夏は旬のあの魚をイベントで狙え!

突然ですが、みなさんは「はも」と聞くと、どこの生産地を思い浮かべます? 実は、長崎も、はもの生産地として、今、名乗りをあげています! そんな「はも押し」の長崎で食べようと、7月に行われた「戸石はも・かに祭り」にお邪魔してみました。はもグルメ、ご案内~♪

 

 

 

 

 

 

 

只今、日曜日の朝8時半。「私、寝ぼけている?」と思っちゃうくらいの大盛況ぶり。梅雨時の、ようやくの晴れ。しかも、日曜日という好条件が揃ったからかな。それにしても、みなさんのスタートダッシュの早さにアッパレ!

 

 

 

 

 

 

 

イベントのスタートは8時。そう、負け惜しみ的ではありますが、私もなかなかの早さで到着したんですよ。が、さっそく、もう!?あっちこっちで品切れ気味に。長崎市の高島のひらめは、あとこの1匹で終わりでした。あ、高島といえば、世界遺産登録、おめでとうございます!!

 

 

 

 

 

 

 

海の生き物に触ることができるタッチプールもありました。そうか、夏休みだ。子どもにとっては夏の思い出がひとつ増えた❤

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はも写真付きの、このチラシによると、美味しいはもの見分け方は「身に艶があり、真っ白であること」とのこと。タンパク質、カルシウムなど栄養もたっぷりで滋養あり。

 

 

 

 

 

 

 

子ども用プール?と思うくらいの大きないけす! 泳いでいるのが、今回の主役のはも。

 

 

 

 

 

 

 

このいけすを泳ぐはもを見ながら、お客さんが「そのはも!」と指を指し、漁師さん(たぶん)が、はさみのような道具で捕まえて持ち上げる。持ち上げたはもがお気に召さなかったら、再び「それ!」「これ!」とかのやりとりを繰り返す。歯が鋭いから、素手じゃ危ないもんね……。持ち上げたはもが、まるで般若みたいな顔をしていて迫力満点。ちょっとどころか、相当コワかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まず、頭をザックリと切る。コレで鮮度もキープされるんでしょうね。きっと、はも自身も切られたことにまだ気づいていない……。

 

 

 

 

 

 

 

はもをさばくときの一番の見せ場といえば、やはり骨切り。下の皮を切らないように、リズミカルに細かく、素早く切っていく。この一手間で、小骨がまったく気にならない。ふと考えましたが、誰がこの食べ方を考えたのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

あまりにもスピーディな骨切りに驚きました。1尾を切るのに、3分もかからない。細かく切って、なおかつ皮は残してこの速さって一体、どういうこと!? まさに職人技。よかもんば見た~。

 

 

 

 

 

 

 

1尾売りだけでなく、梅肉ソース付きの湯引きしたのをパック販売していたので、さっそく購入して、家で味わうことにしました。真っ白で、まるで雪のよう。見た目も美しくてビックリですが、食べてもビックリ。小骨がまったく気にならず、もしかしてコレは最初から骨がなかったのか?と疑ってしまうくらい。食感も柔らかかったなぁ。夏が来たなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

イベントに合わせて、戸石近郊の飲食店では、はも料理がいただけます。今年は8/2(日)まで。高級魚のはもが1000円台からいただけるなんて。長崎の夏の旬として、はも料理を食べに行く、なんていうのもオツですぞ~。

軍艦島物語⑥

 崩落寸前の建物が多い軍艦島は、クリエーターの才能を刺激するものがあるのでしょうか? 現在公開中の「進撃の巨人」では、撮影の一部を実際に軍艦島で行いました。2012年に公開された「007 スカイフォール」では、現地での撮影を希望していた撮影隊ですが、軍艦島でのロケハン時、その危険性の高さに撮影を断念、軍艦島をモデルにしたセットをロンドン郊外に組んで撮影を行いました。ボンドの敵役が住む町「デッド・シティ」として登場します。また、現在の軍艦島の荒涼とした風景はサスペンスにぴったり。2011年には内田康夫原作の浅見光彦シリーズ「棄霊島」、西村京太郎原作の探偵 左文字進シリーズ「長崎・軍艦島の殺意」の原作の舞台であり、ロケ地にもなりました。

