平和を願う散策の道

もうすぐ8月。今回の細道は、特別編でお送りします。今年は終戦70周年――8月9日が原爆投下の日となる長崎にとっても、いろいろな思いがあります。この日、子どもたちは臨時の登校日となり、大人も仕事の手を止め、11時2分に鳴るサイレンの音を聞きながら、平和への祈りを捧げています。今回は、原爆遺構のある山王神社周辺を歩きたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

国道206号線沿いの岩川町バス停から坂本町方面へ。「山王神社一の鳥居銘板」と書かれた看板からスタートしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふと見上げると、ちくわ!? キレイな焼き目もついて、見ているだけでお腹がすいてきました。ちくわを食べたくなった私は、この巨大オブジェを作った会社の思うツボ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほぼ真っすぐの道を前へ進むこと約5分、鳥居が見えてきました。山王神社の二の鳥居です。長崎人には「一本柱鳥居」といった方が、通りがいいかも。原爆投下前は4つあった鳥居。そのうち、一の鳥居(現在は残念ながらなくなりました)と二の鳥居が残りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

爆風に対して平行に建っていたため、半分が倒壊したものの、片方は残ったそう。こんなに頑丈な造りなのに、いとも簡単に切り取られたかのようになるなんて。凄まじい爆風の威力を想像するだけでゾッとします。

 

 

 

 

 

 

 

階段を上り、一本柱鳥居を通り抜けるとすぐに、何やら説明看板が。

 

 

 

 

 

 

 

説明看板下にあったのは、二の鳥居の吹き飛ばされた半分の部分でした。倒壊した鳥居をがれきの中から探す。当時の人々は、どのような思いで集めたのか――いろんな思いが錯綜しました。

 

 

 

 

 

 

 

鳥居から先へ進むと、浦上街道の碑があります。浦上街道は、現在の西彼杵郡時津町から長崎駅近くの西坂公園まで続く約12kmの街道です。かつて日本二十六聖人が通った道でもあり、今でも特別な道。

 

 

 

 

 

 

 

山王神社の方へ歩いてみました。すると、原爆投下時の、この界隈の様子が書かれていました。大勢の命が奪われることは、亡くなった人々はもちろん、目の当たりにした人々にとってもつらいこと。真新しい千羽鶴が、あの日の惨劇を忘れないという人々の誓いにも思えました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

山王神社の大クスです。樹齢500年以上で、幹回りが約8.6m(右)と約6.6mあります。一時は、爆風と熱線によって枯れかけましたが、2ヵ月後に再び芽吹いたといいます。原爆投下後は「長崎に草木は生えない」といわれていたと聞きました。そんな中、この大クスがどんなにか人々を慰め、希望を与えたことか。今でも枝葉を空いっぱいに広げ、堂々と呼吸しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大クスの横に階段があったので、上っていくと……。

 

 

 

 

 

 

 

大きな穴が空いています。空洞になっているんです。まるでヒトの切り傷のようで、見ていて痛くなりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この大クスの梢を通り抜ける風の音は、環境省認定の「日本の音百選」にもなっています。大クスの下にいると、ヒトの争いごとがちっぽけに見える。いつまでも平和な街であることを願ってやみません。

 

長崎市岩川町バス停~山王神社まで

徒歩で往復約30分

軍艦島物語③

 日本で初めての鉄筋コンクリート製の建物は、明治44(1911)年に建てられた、神奈川県横浜市の4階建てのオフィスビル、三井物産横浜支店ビルだと言われています。

 端島では大正5(1916)年に鉄筋コンクリート製のアパートが完成しました。当初は4階建ての予定でしたが、増加を続ける人口に対応するため、後に7階建てに建て増しされました。その結果、このアパートは日本で初めての高層アパートとなりました。これが現在、崩落の危機にありながらも、軍艦島の象徴的な建造物としてファンが多い、「30号棟」と呼ばれる建物です。

