短時間で有酸素運動ができる細道

暖かくなると、運動嫌いな方でも、ちょっと体を動かしたくなりませんか? 今回の細道は、私のような面倒くさがり屋さん、必見! ちょっとの距離でもお手軽に有酸素運動ができちゃいそうな西坂から長崎駅周辺を巡ります。

 

 

 

 

 

 

は~、しかしようやく春が来た!という天気になりました。スタートは西坂公園。日本二十六聖人殉教地でもあり、2つの塔が印象的な聖フィリッポ教会(西坂教会)も望める公園です。

 

 

 

 

 

 

「長崎浦上街道ここに始まる」の碑がありました。二十六聖人たちが、真冬に歩いた道でもあります。今回は、こちらの道とは反対の、長崎駅方面へと向かいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さっそく素敵な小道発見。散歩に疲れたら、ちょっと座れる休み石もありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歩いて数分もたたないうちに本蓮寺に到着。本蓮寺は1620(元和6)年、大村本経寺住職の日慧が開創。お寺が建てられる前は、サン・ジョアン・バブチスタ教会とサン・ラザロ病院があったといわれています。教会跡にお寺を建てる……。時代の流れに翻弄された地でもありますなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本蓮寺はあの幕末の幕臣・勝海舟が4年ほど滞在したところでもあるんです。幕末ファンの方は要チェックです!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本蓮寺の本堂にたどり着くまでに、見どころ満載。この広々石段を上ったところが本堂です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本堂横にはなにやら「刷毛供養塔」という、比較的新しめの碑がありました。表具内装組合と刻まれているから、きっと表具・内装屋さんが使用している刷毛(はけ)を供養しつつ、商売繁盛もお願いしているのではないかと想像しました。

 

 

 

 

 

 

さらに裏手へ行くと石段が続く墓地が。ん?高木家墓地? さっそく行ってみることに。

 

 

 

 

 

 

市指定史跡にもなっている高木家墓地。町年寄であった高木家は、1739(元文4)年、八代・忠與(ただよ)の時、長崎代官三千石に任ぜられ、代々勝山町に住み、代官を勤めたそう。江戸期の長崎町年寄と代官の墓碑として五輪形式の墓碑が揃っているのが珍しいそうですよ。と案内看板に書いてありました♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あ、さっき行った聖フィリッポ教会が見えます。すごく上ったように見えますが、お寺からほんの数分。だけど、なかなかの高台で、石段もあるので行き来するだけで足腰が鍛えられます。コレが有酸素運動になると思う!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長崎のローカルTVで「お墓参りは軽登山」と言っていたのを思い出しました。そうそう、長崎のお墓ってだいたい、見晴らしの良い高台にあるんだよなぁ。もうすぐお彼岸ですが、それは自動的に軽登山をしなければならぬ日が来ることを意味している……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本蓮寺のお隣にある聖無動寺を通って下ることにしました。それにしてもこの肩幅ぐらいの石段!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おや、不動明王さま。すべての悪魔や煩悩を降伏させるために、お顔がこんなコワいんです。コワいけど優しい。今風にいうと、ツンデレ!? ちょいと違うか。

 

 

 

 

 

 

いい香りがするな~と思ったら、モクレンが咲き誇っていました。わぁ、キレイ!! お花見シーズンも到来。細道を歩きながら、ちょっとしたお花見も楽しめそうな春は、これからが本番です。

 

長崎市西坂公園~本蓮寺~聖無動寺

徒歩で往復約40分

 

 

 

 

冬の雨が似合う国際墓地へ

今回の細道は、長崎市稲佐エリアにやってまいりました。稲佐といえば稲佐山からの夜景が観光客に人気ですが、ひとことで「稲佐」といってもいろんな顔がある場所なんです。

 

 

 

 

 

 

 

今回は、観光名所というか、個人的にオススメしたい細道があるのでご紹介したいと思います。そう、稲佐悟真寺(ごしんじ)国際墓地です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

手ぶらでも案内看板や地図があるので大丈夫かと思われます。近くに公共トイレもありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

稲佐悟真寺国際墓地に行くには、バスが便利。近くのバス停の名前は、悟真寺前バス停。そのバス停近くに、さっそく看板が。唐人墓地祭場所(まつりばしょ)石壇です。戦時中、悟真寺境内の国際墓地内に移されていたそうですが、戦後再び現位置へ。1659(万治2)年、長崎在住の唐人たちが、死者の霊を慰めるための祭場所として作られたそうです。

 

 

 

 

 

 

 

小道に入ると蓮池があります。右の看板に書いてある言葉がしみる。看板横の小さな橋を渡ると稲佐悟真寺国際墓地ですが、ここから左の方へちょっと歩いてみることにしました。

 

 

 

 

 

 

 

蓮池を右手に細道をてくてく。私の中では、勝手にこの道を「蓮池ロード」と名づけました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