 小説では前記の作品の他にも、赤川次郎、西木正明、皆川博子、そして大沢在昌等がそれぞれ小説の舞台として選びました。この他にもホラーゲームソフトに出て来る島のモデルとして登場したり、B’zのCD「MY LONELT TOWN」ではディスクジャケット、ミュージックビデオのロケ地になっています。  

 ところで明日、8月29、30日は、長崎出身のアーティスト・福山雅治さんのライブが、長崎市の稲佐山で開かれます。福山さんはカメラマンとしての才能も広く知られており、長崎市からの依頼を受けて軍艦島を撮影し、長崎県美術館で大々的な作品展を開催しました(2008年)。この時には全国各地からファンが訪れ、長崎を大いに沸かせたのでした。

母の子への深い愛は永遠に

今年は、残暑も厳しい暑さが続きますねぇ。冷たいものを食べるだけではなく、コワい話やホラー映画を見て、体温を下げ、暑い夏を乗り切っているなんて方もいるのでは? 今回の細道は、そんな暑~い夏の特別編。長崎市の光源寺に伝わる不思議な幽霊話をご紹介しつつ、散策します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まずは、お話が伝わる光源寺を目指します。こちらは巍々(ぎぎ)山光源寺の参道入口。光源寺は、他の道からもアプローチできますが、今回は、わかりやすいルートから行くことにしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数分も歩かないうちに、左手に細道が見えてきました。お寺へ向かう前に、ちょっと寄り道。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宮地獄八幡神社です。なんと陶器製の鳥居があります! 神社自体は、1653(承応2)年の創立ですが、陶器製鳥居は1888(明治21)年に作られたそう。有田磁器窯による大型細工の鳥居は、国登録有形文化財にもなっています。見るだけでなく、実際に触れることができる文化財って貴重。ぜひ、立ち寄ってみてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

再び、参道に戻ることに。光源寺を通りすぎたところに、若宮稲荷神社があることから、この通りは「若宮通り」と名づけられていますが、幽霊坂と呼ぶ人もいます。名前の由来は、もちろん、光源寺の産女(うぐめ)の幽霊です。

 

 

 

 

 

 

 

道なりに歩いていくと、光源寺の堂々とした山門が見えてきます。おっ、「産女の幽霊 御開帳」の文字を発見。本日、8月16日が幽霊の御開帳となるのです! さっそく、お寺に行ってみました。

 

 

 

 

 

 

 

境内は、幽霊を見に来た人でいっぱい。夏休み中の子どもたちも、たくさん来ていました。

 

 

 

 

 

 

 

光源寺に伝わる産女の幽霊とは、土葬された身重の女性が、土中で子どもを産み、幽霊になっても子どものために、飴を夜な夜な買いに行くという話です。子を思う母親の気持ちは、温かく、時代が変わっても普遍的。個人的にこの話、大好きでもあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

毎年8月16日は、この幽霊木像が一般公開となる日なんです。目にはギヤマンが施され、体はやせ細った姿。目は、見る角度によって、キラリと光ります。もともとは、赤子を抱きかかえた姿だったらしい。ですが、原爆投下の影響で、なくなってしまったとか。幽霊木像を見る前に、紙芝居で話を聞きましたが、母性愛よりも木像のリアルさが勝ってしまったようで、大勢いた子どもたちが怖そうに見ていたのが、正直、ウケた。でも、確かにコワいな……。参拝後には、飴がもらえます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お寺裏には、赤子塚民話の碑もあります。案内看板をたどっていくと、すぐ、ありますよ。

 

 

 

 

 

 

 

