空海ストーリー。その2「大宝寺」

空海の話を書くんだったら、ホントは最初にこの大宝寺を書くべきでした。なんといっても「西の高野山」なんですから。

大宝寺の縁起では、はるか昔に(ということは年代はわからないということです)天竺のマガダ国から仙人が聖観音様を奉持して、この大宝の地に上陸して、

草庵(こざっぱりしたあばら家みたいな感じだったのかな・・)を建てて観音院としたそうです。その後大宝元年(701)に、当時の中国王朝・前漢が倒れてごちゃごちゃしていた中国の震旦という国から、道融和尚が三輪宗を広めるために日本に向かう途中で遭難して、この地に漂着したのでやむをえず大宝に留まる事になりました。(なんだか小難しい話になってすみません)

この事件?を聞いた第41代の持統天皇が、むちゃくちゃ豪華な伽藍を建立して道融和尚のために三輪宗弥勒山大宝寺としました。

お待たせしました。ここから空海の登場です。

第16次遣唐使派遣で入唐した空海は真言密教の秘法一切を習得して意気揚々と帰国の途についたのですが、嵐にあって命からがらこの三輪宗弥勒山大宝寺の目の前にある浜に漂着したのです。

そこで、命が助かったのもひとえに真言密教のおかげだ(と思ったかどうかは知りませんが)と、日本で始めてこのお寺で真言密教の講筵(こうえん)を行って、三輪宗を真言宗に改めさせました。このために大宝寺は西の高野山と呼ばれてるんです。

お疲れ様でした。

これで四国88箇所巡りもできるんです。

五島は、カトリック教会の島だと思われてるかもしれませんが、神社仏閣にも歴史ある史跡がいっぱいあるんですよ。

ちなみに、はるか昔に仙人が奉持した聖観音様は、善光寺、浅草寺と並んで日本三聖観音様といわれています。

五島特派員  庄司好孝

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