蓮池ロードは100mもないかも。道がふたまたに分かれていたので、左手の方へ足を進めてみました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すると悟真寺に到着するんです。1598(慶長3)年、聖誉が開創。開創当時は、キリスト教全盛の時代で、聖誉はなんとかして仏教を再興させたいと願っていたそうです。岩窟に隠れながら布教を続けたという話も残るほどガッツあふれるお坊さん。ちなみに、写真の悟真寺の赤門は1903(明治36)年に改修されたものです。

 

 

 

 

 

 

 

来た道をUターンし、蓮池ロードに戻ると、さきほどの蓮池の看板横にあった橋を渡ります。ここからが稲佐悟真寺国際墓地。石段が続きますよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

墓地というとなんとなく全体的にグレー一色の世界が広がりがちですが、石段にレンガ塀が、まるで異国に来たかのようです。ココが、私のオススメの細道。

 

 

 

 

 

 

 

ロシア人墓地があります。1858(安政5)年、ロシアのフリーゲート艦アスコルド号でコレラが発生し、死亡した乗組員を埋葬するために造られました。だけど、なんで稲佐でロシア?と思われる方もいると思いますが、1853(嘉永6)年、ロシア使節プチャーチンが長崎に来航し、稲佐に上陸を許されて以来、50年もの間、海軍の滞在地として賑わったという歴史があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ロシア人墓地の敷地内には入れませんが、レンガ塀のところからでも、写真の白いチャペルが見られます。かつては、ロシア艦隊が長崎で越冬し、稲佐一帯がロシア村と呼ばれていたほど。繁栄していた証のようです。

 

 

 

 

 

 

 

絵的にすごく長い道のりに見えますが、橋から最上段まで歩いて5分ほど。稲佐悟真寺国際墓地には、唐人墓地やオランダ人墓地などもあり、国境を越えた人々の思いが詰まっているようで、まったく関係のない私でも、稲佐の人々の大きな人間愛に、なんだかほろりとしてしまいます。

 

 

 

 

 

 

 

レンガ塀のある石段の最上段に到着。右手には長崎港が広がるナイスビュー! 上ったかい、大アリです。

 

 

 

 

 

 

 

ロシア人墓地は入れませんでしたが、向かいの墓地には入られたので、ちょっと失礼することに。ずんずん足を進めてみると、石碑発見。風化して墓石の文字が読めなくなる前にと、墓石の位置と名前が記された石碑でした。

 

 

 

 

 

 

 

ルイスさん、ソロモンさん……。もし、子孫が先祖の墓参りをすることがあったら、きっと感動するだろうなぁ。墓石の周りもキレイに清掃されてました。外国人であっても、日本人であっても、大事に弔う――そのことには、人種は関係ないと改めて感じた冬の雨降る散歩道でした。

 

長崎市稲佐蓮池~悟真寺~稲佐悟真寺国際墓地

往復徒歩30分

変化する楽しさを味わいつつ、出島をぐるり1周

今年もあと少し。みなさまにとって今年はどんな年でした? 今回の細道は、年末特別編。変わりゆく出島周辺を散策しますよ。

 

 

 

 

 

 

 

知っている方も多いと思われますが、出島は只今、工事中なんです。私が歩いたときは、長崎県庁側から出島電停辺りまで、ぐるりと囲いができていました。この囲いには、いろんな情報が書いてあったんです。

 

 

 

 

 

 

 

再び橋が架かり、2017年にリニューアル予定とな。出島と対岸の江戸町に出島表門橋が架かり、昔の出島へ行くルートが甦るらしい。

 

 

 

 

 

 

 

壮大なスケールで工事が進められている横で、このウサギが気になってしょうがなかったので、思わず激写。ズラズラッと並んだ姿が面白い。どうせだったら、長崎らしく尾曲がり猫にしてほしかった!?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あ、田上長崎市長だ。このポーズは、出島の扇形を表しているそうです。来年あたり長崎で流行るかも。

 

 

 

 

 

 

 

西側からはこんな感じです。撮影時は、2015年12月上旬。当然、出島表門橋はできていませんが、想像してみました。橋周辺には、公園も整備されます。

 

 

 

 

 

 

 

当コーナーにふさわしい細道を発見しました。ベンチもあって、国道沿いなのになんだか落ち着く空間。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

プチ細道の先にあったのは、西側護岸石垣でした。荷揚場の石垣で、オランダ船の積荷を揚げおろししていたそう。

 

 

 

 

 

 

 

現在は、こちらの西側メインゲートと東側ゲートの2カ所から、出島に入られます。

 

 

 

 

 

 

 

西側メインゲートから路面電車が走る南側へ。洋館を見ながら、ロマンチックに歩きたい派はこの細道がオススメ。左手には、明治36(1903)年、長崎に在留する外国人と日本人の親交を深める場として建てられた旧長崎内外クラブが見られます。

 

 

 

 

 

 

 

旧長崎内外クラブを通り過ぎてすぐのところに、また別の洋館が見えてきます。明治11(1878)年に建てられた旧出島神学校です。現存するわが国最古のキリスト教(プロテスタント)の神学校といわれています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神学校からすぐのところには、またまた史跡が。明治32(1899)年に、九州初の電話交換局がここにありました。当初、電話交換する業務にあたったのは女性。明治時代に、職業として女性が働くことは珍しかった。ここで働く女性たちは、当時の憧れの的だったそうです。