赤子塚民話は、全国各地にあるそうです。長崎では飴ですが、他県では団子や砂糖など、幽霊が調達する食べ物はいろいろあるらしい。お坊さんから聞いたのですが、長崎のお母さん幽霊は、三途の川を渡るときに使う6文銭を飴を買うお金にしたとか。話の途中で、幽霊が「今日はお金がないけど、飴をわけてくれませんか」というくだりがあるのですが、それは、この6文銭を使い切ってしまったから。亡くなっても子どもを守る。母の愛は、どこまでも深い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

涼しくなったというより、感動の涙で浄化された感じになったなぁ。光源寺を後にし、寺町通りを浜町方向へ歩くことにしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

右へ下り、中通りへとやってきました。実は、産女の幽霊には続きがあるんです。その話と関係がある場所へご案内。

 

 

 

 

 

 

 

赤ちゃんは、飴屋の主人や光源寺の住職、町民たちのおかげで、父親のもとで育てられることになったのですが、助けてくれたお礼がしたいとのことで、飴屋に、あの幽霊が現れたのです。ご主人は、町内に水がないから困っていることを伝えると「自分の櫛が落ちているところを掘ると水が湧き出る」といって消えました。あくる日、櫛をたよりに掘ってみると、きれいな水が湧き出てきて、町内の人々は大喜びした――これが、お話の結末です。その井戸跡といわれるところが、こちら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ド派手な自販機の向かいに、この井戸跡があります。今日は、御開帳の日でもあったので、盛り塩がありました。しかし、なんと律儀な幽霊。母性愛もですが、右往左往しながらも町の人々たちが助ける人情深い、いい話! 不思議なお話を、頭で思い描きながら、アナタも町を散策してみませんか。

 

光源寺参道入口~光源寺~中通り

徒歩約20分

 

軍艦島物語 おススメ撮影スポット

どこから写しても様になる軍艦島ですが、限られた上陸時間の中では、

撮影も計画的に行いたいもの。

あらかじめ撮影ポイントを調べておけば、時間を有効に使えます。

そこで島ステスタッフから撮影のおススメポイントをいくつかご紹介しましょう。

 

※ドルフィン桟橋から上陸して案内されるのは第一見学広場。

この広場から見上げた所に、ドドンと建っているのが「職員クラブハウス」です。

本社や取引先の関係者が出張して来た時の宿泊施設でした。迫力満点です。

 

※第2見学広場から見えるのは「総合事務所」。

ほとんどグレーの軍艦島の景色の中、多少くすんでしまってはいますが、

赤レンガがくっきりと浮かび上がります。

 

※第3見学広場のすぐ横にあるのは仕上げ工場。

 崩落した壁穴から30号棟アパートが覗いてます。

第3見学広場の奥には、ファンが多い建物、30号アパートが見えます。

島で一番古い建物です。

 

※海上からは、端島神社の祠がチラリと見えます。

かつては大きなお社があったということですが崩落し、岸壁近くにあった神殿を移築したそうです。

今回紹介した他にも、たくさんのビューポイント、撮影ポイントがあります。

怪我などに気をつけて、「あなたの軍艦島」の1枚を激写してくださいね。

夏の曇り空の日が狙い目

今回の釣りスポットは、西彼杵郡時津町をご紹介します。内海の大村湾に面した漁場なので、波も穏やか。しかも、大村湾は、夏が釣りシーズンなんですって! 長崎市街地から車で30分ぐらいなので、気軽に釣りも楽しめそうですよ。さっそく、地元でメジャーな釣りスポットへゴー!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

町内の中でも、工業地帯の6工区・7工区・8工区と呼ばれるエリアが有名どころ。以前、このコーナーでも7工区はお邪魔したことがあるので、今回は6工区へまず、足を運んでみることに。すると、推定50~60代のオジさんが釣りをしていました。話を聞くと「ここより、8工区が、もっといっぱい釣り人がいるよ」との情報をいただきました。じゃ、なんでオジさんはここで?と図々しく聞いてみたところ、「逆に人が多いところは苦手で」とのこと。1人になりたいときってある、ある。海を見ながら、静かに釣る――これだけでも、心が穏やかになりそう。ごめんね、オジさん。お邪魔しちゃいました。

