今年は、残暑も厳しい暑さが続きますねぇ。冷たいものを食べるだけではなく、コワい話やホラー映画を見て、体温を下げ、暑い夏を乗り切っているなんて方もいるのでは? 今回の細道は、そんな暑~い夏の特別編。長崎市の光源寺に伝わる不思議な幽霊話をご紹介しつつ、散策します。
まずは、お話が伝わる光源寺を目指します。こちらは巍々(ぎぎ)山光源寺の参道入口。光源寺は、他の道からもアプローチできますが、今回は、わかりやすいルートから行くことにしました。
数分も歩かないうちに、左手に細道が見えてきました。お寺へ向かう前に、ちょっと寄り道。
宮地獄八幡神社です。なんと陶器製の鳥居があります! 神社自体は、1653(承応2)年の創立ですが、陶器製鳥居は1888(明治21)年に作られたそう。有田磁器窯による大型細工の鳥居は、国登録有形文化財にもなっています。見るだけでなく、実際に触れることができる文化財って貴重。ぜひ、立ち寄ってみてください。
再び、参道に戻ることに。光源寺を通りすぎたところに、若宮稲荷神社があることから、この通りは「若宮通り」と名づけられていますが、幽霊坂と呼ぶ人もいます。名前の由来は、もちろん、光源寺の産女(うぐめ)の幽霊です。
道なりに歩いていくと、光源寺の堂々とした山門が見えてきます。おっ、「産女の幽霊 御開帳」の文字を発見。本日、8月16日が幽霊の御開帳となるのです! さっそく、お寺に行ってみました。
境内は、幽霊を見に来た人でいっぱい。夏休み中の子どもたちも、たくさん来ていました。
光源寺に伝わる産女の幽霊とは、土葬された身重の女性が、土中で子どもを産み、幽霊になっても子どものために、飴を夜な夜な買いに行くという話です。子を思う母親の気持ちは、温かく、時代が変わっても普遍的。個人的にこの話、大好きでもあります。
毎年8月16日は、この幽霊木像が一般公開となる日なんです。目にはギヤマンが施され、体はやせ細った姿。目は、見る角度によって、キラリと光ります。もともとは、赤子を抱きかかえた姿だったらしい。ですが、原爆投下の影響で、なくなってしまったとか。幽霊木像を見る前に、紙芝居で話を聞きましたが、母性愛よりも木像のリアルさが勝ってしまったようで、大勢いた子どもたちが怖そうに見ていたのが、正直、ウケた。でも、確かにコワいな……。参拝後には、飴がもらえます。
お寺裏には、赤子塚民話の碑もあります。案内看板をたどっていくと、すぐ、ありますよ。
赤子塚民話は、全国各地にあるそうです。長崎では飴ですが、他県では団子や砂糖など、幽霊が調達する食べ物はいろいろあるらしい。お坊さんから聞いたのですが、長崎のお母さん幽霊は、三途の川を渡るときに使う6文銭を飴を買うお金にしたとか。話の途中で、幽霊が「今日はお金がないけど、飴をわけてくれませんか」というくだりがあるのですが、それは、この6文銭を使い切ってしまったから。亡くなっても子どもを守る。母の愛は、どこまでも深い。
涼しくなったというより、感動の涙で浄化された感じになったなぁ。光源寺を後にし、寺町通りを浜町方向へ歩くことにしました。
右へ下り、中通りへとやってきました。実は、産女の幽霊には続きがあるんです。その話と関係がある場所へご案内。
赤ちゃんは、飴屋の主人や光源寺の住職、町民たちのおかげで、父親のもとで育てられることになったのですが、助けてくれたお礼がしたいとのことで、飴屋に、あの幽霊が現れたのです。ご主人は、町内に水がないから困っていることを伝えると「自分の櫛が落ちているところを掘ると水が湧き出る」といって消えました。あくる日、櫛をたよりに掘ってみると、きれいな水が湧き出てきて、町内の人々は大喜びした――これが、お話の結末です。その井戸跡といわれるところが、こちら。
ド派手な自販機の向かいに、この井戸跡があります。今日は、御開帳の日でもあったので、盛り塩がありました。しかし、なんと律儀な幽霊。母性愛もですが、右往左往しながらも町の人々たちが助ける人情深い、いい話! 不思議なお話を、頭で思い描きながら、アナタも町を散策してみませんか。
光源寺参道入口~光源寺~中通り
徒歩約20分