 

 

 

 

 

 

 

東側にやってきました。ここには、出島橋があります。明治23(1890)年に、中島川の河口に架けられていた鉄製の橋が、明治43(1910)年に移設され、名称も現在の出島橋へと変更。一般に使用されている道路橋としては、日本で最も古い橋梁です。

 

 

 

 

 

 

 

実は、出島商館員(年間パスポート)があります。大人820円と安かったので、思わず買っちゃいました。

 

 

 

 

 

 

 

来年、出島の中央部分に6棟の復元建造物が完成予定。輸入品を保管していた土蔵や、出島の管理人の詰め所など、当時の出島を忠実に再現するそうです。どんな風に変わっていくのか。特に、来年から2017年まで、目が離せません!

 

長崎市出島周辺・長崎県庁前~西側護岸石垣~

南側護岸石垣~出島橋まで

徒歩約30分※出島観覧時間含まず

秋が似合う石垣通りの城下町

シルバーウィークも過ぎ、レジャーに散財したという方も多いかと思われます。今回は、そんなお金がなくても楽しめる細道をご紹介します。ぐるっと歩けばダイエット効果も!? 大村市の武家屋敷通りをご案内。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

玖島城跡がある大村公園から交番横の道が、本小路(ほんこうじ)と呼ばれるところ。ここからスタートします。玖島城は、1599(慶長4)年に初代藩主・大村喜前(よしあき)が築いた城。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さっそく石碑が。本小路は玖島城の大手入口から約686メートルの通り。大村藩会所や上級家臣の屋敷が並んでいたそうです。別名・セレブストリート……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本小路には石井筆子像がありました。女性教育向上の先がけとして、長崎でも有名ですよね。また、知的障がい者への福祉や教育を推進した人物でもあります。鋭い眼差しが、信念の高さを物語っています。

 

 

 

 

 

 

 

こちらは五教館御成門(ごこうかんおなりもん)。五教館は、四代藩主・純忠がつくった集義館が前身の藩校です。藩士だけでなく、農民や町民も入学できたそう。それって、大河ドラマ「花燃ゆ」の舞台となった松下村塾よりずっと前のお話。ちょっと自慢したくなりました。五教館の卒業生たちは、松下村塾と同じく、幕末・明治維新にかけて活躍した偉人たちを多く輩出しています。藩主が使用した御成門は、現在、大村小学校の入学式や卒業式のときだけ、生徒がくぐるそう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さすが自転車の街、大村。自転車専用道路が多い。城下町の石垣を自転車で通り抜けるってなんだか絵になりますね。

 

 

 

 

 

 

 

五教館からJR大村線方向へ歩くこと数分で、この坂に到着。大村牢があったことから牢屋の坂といわれています。大村牢は1648(慶安元)年、三代藩主・純信の時に、長崎奉行からの要請で作られたそう。郡崩れの時のキリシタンや、幕末の大村騒動の囚人などが捕らえられていたそうです。

 

 

 

 

 

 

 

一瞬、字面が玖島城に見えましたが、久原城跡でした。久原城は、大村氏が最初に入った城です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さきほども書きましたが、JR大村線があり、旅情を誘います。レールを見ると、反射的に私の脳裏にはあの名曲「スタンド・バイ・ミー」が流れます。そして同タイトルの映画のワンシーンも。甘酸っぱい青春の思い出。

 

 

 

 

 

 

 

藩主に仕えた小姓が住んでいたので、この名前がついたとか。小姓をカタカナ表記にするとコショウ。あのスパイシーな香辛料を思い出した。今では、大村の武家屋敷街で最も多くの石垣が残ります。

 

 

 

 

 

 

 

あ、列車の下をくぐれる❤ 市街地に列車のある風景も大村ならではかも。

 

 

 

 

 

 

 

どこを歩いても美しい石垣が残っていて、個人的に終始大興奮。今度は、北の方向を目指すことにしました。すると、またまた素敵な通りが。上小路(うわこうじ)といいます。初めは、この辺りの地名の「尾上」が付いた尾上小路だったのが、省略されて上小路に。

 

 

 

 

 

 

 

今度は、上小路をUターンして市役所方面へ進みました。細道に何やら「大村一番地」と刻まれた石碑が。今でもココは一番地なんですかね。ここの石垣もまた立派だな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

石垣ならぬ生垣。これもきちんと剪定されていてキレイ。それにしても大村市民のメンテナンス力はすごいな。今でも殿への忠義心が残っているような。カッコイイ。

 

 

 

 

 

 

 

塀とか石垣に注目して歩いていたら、なんだか市役所の緑のカーテンまで気になってきた。それにしても、このアサガオ(だよね)、こんな伸びる!? にょきにょきっと2階まで、すっぽり! エコで電力削減de支出カット。この賢さ、なんとなく五教館スピリッツを感じました。飛躍しすぎ? いや、きっと殿もお喜びのはず!