 

 

 

 

 

 

 

1人になりたいオジさんが、それでも親切に教えてくれた8工区は、写真の船のところ辺りです。雨模様だったので、後日、行ってみることに。

 

 

 

 

 

 

 

8工区は、時津町の先久留里といわれる、海側へ向かったところです。あ、1人、オジさんが帰ろうとしている。待ってくださ~い! この日は、午前9時頃で、すでに強烈な日差しが。釣り人も少なかったみたい。

 

 

 

 

 

 

 

あえなく、2人中1人、オジさん退却……。アジゴを狙っていたそうです。どうやら、ほどほどの釣果があった風。一方のオジさんに、ズケズケとお話を伺うことにしました。おー、もう魚群が見えている!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日はちょっと晴れすぎたからね。ここらへんは、曇りの日がよく釣れるんだよね」とのこと。ありゃ~、そしたら6工区に行った日に来ればよかったのかも。軽く、後悔。――気を取り直して、再びオジさんに話を聞きました。オジさんは、チヌ狙い。本当は、4、5月がチヌも丸々と太っているそうですが、夏場でもなかなか大きいのが釣れるみたい。ほか、メジナやボラなど、釣れる魚の種類も豊富。最近、よく8工区で釣るそうで、何が釣れるのかとか、釣り方とか、美味しい食べ方まで、ここで釣っている人に教えてもらったとか。「ボラの味噌煮が美味しいと聞いて、奥さんに作ってもらったら、本当に美味しかった! 大村湾のボラは、程よく脂がのっていて、臭みもなかったよ」だそう。う~ん、それは美味しそうだ!!

 

 

 

 

 

 

 

オジさんは、撒き餌をして釣る作戦で、すでに1匹、チヌを釣っていました。正直、なんか余裕あるなと思っていたら、釣っていたんですね……。写真ではよくわかりませんが、40cmぐらいはあるみたい。

 

 

 

 

 

 

 

私が、根掘り葉掘り釣り話を伺っていたら、魚が警戒して、まったく当たりが出なくなったので、心苦しくなり、退散しました。オジさん、ごめんね。またしてもオジさんに迷惑をかけちゃった、2人もね……。あ、前に見た砂の山だ。もちろん、砂山エリアは立ち入り禁止。ですが、この風景を目印に、夏の大村湾で大物ゲット!してみてくださいね。私、お邪魔しませんから、安心して❤釣ってください。

 

西彼杵郡時津町先久留里・8工区

長崎市街地から車で約30分

福江大立神で口太グロ爆釣。

4月11日に五島列島福江島へと会社の同僚と釣行した。私は、前日の夕方のフェリーで福江島入りし、早朝から玉之浦へと車を走らせた。 6時前には、大鳥丸が出港する玉之浦港に到着し、準備を済ませて荷物を積み込み、6時15分に玉之浦港を出港した。 玉之浦港を出ると北風が吹いているので、西側の磯を避け船は南下していき、大瀬崎灯台付近から瀬付けを開始し、私たちは、「大立神」へと上礁した。


上礁した大立神

 

マキエと仕掛け(道糸:サンラインのブラックストリームマークXの1.75号、ハリス:ブラックストリームの1.75号、ウキ:ガルツの匠グレの2B、GPS(Sサイズ)のBを使用した半誘導仕掛け)を用意し、ハリスにはガン玉のG7をハリ上50cmのところに1つ、ウキ止めを3ヒロのところにつけた。 マキエを足元と小立神の周りに入れてから、仕掛けを投入し潮に合わせて少し張り気味に仕掛けを流していくと、穂先にコツンと当たりがあったので、すかさず竿を立てるだけの合わせを入れる。久しぶりのグレの引きを楽しませてもらい取り込んだのは、40cmオーバーの丸々とした口太グレだった。