 これほど歴史ある建物ですが、竣工当時の資料などはほとんどなく、設計者の名前もわかっていません。

 30号棟の完成後は7〜10階建ての鉄筋高層アパートが次々に建てられ、その数は優に70棟を越えました。

紺碧の海を眺めつつ釣り三昧

日中の気温もグッと上がり、夏らしい天気が続く長崎。みなさま、ごきげんいかがですか? 今回の釣りスポットは、コバルトブルーの海を眺めるだけで気分も上がる雲仙市小浜町に行ってみましたよ。

 

 

 

 

 

 

 

雲仙市小浜町といえば、町のあちこちに見られる温泉の蒸気が気になります。近頃では、浸かる温泉以外にも発電などに活かしたりして、有効活用しているって聞いたことある。その中のひとつが、蒸し釜やさん。カニや野菜などを蒸して提供してくれるところです。食材を蒸すと、さらに旨味を増すっていうし。イベント性も高いので、夏の思い出にぜひ。

 

 

 

 

 

 

 

以前、小浜のマリーナあたりで釣り人を見かけたことがあったけど、この日はいなかったので、雲仙署近くにある「港の広場」の波止場に行ってみると……オ~ッ、釣り人発見。

 

 

 

 

 

 

 

防波堤を渡ってみると、意外どころか、高所恐怖症な私にとっては相当高かった。ちゃんとはしごがあるので、わざわざ上って行かなくてもいいんです。上った後、気づきました。

 

 

 

 

 

 

 

波止場周辺は、工事中でしたが、通れました。砂の山が砂漠に見えてきた……。

 

 

 

 

 

 

 

後で聞いたのですが、お2人は知り合いでもなんでもないらしいです。でも、同じ趣味の釣りの話で盛り上がりそうな距離。実際、仲良さげでした。人と人とのコミュニケーションツールとして釣りって最適なのかも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さっそく、上写真の左側のオジさんに、いろいろと話を聞いてみました。島原半島は海に囲まれているから、特定の釣り場に行くというより、自分好みの場所を探すといった感覚なんだとか。島原半島をぐるり1周して、釣り旅をしたこともあるそうです。「若い時は、絶対釣ってやる!って意気込んでいたけど、今は違う。釣り方に余裕が出てきた気がする」とも。年齢を重ねて、釣りの楽しみ方が変わってくる。大人になるのも悪くない、ですね!

 

 

 

 

 

 

 

オジさんは、ガツガツしなくなったら、当たりだした!? 8時頃から来て、只今10時ちょいすぎ。すでに立派な魚を2匹ゲットしていました。自然に任せる大人のゆとり戦法とでも名付けましょうか――なかなかの釣果ですな。

 

 

 

 

 

 

 

「私も初めてこういう赤い魚を釣ったもんねぇ。何やろか」とオジさん。ちなみに、オジさんが狙っていたのはメイタ、できればチヌ。実は、先週もここに来て、大きいのが釣れたそう。丸々と太って美味しそうだ~。

 

 

 

 

 

 

 

立派な魚を見せていただき、なんだか自分が釣った気分になりつつ、波止場を去ろうとすると、やたら人なつっこい蝶々に出会いました。久々に見たなぁ。小浜の海に似合う、淡いグリーンの夏色した蝶々でした。写真がちょいとブレましたが。

 

 

 

 

 

 

 

港の広場から蒸し釜やさんに戻ると、この看板を見つけました。観光釣りもできるそうです。ビギナーの方は、この夏、トライしてみてはいかが?

 

雲仙市小浜町港の広場

長崎駅~小浜町まで車で約1時間半

 

軍艦島物語 その2

 明治時代になり、いろいろな実業家たちが事業としての採炭に名乗りをあげました。

しかし、どれも失敗。やがて1870(明治3)年、天草の小山秀之進がどうにか端島炭坑を

 

開きましたが、これもまた失敗に終わりました。

その後、鍋島孫六郎、渡辺元を経て1890(明治23年)に、三菱社が権利を買い取り、

本格的な採炭事業を始めました。

 1893(明治26)年には端島の拡張工事がスタート。

1931(昭和6)年までの間に、6回に渡って工事が行われ、最終的には3倍の大きさになりました。

異色のコラボ! ハスとひょっとこで気分も上々

長崎も連日、うだるようなむし暑さ。体力も笑う気力もない。そんな方は、よっといで♪ 美しいハスの花とひょっとこ踊りがユニークな唐比ハス祭りに行ってきました。

 