大村市本小路~小姓小路~上小路~市役所

徒歩で約1時間

母の子への深い愛は永遠に

今年は、残暑も厳しい暑さが続きますねぇ。冷たいものを食べるだけではなく、コワい話やホラー映画を見て、体温を下げ、暑い夏を乗り切っているなんて方もいるのでは? 今回の細道は、そんな暑~い夏の特別編。長崎市の光源寺に伝わる不思議な幽霊話をご紹介しつつ、散策します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まずは、お話が伝わる光源寺を目指します。こちらは巍々(ぎぎ)山光源寺の参道入口。光源寺は、他の道からもアプローチできますが、今回は、わかりやすいルートから行くことにしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数分も歩かないうちに、左手に細道が見えてきました。お寺へ向かう前に、ちょっと寄り道。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宮地獄八幡神社です。なんと陶器製の鳥居があります! 神社自体は、1653(承応2)年の創立ですが、陶器製鳥居は1888(明治21)年に作られたそう。有田磁器窯による大型細工の鳥居は、国登録有形文化財にもなっています。見るだけでなく、実際に触れることができる文化財って貴重。ぜひ、立ち寄ってみてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

再び、参道に戻ることに。光源寺を通りすぎたところに、若宮稲荷神社があることから、この通りは「若宮通り」と名づけられていますが、幽霊坂と呼ぶ人もいます。名前の由来は、もちろん、光源寺の産女(うぐめ)の幽霊です。

 

 

 

 

 

 

 

道なりに歩いていくと、光源寺の堂々とした山門が見えてきます。おっ、「産女の幽霊 御開帳」の文字を発見。本日、8月16日が幽霊の御開帳となるのです! さっそく、お寺に行ってみました。

 

 

 

 

 

 

 

境内は、幽霊を見に来た人でいっぱい。夏休み中の子どもたちも、たくさん来ていました。

 

 

 

 

 

 

 

光源寺に伝わる産女の幽霊とは、土葬された身重の女性が、土中で子どもを産み、幽霊になっても子どものために、飴を夜な夜な買いに行くという話です。子を思う母親の気持ちは、温かく、時代が変わっても普遍的。個人的にこの話、大好きでもあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

毎年8月16日は、この幽霊木像が一般公開となる日なんです。目にはギヤマンが施され、体はやせ細った姿。目は、見る角度によって、キラリと光ります。もともとは、赤子を抱きかかえた姿だったらしい。ですが、原爆投下の影響で、なくなってしまったとか。幽霊木像を見る前に、紙芝居で話を聞きましたが、母性愛よりも木像のリアルさが勝ってしまったようで、大勢いた子どもたちが怖そうに見ていたのが、正直、ウケた。でも、確かにコワいな……。参拝後には、飴がもらえます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お寺裏には、赤子塚民話の碑もあります。案内看板をたどっていくと、すぐ、ありますよ。

 

 

 

 

 

 

 

赤子塚民話は、全国各地にあるそうです。長崎では飴ですが、他県では団子や砂糖など、幽霊が調達する食べ物はいろいろあるらしい。お坊さんから聞いたのですが、長崎のお母さん幽霊は、三途の川を渡るときに使う6文銭を飴を買うお金にしたとか。話の途中で、幽霊が「今日はお金がないけど、飴をわけてくれませんか」というくだりがあるのですが、それは、この6文銭を使い切ってしまったから。亡くなっても子どもを守る。母の愛は、どこまでも深い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

涼しくなったというより、感動の涙で浄化された感じになったなぁ。光源寺を後にし、寺町通りを浜町方向へ歩くことにしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

右へ下り、中通りへとやってきました。実は、産女の幽霊には続きがあるんです。その話と関係がある場所へご案内。

 

 

 

 

 

 

 

赤ちゃんは、飴屋の主人や光源寺の住職、町民たちのおかげで、父親のもとで育てられることになったのですが、助けてくれたお礼がしたいとのことで、飴屋に、あの幽霊が現れたのです。ご主人は、町内に水がないから困っていることを伝えると「自分の櫛が落ちているところを掘ると水が湧き出る」といって消えました。あくる日、櫛をたよりに掘ってみると、きれいな水が湧き出てきて、町内の人々は大喜びした――これが、お話の結末です。その井戸跡といわれるところが、こちら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ド派手な自販機の向かいに、この井戸跡があります。今日は、御開帳の日でもあったので、盛り塩がありました。しかし、なんと律儀な幽霊。母性愛もですが、右往左往しながらも町の人々たちが助ける人情深い、いい話! 不思議なお話を、頭で思い描きながら、アナタも町を散策してみませんか。

 

光源寺参道入口~光源寺~中通り

徒歩約20分

 

平和を願う散策の道

もうすぐ8月。今回の細道は、特別編でお送りします。今年は終戦70周年――8月9日が原爆投下の日となる長崎にとっても、いろいろな思いがあります。この日、子どもたちは臨時の登校日となり、大人も仕事の手を止め、11時2分に鳴るサイレンの音を聞きながら、平和への祈りを捧げています。今回は、原爆遺構のある山王神社周辺を歩きたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