1尾目の口太グレ

 

続けて、タナを調整しながら探っていくと、3~5ヒロのタナで調整しながら釣っていくと、30~40cmのクチブトが1投毎に当たってくるので、35cmオーバーだけキープしていく。

10時をすぎると、小立神の沖側を本流が勢いを増して流れ始めた。この潮の流れなら尾長グレが当たるかも、と思い、ハリスの中間にG6のガン玉を追加して、本流を狙ってみる。小立神の周りと引かれ潮にマキエを撒いてから、本流の中に1杯、仕掛けを本流に投入してから、ウキの周りに数杯撒いて流していくが、数投してもツケエが盗られないので、直結部にガン玉のG5を追加することにした。すると、30mほど流したところで道糸を引っ張るような当たりがきたので、穂先でききながらアワセをいれる。本流の重みも喰わって重量感たっぷりの引きを楽しませてもらいタモ入れしたのは、43cmの口太グレだった。続けて40cmの口太グレが当たってきが、狙いの尾長グレではないので、直結部のガン玉をG5からG6に変更して少し浅いタナを意識して狙うことにした。

仕掛けを投入して、時折張り保つことを意識しながら流していくと、パラパラと出ていた道糸の出方が遅くなったので、スプールに指を当てて道糸の出を止めていると、穂先を押え込むと同時に道糸が弾かれるアタリがきた。先ほどよりも鋭い引きで、磯際まで寄せてきてからも幾度となく突っ込みをみせる。数度の突っ込みをロッドワークで交わし、取り込んだのは45cmの尾長グレだった。

午後からの下げ潮も上げ潮と同じ方向にゆっくりと流れている。仕掛けを投入すると、ツケエだけが盗られるので、仕掛けを変更することにした。ウキを匠グレから巧派グレ(Mサイズ)の0号にGPS(Sサイズ)のG5とし、ハリスもVハードの1.5号に変更した。タナは、再び3ヒロからスタートすることにした。

早速、30~35cmの口太グレが釣れてくるので、タナを半ピロほど深くして、マキエを仕掛けの投入点に先打ちし、間隔をあけて潮上側にずらしながら3杯ほど撒いてから仕掛けを投入する。そして再びウキの潮上にマキエを2杯ほど撒いてから仕掛けを流していく。すると、ウキの頭を抑えるだけの当たりがあったので、穂先で誘ってやると、巧派グレが海中へと消し込んでいった。

竿を立てると重々しい引きをゆっくりと楽しんで取り込んだのは、45cmの口太グレだった。 この後、下げ潮が動くことはなかったが、30cm~40cmの口太グレが退屈しない程度にあたってきた。

 


45cmの尾長グレと口太グレ

 

納竿は、午後5時だったが、4時すぎには納竿し、磯を洗い流し回収の船に乗り込んだ。

長崎編特別寄稿 奥野賢志

  

<渡船の問い合わせ先>
渡船:大鳥丸(永尾船長)
TEL:090-1165-0091
料金:4,000円

マップ

昔はケンカ騒動も!? 地元愛満載の夏の風物詩

今年の夏は暑い! 「暑い暑い」と言ったとて、気温が低くなるワケではないのに、ついつい口にしてしまいますよねぇ。こうなったら、暑い夏を楽しむ!これに限ります。今回のお祭りは、西彼長与町で行われた長与ペーロン大会に行ってみました。

 

 

 

 

 

 

 

西彼長与町は、長崎市中心部から車で30分ほどのところにあります。大会の本部は、長与港の西側埋立地。もう予選が始まっていた~っ! 主に地区対抗となるフリー・子ども・愛好会・職域・レディースがそれぞれ戦って、フリーチームだけ、決勝レースをする段取りでした。

 

 

 

 

 

 

 

長与港の西側埋立地には、ペーロン船を格納する海洋スポーツ艇庫がありました。海はこの目の前。便利なところに作っているなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