 

 

 

 

 

 

ハスの花は、6月下旬から8月中旬あたりまで見られるとのこと。一番の見頃となる7月上旬に、唐比ハス祭りがあります。今年は7月4、5日でした。4日はあいにくの雨だったけど、5日はこ~んなに晴天! 家族連れやカップルのお客さんが多かったな~。約2ヘクタールのハス園だから、結構、歩く。動きやすい恰好で来た方がベストかも。ハスの種類は約13種類あり、園内には、ネームプレートがきちんと設置されています。歩きながらお好みのハスの花を探してくださいね。ちなみに、私は「王子蓮」にくいつきました。気高く、美しい王子……妄想がふくらみました。あ、「おうじばす」と読むそうです。

 

 

 

 

 

 

 

白いハス、ピンクのハス――いろんなハスの花があって、本当にうっとりしちゃいます。あ~、この世の極楽や~。カメラ片手に散策という方も多かったですよ。アナタもぜひ!

 

 

 

 

 

 

 

ハスの花にうっとりしていると、ステージ方面から何やら太鼓の音がドンドコ。チラシによると「唐比子ども浮立」と「田尻五穀ひょっとこ踊り」があるみたいです。さっそく、行ってみることに。

 

 

 

 

 

 

 

子どもたちが太鼓を叩いていました。もともと浮立とは、平安時代に行われていた踊りの一種。「風流」といわれていたのが、やがて「浮立」になり、現代では五穀豊穣などを祝うお祭りとして根づいています。地域により、雨乞いとか災難除けなど、お願いごともさまざま。奉納する踊りもいろいろです。

 

 

 

 

 

 

 

子どもに代わり、大人バージョンの浮立も。後日、お祭り関係の本を読みましたが、森山町、というか諫早平野とその周辺地域では、田祈祷(たきとう)と呼ばれる祭りが行われているそう。書いて字のごとく、田植えが終了した「作付け上がり」を祝うお祭りで、豊作を祈願するために、田んぼの周辺で奉納していたとか。今でも行っているんですかね? 

 

 

 

 

 

 

 

太鼓だけでなく、笛や鉦の音色も。笛の澄み渡る音色は、心に響くようで、いいですよね。

 

 

 

 

 

 

 

やや緊張感のあった唐比子ども浮立の後、一転して陽気な笛の音色が。突如現れたのは……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

田尻五穀ひょっとこ踊りです。森山五穀連のノボリがまぶしい。田尻地区も浮立を奉納していたそうですが、ひょっとこ踊りも浮立の一部なのか!? その辺、ご存知の方は、ぜひご一報ください。

 

 

 

 

 

 

 

ひょっとこ以外にも面白い顔……いや、お面をつけて踊るみなさま。振り付けが、音楽にバッチリ合っていました。それでは、しばし、ひょっとこ踊りを静止画面でご観覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

白狐!

 

 

 

 

 

 

 

おかめ!!

 

 

 

 

 

 

 

ひょっとこ!!!

 

 

 

 

 

 

 

たぶん親子共演。お子さんは今、己の身に何が起こっているのか、恐らくわかっていないと思われます……。

 

 

 

 

 

 

 

ひょっとこさんが踊りを見ていた子どもたちと写真撮影。意外にも子どもって喜びが薄い。それよりも、ちょっと怖いのか!?

 

 

 

 

 

 

 

怖がる子どもたちをヨソに、大人は終始笑いっぱなし。私も、いつの間にか笑っちゃった。悲しみも、悩みも、面白ひょっとこ踊りでぶっ飛びました~!!