国道206号線沿いの岩川町バス停から坂本町方面へ。「山王神社一の鳥居銘板」と書かれた看板からスタートしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふと見上げると、ちくわ!? キレイな焼き目もついて、見ているだけでお腹がすいてきました。ちくわを食べたくなった私は、この巨大オブジェを作った会社の思うツボ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほぼ真っすぐの道を前へ進むこと約5分、鳥居が見えてきました。山王神社の二の鳥居です。長崎人には「一本柱鳥居」といった方が、通りがいいかも。原爆投下前は4つあった鳥居。そのうち、一の鳥居(現在は残念ながらなくなりました)と二の鳥居が残りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

爆風に対して平行に建っていたため、半分が倒壊したものの、片方は残ったそう。こんなに頑丈な造りなのに、いとも簡単に切り取られたかのようになるなんて。凄まじい爆風の威力を想像するだけでゾッとします。

 

 

 

 

 

 

 

階段を上り、一本柱鳥居を通り抜けるとすぐに、何やら説明看板が。

 

 

 

 

 

 

 

説明看板下にあったのは、二の鳥居の吹き飛ばされた半分の部分でした。倒壊した鳥居をがれきの中から探す。当時の人々は、どのような思いで集めたのか――いろんな思いが錯綜しました。

 

 

 

 

 

 

 

鳥居から先へ進むと、浦上街道の碑があります。浦上街道は、現在の西彼杵郡時津町から長崎駅近くの西坂公園まで続く約12kmの街道です。かつて日本二十六聖人が通った道でもあり、今でも特別な道。

 

 

 

 

 

 

 

山王神社の方へ歩いてみました。すると、原爆投下時の、この界隈の様子が書かれていました。大勢の命が奪われることは、亡くなった人々はもちろん、目の当たりにした人々にとってもつらいこと。真新しい千羽鶴が、あの日の惨劇を忘れないという人々の誓いにも思えました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

山王神社の大クスです。樹齢500年以上で、幹回りが約8.6m(右)と約6.6mあります。一時は、爆風と熱線によって枯れかけましたが、2ヵ月後に再び芽吹いたといいます。原爆投下後は「長崎に草木は生えない」といわれていたと聞きました。そんな中、この大クスがどんなにか人々を慰め、希望を与えたことか。今でも枝葉を空いっぱいに広げ、堂々と呼吸しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大クスの横に階段があったので、上っていくと……。

 

 

 

 

 

 

 

大きな穴が空いています。空洞になっているんです。まるでヒトの切り傷のようで、見ていて痛くなりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この大クスの梢を通り抜ける風の音は、環境省認定の「日本の音百選」にもなっています。大クスの下にいると、ヒトの争いごとがちっぽけに見える。いつまでも平和な街であることを願ってやみません。

 

長崎市岩川町バス停~山王神社まで

徒歩で往復約30分

今が旬! 世界遺産候補の遺構巡り

長崎は、今、世界遺産ブームの兆し! 造船や炭坑跡などの近代化産業遺産群や、長崎に点在する教会群など、観光客数も急上昇中です。今回の細道は、そのブームにちゃっかり便乗しつつ、世界遺産候補の遺構が見られるところへ行ってみました。目指すは、長崎市にある小菅(こすげ)船修場跡です。

 

 

 

 

 

 

 

スタートは、旧香港上海銀行のところから。長崎人が思い描く、小菅修船場跡の場所は「戸町トンネル周辺にある」ぐらいだと思われます。なぜかって、確かに国道沿いでわかりやすいところにありますが、車で素通りする人がほとんどじゃないかな~と。なんとなく場所はわかる。だけど直接、修船場跡まで行ったことがない――ややもどかしい気分のみなさんを想定しながら、徒歩で行ってみました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

国道499号線沿いを長崎市街地から戸町方面へ歩きます。かく言う私も、前文で書いた「もやもや発言」のひとり。車では何度も通ったけどね~。もしかして、この細道を歩くのも人生初かも。国道499号線沿いは交通量が多いので、歩くときはくれぐれもご注意を。細道の脇に「どれでも100円」の良心的価格の自販機を発見。今じゃ飲み物もワンコインって少ないですよね。なんか得した気分♪

 

 

 

 

 

 

 

小菅=こすげ、と読むのも少し躊躇してしまいそうですが、こちらも間違えて「ふるかわまち」と読みますよね。正解は「ふるこまち」。なんで河を「こ」と読むのか……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小菅エリアは、今でも造船の町。国道沿いには、長崎のモノづくりを牽引し続ける企業が立ち並んでいます。そんな通りで、ドデカい碇を見つけました。食いしん坊の私は、某ソースを連想しちゃった。しかし、こんなに間近に碇を見たのも人生初かも。初物づくしなプチ旅だわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当コーナーにピッタリの、面白いぐらいの細い歩道が登場。お友だちと並んで歩くのは、ほぼ不可能。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな細道を1人、ニヤニヤしながら歩いていると、武雄競輪の看板を見つけました。一瞬、児童が雑巾がけをしているように見えた。見えませんか?