会場内をウロウロ。すると、ペーロンの道具があちらこちらに置いてありました。こちらはおなじみの櫂。よくよく考えてみると、この櫂を使って船が進むのだから、ヒトの力も捨てたモンじゃないですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ペーロン船を各チームが保有しているのではなく、長与町が貸出しているようです。船尾の長与町章が眩しい☆ 選手たちが、用意された船に乗り込んでいました。ちなみに、ペーロンの語源は、中国の白龍(パイロン)だといわれています。福建地方の競渡船がルーツらしい。船の形や装飾など、時代を経て、長崎独自のものになっていきました。360年前から行われていたというから、なかなか歴史も古いんですよ。今では、長崎県の各地で、夏になるとペーロン大会が行われるように。いわば、長崎の夏の風物詩なんです!

 

 

 

 

 

 

 

救助船もスタンバイ。選手たちも安心してレースに専念できますね。

 

 

 

 

 

 

 

レース後、「お父さ~ん!」と叫ぶ、麦わら帽子を被った女の子。お父さんは、きっとこの時ばかりは2割増し。いつものダラダラパパじゃない! 今日は輝いてみえたハズ!!

 

 

 

 

 

 

 

ん? お揃いのTシャツを着た女子の集団がやってきた。――選手!? 意外にも女性の参加も多かった。カッコよかね~。

 

 

 

 

 

 

 

男性とは明らかに違う、女子の甲高いかけ声が海いっぱいに響き渡ります。可愛い声に思わず、近所のオジさんたちが吸い寄せられるように浜へと繰り出して来ました……。

 

 

 

 

 

 

 

14時半頃、ついに決勝戦となりました。「最後のレースです」との会場アナウンスが聞こえたと同時に、観客のボルテージもぐ~んと上がった模様。斉藤地区のチームは、近所のオジさんオバさんの力強い声援で選手たちを後押し。

 

 

 

 

 

 

 

スタートラインに並ぶペーロン船5隻。遠くてわかりにくいですが、右から順に三彩、岡郷の南・北、斉藤、岡中央です。みなぎる緊張感。昔は、ケンカ騒動もあり、長崎奉行が禁止令を出したなんて話もあるくらい、真剣勝負なんです。私の頭の中では、あの泣き虫先生でおなじみのドラマ主題歌がずっと鳴り響いていた……。

 

 

 

 

 

 

 

スタート! 今大会のコースは全長1150メートル。遠くに見える防波堤近くのブイをターンして、スタート地点まで戻ります。これだけの距離を5分ちょいで返ってくるってすごいなー。長崎の若者たちは逞しい!

 

 

 

 

 

 

 

結構、2位の岡中央に大差をつけて優勝したのは三彩チームでした。タイムは5分10秒。結果が出てからいうのもナンですが、予選を見ていて、三彩が優勝すると目をつけていました。心の中で勝手に「黒いイナズマ」とネーミングして密かに応援。なぜ、このネーミングかというと、黒いTシャツを着ていたから……わはは。

 

 

 

 

 

 

 

優勝トロフィーも別に用意されていましたが、海上では笹竹に「優勝」と書かれた旗が渡されていました。おめでとう!

 

 

 

 

 

 

 

三彩チームを応援していた人々から「よくやった~!」「ありがとう!」の声が。選手たちは郷土の誇り。

 

 

 

 

 

 

 

最後は、決勝を戦った5チームによる「ラストラン」。別に、知り合いがいるワケでも何でもないのに、感動しました。決勝の緊張から解き放たれた選手たちの力走と、やまない声援と――夏が終わった(終わってないけど)。こんなに爽やかな夏を味わえるのなら、多少、暑くてもいいもんだと再発見できた日でした。

 

第32回長与町ペーロン大会

平成27年8月2日

西彼杵郡長与町・長与港

軍艦島物語④

    

