五島の今昔写真展

福江城(石田城)の天守閣を模して建てられた五島観光歴史資料館。

ここで、今日6月6日からとても興味ある写真展が開かれています。

私たちみたいな団塊の世代にとっては、とっても懐かしいあの頃の五島の風景写真展。しかも無料!なんです。

これは昭和14年の武家屋敷通りです。道は舗装されていません。皆さんは何をまっているんでしょうか。ダンディーなジェントルマンもいますね。

これが今の同じ場所です。

昭和20年の福江港周辺です。

埋め立ててまだ間がない様子がよくわかります。

こちらは常灯鼻の灯台。灯台だけは時を重ねても変わっていません。

これも面白い写真です。戸楽湾で五島中学校の生徒が水泳訓練しています。

時代ははっきりわかっていませんが、五島中学というからには福江島で唯一の中学校しかなかった旧制中学の時代でしょうか。

他にもいっぱい展示されています。昔の五島を知らない若い世代の人たちも、じいちゃんやばあちゃんが青春を謳歌していた古き良き五島を訪ねてみてはいかがですか。

ちなみに資料館玄関口ではカッパと背比べができますよ。

●五島観光歴史資料館     五島市池田町(福江港から徒歩4~5分)    ☎0959-74-2300

開館 9:00~17:00(7~8月は18:00) /  定休日は12月~4月の月曜日(祝日の場合は翌日)

入館料(ロビーの無料展示は除きます) 一般220円 / 高校・大学生170円 / 小・中学生170円

五島特派員  庄司好孝

私が好きな教会です

ご存知のように、五島は鉄川与助を生んだ島なので、教会は島のいたるところに建っています。

その中でも、私が一番好きな教会が、岐宿町にある水の浦教会。

大浦天主堂によく似ていますが、木造瓦葺で白いペンキの外観は海際に良く似合います。目の前は穏やかな水の浦漁港。

これは私の水彩画です。

水の浦漁港の高台に建っています。

右奥の建物は修道院です。そしてこの写真を写した場所はカトリック墓地。26聖人の一人ヨハネ五島の墓碑がある場所です。

昭和41年頃の水の浦天主堂です。

実は、この教会の建築には私が小さい頃に可愛がってもらった近所の大工さんもかかわっていました。

てっぺんの十字架の架台工事は半端なく怖かったらしいです。

パワースポットというよりは、清浄な空気に包まれる場所だと思います。

五島特派員 庄司好孝

おっ洒落ーな喫茶店


福江港ターミナルから徒歩で約5分の場所に、1979年の7月に(まだ若かった)ご夫婦でオープンした喫茶店「こふひいや」さん。

お店の外観です。  雰囲気あるでしょ。

ご主人の山口さんが「こふひい」と「けえき」担当で、奥様の正江さんが料理とプランターのお世話係り。

先日、写真左側の窓を改装して、自慢のケーキが通りからも見えるようにしました。

お店の中もシックです。 落ち着きますね。

「こふひいや」さんは雑誌などいろんなメディアで紹介されていますが、昨年は人気漫画家でエッセーシストの松鳥むうさんのコミックエッセー「島旅ひとりっぷ」にも正江さんが登場しています。

ここで作者が食べているのが「こふひいや」の人気スウィーツ「みるくぷりん」です。東京の某老舗有名デパートに何年も出荷していました。

容器もガラス瓶になっていてクラシカル・モダン?というやつですか。容器が2次利用できるから一挙両得ですね。

昨年、東京で8年半ケーキ修行をしていた次男の航君(趣味のギターはなかなかの腕前です)が帰省してきて、それまでにも人気だった「こふひいや」の手作りケーキがさらにグレードアップしました。

もちろん、常時10種類ほどあるショートケーキの他にも、様々な記念日などにオーダーメイドのケーキも人気です。

今回、使用させていただいた写真は全て奥様の正江さんの写真を使わせていただきました。

彼女の写真は、五島市の広報表紙などにも使われています。

取材協力 : 「こふひいや」 五島市栄町2-14 / 電話 0959-72-5777

五島特派員  庄司好孝 

信仰の力はすごい! 五島の細道です

福江島には代表的な堂崎教会以下、数多くのキリシタン教会があるんですが、残念ながら世界遺産候補リストからは外れてしまいました。

でも、そんなの関係ないのだ。 教会は世界遺産だから見る、というものとは少し違うでしょ。 隠れキリシタンの人たちが自身や家族たちの命をかけた信仰の力に、信者ではない我々も感銘を受けて尊敬の念で五島各地の教会を訪れるのです。(負け惜しみも少しだけ・・・)

福江港から車で約40~50分。ほぼ菱形になっている福江島の中心寄りにに繁敷教会があります。港から10分も走ると、島とは思えないような山道をウネウネと登って行きます。私の年季物の軽自動車にはかなりの難行。やっとの思いで繁敷集落に到着。

ここから、正面奥に見える山の頂上付近に目指す繁敷教会はあります。約6キロ強の山道になります。

考えてみてください。現代なら5~6キロの山道ではあっても車なら10分もあれば到着しますよね。

でも、今でも延々とこんな道なんですね。 

こんな道を、多分、毎週日曜日には雨の日も雪の日も、猛暑の日にもミサに出かけていたんですね。その行為がすでに信心ですよね。

私にはムリ。年に一回でもムリです。

やっとたどり着きました。 繁敷教会。

十字架がなかったらまるで公民館か倉庫です。内部の写真はタブーなのでご紹介はできませんが、清潔で簡素な礼拝堂でした。

左にある道のすぐ横に民家がありましたけど空家の様子でした。でも大きな樹に繋がれた黒犬が2匹いて、盛んに尻尾を振ってくれました。食器が置いてあったことから、(あくまでも私のの想像ではありますが)信者の方たちが皆さんで面倒をみているんではないでしょうか。