 

 

 

 

 

 

 

さきほどの細道は、ほんの数十メートルぐらい。その先に、突然といってもいいくらい、長崎港と、電波塔がそびえ立つ稲佐山が見えてきました。

 

 

 

 

 

 

 

小菅バス停から海側に目をやると、小菅修船場跡がもう、見えました。私が行ったのは、今月中旬でしたが、このときは、まだ無料で見学できました。世界遺産登録後は、どうなるのかしら? ちなみに、駐車場はありません! 私みたいに「市街地から歩くのは嫌」という方には、路線バスがオススメです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

修船場の全景が撮りたいなと、高台を目指し、近くをウロウロ。大好きな猫がいっぱいいたので迷わず、こちらの石段の坂道を選びました。人懐っこい長崎の猫も、世界遺産になればいいのに……。

 

 

 

 

 

 

 

上り切ったら、小ヶ倉バイパスに出ました。レストランの牛右衛門あたりから、ちょっと下をのぞかせていただくと……アレ。木が覆い茂って、あまりよくわからん……。しかし、写真手前の国道のカーブがすごいな。

 

 

 

 

 

 

 

前のカーブから、さらに右へパーン。すると、ドックらしいクレーンが見えました。この風景も、長崎人にとってはおなじみです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生い茂る木々に、やや埋没気味の案内看板。今さらながら、国指定史跡の文字に驚いてしまいました。数名の警備員がいて、またしても驚きましたが、修船場跡を見に来たことを告げると、あっさり「ハイハイ、どうぞ」と通してくれました。観光客が車で来たりするので、一応チェックしているみたい。

 

 

 

 

 

 

 

船を引き揚げるレールについた船架がソロバンに見えるから「ソロバンドック」かぁ。長崎人の会話にも「あのソロバンドックらへんさぁ~」といった具合にわりとよく耳にします。小菅修船場跡といわれるよりも、この通称の方が通りがイイ。ネーミング大賞というのがあったら、大賞がほしいぐらいです。

 

 

 

 

 

 

 

明治元年(1868年)に完成した日本初の近代的洋式ドックというだけあって、曳揚小屋もハイカラな造り。正面からだとわかりにくいのですが、横から見ると……なんと立派なレンガ造り! 見る角度で建物のイメージが変わる、ちょっと不思議な感じです。ちなみにこのレンガ、コンニャクレンガって言うんですよ。コレもネーミング大賞だ!

 

 

 

 

 

 

 

昭和44年4月に国指定史跡になったと書かれていました。明治元年の落成式当日、イギリスから機械を輸入したグラバーが、自らが所有する船を船台に曳き揚げて、参列者に見せたそう。みんな、その蒸気機関の動力の凄さにビックリ!したという話も残っています。ここから、近代造船の歴史が始まるのかぁ。偉人たちのモノづくりへの熱い魂を感じられる細道となりました。

 

長崎市松が枝町から小菅修船場跡まで

片道徒歩で約30分

植木の里で心身ともに癒される

今回の細道は、緑あふれる植木の里・長崎市古賀エリアを巡ります。新緑が美しい季節を歩きながら満喫してみませんか? 目にも優しいグリーンの世界で、身も心もリフレッシュ。

 

 

 

 

 

 

 

国道34号線から、飲食店の松勝の方に入ると「長崎市植木センター」に到着。車で来た方は、こちらに駐車して歩くことをおすすめします。ちなみに、植木センターでは植木に関する情報や相談などを受け付けているので、ガーデニングで悩んでいる方は足を運ぶといいかも。

 

 

 

 

 

 

 

植木センターの駐車場近くにある古賀エリアの地図。散策前に周囲を確認できます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さっそく植木センターのそばに素敵な橋が。間ノ瀬川に架かった小さな橋は、古賀みどり橋といいます。名前にピッタリの緑豊かな橋ですね。

 

 

 

 

 

 

 

古賀みどり橋を渡ると、舗装された道が川沿いに続きます。右の土塀と門がカッコイイ。

 

 

 

 

 

 

 

植木センターから車で2、3分のところにJR肥前古賀駅があります。私は、あまり土地勘がないので、ココを基点にウロウロ散策してみることにしました。駐車場は有料ですが、トイレもあり、中高年にとっては心強い!?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高架下の道を上って行くことにしました。なだらかな上り坂が続きます。余談ですが、高架下ってなんかテンション上がりませんか? 汽車が通っているときに下をくぐってみたい衝動にかられます。

 

 

 

 

 

 

 

松原公民館を左手にしてさらに進んでいくと……。

 

 

 

 

 

 

 

珍しい植物発見! ブラシノキといいます。その名の通り、水筒とかの底を楽々と洗えそうなブラシみたい。採っちゃいかんけどね。新緑の中に、この赤色が目を引きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なかなか途絶えない上り坂をいくと、美しい木々が囲うように木陰を作っていました。涼しい~。ふと見上げると、あ、モミジ! もちろん、秋がハイシーズンですが、初夏のモミジも乙なもの。緑も清々しく、生き生きとしているので、見るだけで元気がもらえます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