 今ほど有名では無かった時代にも、コアなファンが多かった軍艦島。

ファンのほとんどは、本職のカメラマン、またはカメラを趣味とする人でした。

 カラーで写せば青い空と群青の海、白い雲のコントラストが鮮やかに浮かび上がり、

モノクロで撮れば、風化の移ろいを味わい深く表現できる軍艦島。

一度この魅力を知ると、軍艦島に飽きる事はないとファンの皆さんは言います。

 

 撮影可能なポイントは限られている軍艦島ですが、どこから写しても絵になるのがこの島の強みであり、魅力。

乗船前の船内からの1枚、上陸してからの激写も、迫力ある作品になることでしょう。

 

ところで軍艦島での撮影は、ビューポイントの多さと上陸時間の短さからくるジレンマとの戦いでもあります。

解消法の1つとして、各見学広場では列の最後尾で移動すると、撮影時間が多めに確保できます。ただし、軍艦島は崩落の危険性と隣り合わせの建物がほとんどです。ガイドさんの注意に沿って撮影を楽しんでください。

馬だけでなくペットの幸せを願って

ワンコにニャンコと、ペットを飼う方が本当に多くなりました。街を歩いていても、お散歩中のワンちゃんに何匹も出会いますよね~。さらにペットの寿命はのびるし、天寿を全うしても飼い主さんがペットロスになったりするし――そんなペットロスの方にも足を運んでいただきたいのが、今回のパワースポット。

 

 

 

 

 

 

 

失礼ながら、一見、フツーの神社ですが、境内に入ると……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鳥居の先には馬・うま・ウマ。馬の像が立ち並びます。しばし圧倒されました。ここは、島原市の三会(みえ)地区にある中原神社。またの名を馬頭観音といいます。つまり、家畜の安全祈願ができるんです!

 

 

 

 

 

 

 

馬のお尻って、生命力がみなぎっていていいなと、個人的に思う。生きている!ってカンジで。こちらは馬の像ですけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

拝殿前に並ぶ2本の木が印象的。きっと、馬頭観音さまを守っているんだなぁ。もともと、馬頭観音は、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)の中の畜生道を司るといわれています。頭に馬をのせた観音さまなので、近世になると、家畜(特に馬)の安全を祈願するようになったとか。残念ながら、拝むことはできませんが、頭の中でイメージしながらお祈りをしてみてください。

 

 

 

 

 

 

 

運良く(?)拝殿は開いていたので、ちょっと中に上がらせていただくことに。何枚か、写真が飾ってありました。昔は、本物の馬を奉納していたようです。今と違って昔は馬や牛は身近な存在。田を耕してくれたり、人々の足となってくれたり……。ここから派生して今では、ペットの冥福を祈願できるともいわれるように。

 

 

 

 

 

 

 

島田さん&山口さんが奉納した立派な狛犬。眼光の鋭さに驚きました。どんな悪行も見透かされているな……。

 

 

 

 

 

 

 

狛犬同様、瞳がキラキラと輝く神馬。雲仙普賢岳が噴火したとき、早期の鎮火を願って奉納されました。

 

 

 

 

 

 

 

裏手に回って気づきました。神社全体が、こんなにも大木に囲まれていたとは。手前は、広いゲートボール場で、お年寄りが元気にプレーしてらっしゃいました。

 

 

 

 

 

 

 

これは恐らく、境内に手綱をくくりつける柵ですよね。今でも使っているのかしら?? 今ではといえば、毎年1月の祈願祭で、家畜の安全祈願のお札をゲットできるそうですよ。ちなみに、このお札はペットというより、馬・豚・乳牛などが描かれたものらしいです。

 

 

 

 

 

 

 

神社の周りを囲むように、地元の人々が奉納したものが刻まれた石碑があります。「土地百四十九坪」とか「金三百円也」とか。このリアリティ溢れる数字に、人々の熱意を感じました。昔も今も人々が心のよりどころとしている神社なんですね。心にじんわりと響きました。

 

中原神社(馬頭観音)

ご利益 動物救済 旅行安全 無病息災など

島原市・三会(みえ)中学校から徒歩約3分