 

唐比子ども浮立・田尻五穀ひょっとこ踊り(唐比ハス祭り)

唐比ハス園

駐車場あり

五島列島福江島沖の黄島グレ釣行

11月11日に長崎市野母崎沖の三ツ瀬に釣行した。船長の話では、水温が安定しないせいか、全体的に食い渋っているとのことである。

渡船:おうしま                       上礁した中美漁の水道

“五島列島福江島沖の黄島グレ釣行” の続きを読む

軍艦島物語

 2015年7月5日、ユネスコ世界遺産委員会は、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」(長崎県を含めた8県の23施設)を、世界文化遺産に登録することを決めました。選ばれた23施設のうち、8施設は長崎市内にあり、日本における産業革命での長崎県の功績を物語っています。

 日本の産業を近代化に導いた8つの構成資産「高島炭坑」「端島炭坑」「旧グラバー住宅」「小菅修船場跡」「三菱長崎造船所第三船渠」「三菱長崎造船所ジャイアント・カンチ・レバークレーン」「三菱長崎造船所旧木型場」「三菱長崎造船所占勝閣」には、どれにも様々なエピソードがありますが、中でも軍艦島(端島炭坑)は群を抜いています。ここでは、数奇な運命に翻弄され続けた軍艦島(端島炭坑)についてお話していきます。

 

軍艦島物語 その1

 時には来る者を拒む要塞のようにも見える迫力満点の軍艦島ですが、元々は南北約320m、東西約120m程度の小さな岩礁でした。幕末時代にはすでに、石炭がとれることは知られていました。近隣の漁師たちが島に渡り、必要な分だけ掘り起こし、燃料として使用していたようです。のどかな時代でしたね。 

 かつて長崎県は、国内有数の出炭県でした。県内には多くの炭坑がありましたが、そのなかでも長崎市の高島炭坑は、元禄時代から石炭の島として知られた存在でした。高島炭坑の本格的な開発は慶応4年に始まりましたが、高島炭坑の支抗として開発が始まったのが端島炭坑でした。ところがこの小さな島は、いざ掘り始めてみれば本抗にも負けない優良炭と埋蔵量を持った宝の島でした。

 こうして西の果て、長崎市の沖に浮かぶ小さな島・端島は、巨額の資金を投入され、当時の日本の最先端の技術で構築された採炭のための人工島として、スタートを切ったのです。

森林浴のロケーションからもパワーをもらえる

今日は7月7日の七夕。今回のパワースポットは、そんな七夕ともちょっと関係のある場所をご案内。長崎市・稲佐エリアにある淵神社に行ってみました。

 

 

 

 

 

 

 

淵神社は、ロープウェイ前バス停からすぐのところにあります。正面の鳥居からではなく、駐車場近くの朱色の鳥居から入りました。ちなみに、現在、ロープウェイは工事のため休業中です。お気をつけあそばせ。

 

 

 

 

 

 

 

境内に入ってすぐのところに土俵がありました。相撲を奉納することもあるのかな?? 全然関係ありませんが、私のいとこは、幼い頃、TVで土俵に座布団が投げ入れられる光景を観て、力士になりたいといってました。そこに憧れたか……と内心ウケましたが。ちびっ子相撲とか見てみたいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

江戸時代、長崎奉行の川口摂津守源左衛門宗恒が寄進した燈籠がありました。何度か移設されて、今のところに落ち着いたようです。初めは、淵神社の参道前の海中にあったとか。船からの参拝客のため、燈台の役割もしていたそうですよ。海に照らされた燈籠の明かりを頼りに神社へと向かうなんて、なんだがロマンチックでもありますな~。

 

 

 

 

 

 

 

周囲の木々に、朱色の拝殿が映えてキレイ。撮影時が夏越祭り前だったので、参拝客をくぐらせて、祓い清める茅の輪(ちのわ)が用意されていました。

 

 

 

 

 

 

 

拝殿横から奥へ入ってみると、今回のパワースポットの登場です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私がオススメしたいのが、こちらの桑姫社。キリシタン大名・大友宗麟の孫にあたる姫君が、長崎に亡命し、隠れ住んだといわれています。この姫君は、桑を植え、蚕を飼い、近隣の娘たちに糸の紡ぎ方を教えたとか。だから「桑姫」なんですね。旧暦の七夕の日が命日だそう。しかも、七夕の乙姫も桑姫も織物つながり。写真とかナイのでわかりませんが、きっと聡明で美しい姫君だったんだろうなぁ。今では、縁結びの神として知られています。