モミジのトンネルをくぐり抜けると、右手にミニ階段が。そういえば、恵比須神社があるって植木センターの地図で見た。せっかくなので、恵比須さまに挨拶してみることにしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さきほどの階段のところから、ゲートボール場を通り抜け、1分もかからないところに恵比須さまがいらっしゃいました。恵比須さまの周辺がキレイにお掃除されていましたよ。地元の方々の愛を感じるなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

恵比須さまのお隣にある「古賀植木創業記念碑」。古賀の植木の歴史は古く、なんと江戸の元禄時代までさかのぼるそうです。幕末には、長崎の貿易商たちが海外へ輸出していたとか。昔も今も、古賀の主流産業なんですね。恵比須さまからUターンして、今度は下ることにしました。ラストは、赤瀬邸の日本一のラカンマキを目指します。

 

 

 

 

 

 

 

写真右側の巨木がラカンマキです。明らかに周りの木々よりも大きい! 樹齢約600年というから驚きです。このラカンマキを母樹として挿し木で多くの植木が生産されているそう。圧倒的な存在感を放つラカンマキを前にすると、私なんてまだまだひよっこ。日常の悩みは塵にもならない……と思いましたが、逆に勇気が湧いてきて、復路の足取りがなんとなく軽くなったのでした。

 

JR肥前古賀駅~恵比須神社~赤瀬邸のラカンマキ

徒歩約1時間

 

GW押し! 人気の龍馬通りへGO!

春休みが終わったかと思えば、次はゴールデンウィーク。今回の細道は、そんなゴールデンウィークにぜひ! 細道の王道とでもいうべき、龍馬通りをご案内します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スタートはこちらから。一番わかりやすいと思われる深崇寺と禅林寺の間の細道をセレクトしました。この道を、亀山社中の同志たちが歩いたといわれています。まあ、今は、キレイに舗装されていますが。大志を抱き、いざ、行かん!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

龍馬通りの楽しみのひとつがコレ。小型立体龍馬像と一句をしたためた看板です。目にした瞬間、思わず口に出して読む確率ほぼ100%。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あ、長次郎さま❤ 幕末の志士で誰が好きかといわれると、私は近藤長次郎かも。なかなかのイケメンじゃないですか~。しかも、頭いいし。大河ドラマ「龍馬伝」で俳優の大泉洋さんが演じていましたね。

 

 

 

 

 

 

 

長崎は、偉人さんのお墓がとにかく多い。龍馬通りから少し入ったこちらの墓所にも、郷土史家で長崎文庫(現 県立長崎図書館)を設立した香月薫平や、長崎を代表する画人のひとり・木下逸雲のお墓があります。それにしても、この看板、最近立てられたよね?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が行った時が、桜が満開の花見シーズンでもあり、お子さんたちの春休み期間中でもありで、龍馬通りもなかなかの混みようでした。ファミリー客が多い気がしたなぁ。お父さんの幕末知識もきっと全開。父の威厳を保つ好機ですぞ!!

 

 

 

 

 

 

 

亀山社中跡に建つ亀山社中記念館に到着しました。亀山社中は、坂本龍馬とその同志たちにより結成された日本初の商社。激動の時代を生き抜いた志士たちの軌跡をたどることができます。若き日の志士たちが集結して、未来を語り合った場所――同じ空気を吸いたい。思わず、深く息を吸ってしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

亀山社中記念館のすぐそばにあるぶーつ像。坂本龍馬が、日本で初めてブーツを履いたというエピソードにちなんで作られています。

 

 

 

 

 

 

 

やっぱり足を入れたくなったので、突っ込みながら撮影。もちろん、靴を履いたまま、足を入れていいんです。龍馬さんが見た景色と変わっただろうけど、ここから見た長崎はホント、よかばい。

 

 

 

 

 

 

 

再び龍馬通りへ。今度は龍馬之像がある風頭公園へと向かうことにしました。通りを歩いたからには、やはり彼に会いにいかないと。

 

 

 

 

 

 

 

なだらかな石段が続く細道を上り切ると、このミニ龍馬像がお出迎え。

 

 

 

 

 

 

 

幕末の志士たちが、どこまでも丁寧にアナタをエスコート(看板だけどね)。マメな看板配置で、県外人も迷うことは、ほぼナイと思います。

 

 

 

 

 

 

 

さきほどのエスコート看板から、歩いて約5分のところにあります。しかし、いつみても龍馬さんはカッコよか~。全国の龍馬ファンからも、この龍馬之像はかなりの好評価なんだとか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ミニ龍馬像のところまで戻り、今度は右側の道を下り、さらにこの細道を歩くことにしました。うぉっ、ココもなかなかのくねくね具合。

 

 

 

 

 

 

 

迷うことなく亀山社中資料展示場に到着。幕末の志士はもちろん、幕末~明治時代の長崎に関する古写真や、龍馬の手紙の写しなど、幕末ファン垂涎の展示場です。

 

 

 

 

 

 

 

細道がミツマタに分かれていたところにも、このマップ付き看板がありました。細道案内に抜かりなし。ホントにマメだわ~。このマメな看板設置に、相変わらずの龍馬人気を感じました。今年のGWも混雑するでしょうが、でも、やっぱり歩きたい! そんな気分にさせてくれます。

 

寺町・龍馬通り~亀山社中記念館~風頭公園(坂本龍馬之像)

徒歩で約1時間(往復)

 

 

様々な物語が残る魅惑のエリア

ここは、長崎市夫婦川町のトッポ水といわれる場所。夫婦川町公民館からすぐのところにあります。今回の細道は、春だから春の名前がつく春徳寺周辺を散策してみることにします!

