着くようになりました。私は福江の出身ですが、景色も美しく、歴史のロマンも感じられる三井楽が好きで、よく訪れます。高浜の美しさは特にすばらしいですよね。

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