 

 

 

 

 

 

 

桑姫社から、さらに山の方へ。歩いて1分もかからない山林に、不思議なオーラを放つ6つの祠が見えてくるはず。ココが、もうひとつのパワースポット。

 

 

 

 

 

 

 

十二支神社といいます。自分の干支から数えて7番目の干支を「向かい干支」といい、その2つを大事にすると、ともに高め合い、足りないところを補って、良い方向へと導いてくれるとか。せっかくなので、やや職権乱用的ではありますが、私の干支・戌年を例にレッツ願掛け。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

辰戌社と書いてあります。戌年から7番目は辰年か。祠に貼ってあった説明文を読むと、辰年生まれの方は「追いかける理想やロマンが大きく、周囲から頼りにされる人」だそう。確かに、私にはまったく心当たりがない要素づくし。戌年生まれは「純粋で飾り気がなく何事にもやる気があり明朗」とありました。やる気だけは一人前……天才的な素質が感じられない戌年の説明文を読んで、妙に納得してしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あ、犬のイラストが入った提灯が可愛い。もちろん、ほかの干支入り提灯もあります。ご自分の干支が入った提灯とツーショット写真なんていかがです? 願掛けにも気合いが入ります。

 

 

 

 

 

 

 

祠にはお賽銭を入れられるようになっているので、賽銭を入れて願掛けをしました。縁結び・学業成就・安産祈願など、ご利益もいっぱい。では、私も。壮大な夢を描く青年(できれば美男子)との出会い、求む……。

 

 

 

 

 

 

 

祠の横には、絵馬も掲げてありました。願い事をチラ見すると、やはり「良縁」「安産」「合格」の3本柱が多かった気がします。山林の中にあるので、周りの木々からのパワーももらった気がする。ちょっとした森林浴も楽しめるスポットですよ。

 

桑姫社、十二支神社(淵神社境内)

縁結び・学業成就・安産祈願など

ロープウェイ前バス停から徒歩すぐ

豆のネーミングは意外!?なところから

コーヒー、じゃがいも……と、外国から長崎に入り、全国区となった食べ物は、いろいろとあります。今回のグルメもそんな中のひとつ。

 

 

 

 

 

 

 

突然ですが、こちらは私んちの畑。梅雨空にも負けずに、青々とした葉っぱが畑の大部分を占領していますが……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回の主役のいんげんまめです。いんげんは「隠元」と書きます。文字の雰囲気からして何か気づきませんか? そう、いんげんは、お坊さんの名前なんです。いんげん禅師が伝えたから、そのまま豆の名前になった。サンドウィッチと同じパターンです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どんなお坊さんかというと……こんな感じです。偶然にも似顔絵入りのポスターを見つけました。隠元は、日本三禅宗のひとつ・黄檗宗の開祖。長崎に滞在して、中国の明朝文化を紹介した方でもあります。いんげんまめのほか、胡麻豆腐やダイニングテーブル(!)を伝えたという話も。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは、あえて「隠元豆」の漢字表記にします。隠元豆といえば胡麻あえ。隠元が伝えた胡麻豆腐の胡麻ともカブっているので、より親しみがわきました。隠元豆は、好みでしょうが、ゆでる時に少し歯応えを残した方が、風味も良く、食感も楽しめます。今では年中、スーパーで見かけますが、旬は春なんですよ。

 

 

 

 

 

 

 

隠元は、長崎に様々なものを残してくれました。そんな隠元の功績を讃えつつ、拝みたい――そんな気分にさせてくれるのが、こちらの長崎市・聖福寺山門に掲げてある扁額です。創建した鉄心というお坊さんが、隠元に書いてもらい、この山門に飾ったそう。今でいうと、隠元ファンの鉄心が、スターからもらったサインを飾った感覚? ちょっと違うか。それはさておき、隠元は、今も昔も尊いお方なんですね。