 

 

 

 

 

 

 

手前がトッポ水の建物です。トッポと聞くと、某有名お菓子を連想してしまった私ですが、説明看板によると、弘法大師が獨鈷(どっこ)で地面を掘ったら、水が湧き出てきたので、この名前がついたとのこと。どっこが転じてトッポかぁ。ちなみに、この水を雌川(めがわ)、春徳寺下の斎道寺泉を雄川(おがわ)と呼び、この2つの水が夫婦川の町名の由来ともなっているそう。江戸時代には、長崎に来航する船舶に補給する飲料水でもあったとか。現在は飲むことはできませんが。昔も今も、町の人々の心をそっと、癒やしています。

 

 

 

 

 

 

 

トッポ水から石段を上ると、このお地蔵さまのところに到着。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お地蔵さまから、さらにこの石段を上れば、春徳寺にたどり着きます。それにしても大木の根もとがすごいことになっとる! 自然の力強さを感じます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

春徳寺に向かう前に、迂回してみることにしました。頭上が駐車場になっているので、下の道がトンネルになっています。突然の雨もしのげそう。

 

 

 

 

 

 

 

迷わず行けよ。行けばわかるさ――とお地蔵さまたちの声が聞こえた(ような)。それぞれにお顔が違っているので、思わず自分好みのお地蔵さまを探してしまいました。昔の人は、丁寧に作るなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あ、コレは! 長崎ならではといっていいかも。坂道が多い長崎では、ゴミ回収時に、写真の緑色のカゴを使い、ソリのように引いて坂を下っていくのです。体力勝負ですな。

 

 

 

 

 

 

 

春徳寺といえば、県指定有形文化財にもなっている唐通事・東海家の墓があることでも有名です。この看板から、もう右手に見えています。ちょっと、寄り道して拝観しました。

 

 

 

 

 

 

 

カメラの広角レンズを駆使しても、お墓の全部を収めきれないぐらいの広さ。どんだけお金持ちだったの?と俗世で生きる私はひとりごちた。この墓は、二代目・東海徳左衛門が、父母のために作らせたという温かなエピソードも残っています。

 

 

 

 

 

 

 

長崎のお墓は、見晴らしの良いところにつくる。ご先祖さまに、いつまでも美しい風景を見てほしいとの願いも込められているのでしょうね。しかし、参る側は、体力的になかなかしんどいと思われますが。東海家の墓からの眺望はこんな感じです。

 

 

 

 

 

 

 

東海家の墓から、さらに上へ行くことに。実は、個人的に行きたかったところがあります。それは、春徳寺から上へ行った城の古址(しろのこし)。全国的にブームとなっている城の石垣を見たくて、というワケではありませんが、最近、知った「長崎の伝説」の舞台となったところでありまして……。

 

 

 

 

 

 

 

さきほどの階段から、歩くこと数分でこちらにたどり着きました。龍頭岩といわれています。伝説とは――昔、笛が上手なお竹という娘が、毎日夕方にこの岩の上で笛を吹いていました。すると、ひとりの美少年が現れ、たちまち2人は恋に落ちました。でも、日に日に、お竹の様子がおかしくなるので、祈祷してもらうことに。正気を取り戻したけど、その後、龍頭岩にあの美少年が現れた。怪しいと思った修験者が大声で一喝すると、瞬く間に大蛇の精になった……。その日から岩を叩くと「タンタンタケジョ」と音がするようになったとさ――気になって、この伝説が書かれた本やインターネットを見たのですが、話がちょこちょこ違っていました。辺りには大岩がゴロゴロしていたので、龍頭岩が本当にこの岩なのか、あまり定かではありません……。にしても2人(詳しくは1人と1匹)とも両想いだったからいいじゃん。なんていうのは無責任かな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

失礼して柵の中の不動明王さまを撮影。心なしか不動明王さまにしては、スリムで端正なお顔立ちのような気がしました。もしや大蛇の精が宿ったか!?

 

 

 

 

 

 

 

城の古址から華獄山春徳寺の方へ。春徳寺も見どころ満載です。長崎初のトードス・オス・サントス教会跡であったため、コレジヨやセミナリオも置かれていたとか。禁教時代にすべて取り壊されてしまうのですが、遺構として当時の井戸が残っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後は春徳寺通りへと下りました。1567年(永禄10年)頃、長崎に初めてキリスト教を布教したルイス・デ・アルメイダの渡来記念碑や、近くには日本初の煙草の栽培地もあります。数十メートルの道には歴史がいっぱい。ドラマチックな春徳寺周辺のプチ旅となりました。

 

トッポ水~東海家の墓~城の古址~春徳寺通り

歩いた時間 約1時間