「今度五島に行くんだけど、おいしいとこ教えてよ」と言われたとき、私はしばし考えて、「家」と答えるときがあります。もちろん、おいしいお店は五島にいろいろあります。おすすめもしたい。けれど、五島のふつうの「家」の料理も自慢したいな、と思うのです。つい先日、実家の食卓にはこんなものが並びました。上の写真、なんだかご存知ですか?「トサカ」という海藻です。赤く、ちょうど鶏のトサカのような形だからトサカと呼ばれています。ゆでると上のような色になります。「これどうしたの?」と聞いたら、実家の母は「今、大潮だから」と答えました。・・・今、大潮だから!島ならではのセリフですね。大潮だからよく潮が引いて、ふだん入手できない海藻を海岸でとることができる。大潮だから、食べられる。食卓と自然が連動していると気持ちが元気になります。
五島、ふしぎのキャンプ。
もうすぐ夏ですね。家族旅行をお考えの方、五島でキャンプはいかがですか?こちらは、福江島の南側にある「さんさん富江キャンプ村」です。美しい海岸沿いの、とても過ごしやすいキャンプ場です。今回行ってみてはじめて知りましたが「未来に残したい長崎100景」にも選ばれているんですよ。
小学生おすすめ!香珠子の海
ふと思いました。子どもが、五島のよいところを紹介するとしたら、どんな場所を紹介したいんだろう?と。そこで小学6年生の娘に聞いてみました。答えは、「香珠子!」。香珠子と書いて、「こうじゅし」。福江島の市街地から、南へ約20分の海水浴場です。まず、なんといっても「ソフトクリームがおいしいところがいい!」のだそうです。「あの、なんだっけ、いがり?・・・にがり?それそれ!それが入ってて、しかもね、味が一週間ごとに変わるんだよ!私が好きなのは、チョコとバニラのミックスで・・・」と娘は興奮気味に話しております。
名物!海鮮ちゃんぽん
想像してください。濃厚な海の幸のダシがきいたちゃんぽんの香りが 湯気とともに立ち上っている。その香りは、パソコンの画面を通ってあなたのもとへ・・・ 五島市にある「加賀」の海鮮ちゃんぽんです。 じつは五島市で生まれ育ちながら、大人になるまで加賀の海鮮ちゃんぽんを食べたことがありませんでした。 それが、最近やたらと「加賀の海鮮ちゃんぽんがうまい」と評判を聞くのです。 先日は2日つづけて「加賀やさんの海鮮ちゃんぽんは食べたか?」と聞かれました。 これはもう行くしかない!ということで、うわさの加賀へ。 五島の市街地から、三井楽へ向かう国道沿いを車で走ることおよそ5分。 看板が目立つのですぐにわかります。
西の果て、のそのまた西へ。
五島列島は、本州から見ると西の端にあります。福江島はその中でもいちばん西側に位置し、その福江島からさらに西へ行くと、嵯峨ノ島(サガノシマ)という小さな島があります。
ソトノマ
地元の人みんなの「第2ののリビングルーム」。きっとそんな思いが名前にこもっているんだろうなと思いました。五島市の本山小学校の裏手にオープンしたカフェ「ソトノマ」。おいしい朝ごはんが食べられると聞いて、島ブログの「グルメ」の取材をかねて行ってきました。
海を渡る道
アラカブの味噌汁っ!
「魚は好きじゃないけど、アラカブの味噌汁は好き」という人が、私の周りにはけっこういます。ほかにもそんな人は多のかな?と思い、「魚 嫌い でも アラカブの味噌汁」で検索してみました。するとやっぱり!「子どものころ魚嫌いだったのにアラカブの味噌汁だけはお代わりしてた」とか「魚が嫌いな妻もアラカブの味噌汁だけは好き」とか。やるなあ、アラカブの味噌汁!もし「人間なんかみんな大嫌い!でも・・・あの人だけは好き!」そう言われてる人がいたとしたら、、、アラカブの味噌汁のすごさがわかると思いませんか!?
五島名物、もらいもの。
五島のおいしいものと言えば「もらいもの」です。お魚、野菜など、いろんなものが家から家へとまわります。家に帰ってくると、勝手にだれかが玄関先に置いていってた、ということもしばしばあります。都会ならきっと高価な、新鮮な海の幸、山の幸がカンタンに手に入る。そんな人のつながりがある。それも島暮らしのいいところですよね。つい先日も、実家の母がハマグリを持ってきてくれました。「たくさんもらったから」と持ってきてくれたのですが、誰からもらったのかは聞き忘れました。なんにせよ、おいしそうな冬のハマグリをたくさんゲットです。ありがとうございます、どこかのだれかさん!
万葉の小道
すっかり秋ですね。のんびり歩きながら、空の色や、雲の形や、ひんやりした空気から、秋を感じる瞬間はなんとも楽しいものです。今日はそんな秋にふさわしい散歩道のご紹介です。福江島の三井楽町はその昔、遣唐使が唐へ向かう際の最後の寄港地でした。そこで風を待ち、大海原へ決死の覚悟で漕ぎだしたのだといいます。そのため、三井楽という地名は長い間憧れや悲しみとともに語られ、万葉集にもその名が登場するほど。