繁敷集落の近くには繁敷ダムがあります。

ダムの周囲は整備されたミニ公園になっていて4月には、大ぶりできれいなピンクの桜がいっぱい咲いて、隠れた癒しスポットになっています。

取材に行った時はサツキの花が満開でした。

五島特派員  庄司好孝

5月の五島釣り情報

五島での釣り情報でお世話になっている「ブルーマリン」さんから、これから夏までの釣りの狙い目を教えていただきました。

今の時期はなんと言っても石鯛!が最高だそうです。そうなんです!五島を代表する釣りと言えばやっぱり石鯛ですよね。
型は1kg~5kgでポイントは黄島美郎。だいたい3~10匹くらいは上げてるそうです。
瀬渡し船も紹介していただきました。

①玉之浦の瀬渡し「大鳥丸」  

②荒川の瀬渡し「都丸」  

③福江下大津の瀬渡し「勢幸丸」  

いずれも「ブルーマリン」オーナー店長の田尾さんおすすめの瀬渡し船です。
夜釣りならイサキ。

こちらは、カモ島、久賀島、そして荒川などがポイントで型は300~1kg。10~30匹ほどの釣果。

また富江港や岐宿港、岐宿唐船の浦、三井楽港、三井楽手前の打折港などでは15~25cmのキスが同じく10~30匹ほど上がってるそうです。

それぞれの仕掛けやエサ、また詳しい情報などは「ブルーマリン」さんでお尋ねください。

 

お隣には鮮魚店があるので緊急避難には便利かも・・・。

協力:ブルーマリン   五島市吉久木町1179-1    TEL / FAX 0959-72-4200

五島特派員  庄司好孝

 

 

海底を通る海の細道?

富江町に井坑(いあな)と呼ばれる溶岩流でできた溶岩トンネルがあります。

以前はかなり奥まで入れたのですが、今は崩落の危険があるとのことで立入禁止になっています。高校生の頃に、奥まで入って湧水に生息しているめくら魚(真っ暗なので目が退化したらしいです)を捕りに行ったことがあるんですが立入禁止は残念です。でも危険防止のためだから仕方ありせん。

このめくら魚は正確にはドウクツミミズハゼという名前がついていて、なんと!世界でこの井坑にしか生息していないそうです。(けっこうキモチワルイ魚でした)。

この溶岩トンネルは全長が1400メートルあると言われています。数時間おきに干満の差があることから、対岸すぐ近くの黒島に続いていると信じられています。(実際に行った人の話は聞いたことがありません)。

かって、この富江町は五島藩とは独立した行政地で、日本最西端の旗本領だったためか、五島の他の地区とは言葉や風習など微妙に違っています。

例えばこれ。 何なのかわかりますか。

正解はカンコロ棚です。

五島を代表するふるさとの味と言えば「カンコロ餅」もそのひとつです。基本的に海風が当たる場所に作ることは他地区と同じですが、富江町のカンコロ棚は土台と壁の部分を溶岩石で積上げます。他地区はほとんど竹を組合せて作っています。

富江町はカンコロ棚に限らず、溶岩石を様々な形でうまく利用しています。

立派な倉庫ですね。

畑の水道にも。     先人の素晴らしい知恵です。

また、五島ではほとんどが稲作ですが、富江町はほとんどが麦を栽培しています。

実る稲穂もいいですが、麦畑はなんとなくスコットランドのイメージを浮かべてしまいます。(行ったことないけど・・・)

最後に、今や高級な和牛ブランドになりました。五島牛さんたちです。

 

ちゃんと五頭いますね。

五島特派員  庄司好孝

新入学してもやることは釣りなのだ

ネタひろいで岐宿町の波止場をうろついていたら早速第一釣り人発見!

この日は、「春とは名のみの風の寒さよ」(早春譜)の歌のとおりの海風がヒューヒュー吹いていてまるで冬に逆戻り。風は肌を刺すほどの冷たさでオイチャンには少々辛い天候でしたが、さすが若者はジャージの上下のみで竿を出していました。

彼らは岐宿中学校の新一年生。学校が終わってから、家に寄って釣り道具を持って速攻、岐宿漁港にミズイカかアラカブを狙いに来たそうです。(オイオイ、ミズイカとアラカブでは仕掛けが全然違うんじゃないの)

彼らの愛車です。

タモもちゃんと用意しています。

来たばっかりだったみたいで釣果はまだゼロ。

いっぱい釣れたらこの生簀に入れる予定。

岐宿中学校の立派な釣りバカ誕生です。

ガンバレ!

五島特派員 庄司好孝

五島が生んだ偉人・鉄川与助

日本における教会の設計・建築の父「鉄川与助」は明治12年(1879年)に現・南松浦郡新上五島町青方で大工棟梁の鉄川興四郎の長男として生まれました。

有川の尋常高等小学校を出ていることから、実家は赤貧洗うほどの窮乏ではなかったのではないでしょうか。当時は尋常小学校4年で学業を終える児童が多かったそうです。ともあれ、高等小学校を出てからは、父親の手伝いをしながら大工仕事を覚えていったのでしょう。やがて彼が20歳の時に、当時住んでいた魚目村に野原棟梁が曽根天主堂を建設することになり、作業に参加したことがきっかけで西洋建築に目覚めます。それまで専門的に建築を勉強した経験がなかった与助は、建設の際に指導を受けたペール神父との交流を通して幾何学に触れ、自分の目と耳のみで教会建築を学んでいきます。現在のコンピューターCADシステムでも高度な技能が必要とされるリブヴォールト天井の設計・施工もこうして学んだものでした。

彼が27歳の時に初めて自分だけの力で設計し施工したのが中通島にある冷水教会です。

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