今が旬! 世界遺産候補の遺構巡り

長崎は、今、世界遺産ブームの兆し! 造船や炭坑跡などの近代化産業遺産群や、長崎に点在する教会群など、観光客数も急上昇中です。今回の細道は、そのブームにちゃっかり便乗しつつ、世界遺産候補の遺構が見られるところへ行ってみました。目指すは、長崎市にある小菅(こすげ)船修場跡です。

 

 

 

 

 

 

 

スタートは、旧香港上海銀行のところから。長崎人が思い描く、小菅修船場跡の場所は「戸町トンネル周辺にある」ぐらいだと思われます。なぜかって、確かに国道沿いでわかりやすいところにありますが、車で素通りする人がほとんどじゃないかな~と。なんとなく場所はわかる。だけど直接、修船場跡まで行ったことがない――ややもどかしい気分のみなさんを想定しながら、徒歩で行ってみました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

国道499号線沿いを長崎市街地から戸町方面へ歩きます。かく言う私も、前文で書いた「もやもや発言」のひとり。車では何度も通ったけどね~。もしかして、この細道を歩くのも人生初かも。国道499号線沿いは交通量が多いので、歩くときはくれぐれもご注意を。細道の脇に「どれでも100円」の良心的価格の自販機を発見。今じゃ飲み物もワンコインって少ないですよね。なんか得した気分♪

 

 

 

 

 

 

 

小菅=こすげ、と読むのも少し躊躇してしまいそうですが、こちらも間違えて「ふるかわまち」と読みますよね。正解は「ふるこまち」。なんで河を「こ」と読むのか……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小菅エリアは、今でも造船の町。国道沿いには、長崎のモノづくりを牽引し続ける企業が立ち並んでいます。そんな通りで、ドデカい碇を見つけました。食いしん坊の私は、某ソースを連想しちゃった。しかし、こんなに間近に碇を見たのも人生初かも。初物づくしなプチ旅だわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当コーナーにピッタリの、面白いぐらいの細い歩道が登場。お友だちと並んで歩くのは、ほぼ不可能。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな細道を1人、ニヤニヤしながら歩いていると、武雄競輪の看板を見つけました。一瞬、児童が雑巾がけをしているように見えた。見えませんか?

 

 

 

 

 

 

 

さきほどの細道は、ほんの数十メートルぐらい。その先に、突然といってもいいくらい、長崎港と、電波塔がそびえ立つ稲佐山が見えてきました。

 

 

 

 

 

 

 

小菅バス停から海側に目をやると、小菅修船場跡がもう、見えました。私が行ったのは、今月中旬でしたが、このときは、まだ無料で見学できました。世界遺産登録後は、どうなるのかしら? ちなみに、駐車場はありません! 私みたいに「市街地から歩くのは嫌」という方には、路線バスがオススメです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

修船場の全景が撮りたいなと、高台を目指し、近くをウロウロ。大好きな猫がいっぱいいたので迷わず、こちらの石段の坂道を選びました。人懐っこい長崎の猫も、世界遺産になればいいのに……。

 

 

 

 

 

 

 

上り切ったら、小ヶ倉バイパスに出ました。レストランの牛右衛門あたりから、ちょっと下をのぞかせていただくと……アレ。木が覆い茂って、あまりよくわからん……。しかし、写真手前の国道のカーブがすごいな。

 

 

 

 

 

 

 

前のカーブから、さらに右へパーン。すると、ドックらしいクレーンが見えました。この風景も、長崎人にとってはおなじみです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生い茂る木々に、やや埋没気味の案内看板。今さらながら、国指定史跡の文字に驚いてしまいました。数名の警備員がいて、またしても驚きましたが、修船場跡を見に来たことを告げると、あっさり「ハイハイ、どうぞ」と通してくれました。観光客が車で来たりするので、一応チェックしているみたい。

 

 

 

 

 

 

 

船を引き揚げるレールについた船架がソロバンに見えるから「ソロバンドック」かぁ。長崎人の会話にも「あのソロバンドックらへんさぁ~」といった具合にわりとよく耳にします。小菅修船場跡といわれるよりも、この通称の方が通りがイイ。ネーミング大賞というのがあったら、大賞がほしいぐらいです。

 

 

 

 

 

 

 

明治元年(1868年)に完成した日本初の近代的洋式ドックというだけあって、曳揚小屋もハイカラな造り。正面からだとわかりにくいのですが、横から見ると……なんと立派なレンガ造り! 見る角度で建物のイメージが変わる、ちょっと不思議な感じです。ちなみにこのレンガ、コンニャクレンガって言うんですよ。コレもネーミング大賞だ!

 

 

 

 

 

 

 

昭和44年4月に国指定史跡になったと書かれていました。明治元年の落成式当日、イギリスから機械を輸入したグラバーが、自らが所有する船を船台に曳き揚げて、参列者に見せたそう。みんな、その蒸気機関の動力の凄さにビックリ!したという話も残っています。ここから、近代造船の歴史が始まるのかぁ。偉人たちのモノづくりへの熱い魂を感じられる細道となりました。

 

長崎市松が枝町から小菅修船場跡まで

片道徒歩で約30分

五島列島福江島の玉之浦のグレ釣行。

2015年2月28日、今シーズン初めて五島列島福江島の玉之浦に行ってきました。午前7時、私たちは福江島の玉之浦港から大鳥丸に乗り込み出港し、一丁綱に上礁した。


〈上礁した一丁綱〉

 

朝の下げ潮では、潮がフラフラとして安定しなかったので、軽めの仕掛け(匠グレや巧派グレのG2)でツケエを上層からゆっくりと落としていく釣り方だった。潮の動きが悪くても、そこは、さすが五島!という感じで、ポツポツと30cmから40cmほどのグレが当たってきた。

午後、上げ潮の時間帯になると潮が動き出し、活性が上がったのか、入れ食いになりながら40cmオーバーの口太グレを釣ることができた。この時の仕掛けは、浮力のあるウキ(匠グレの2B)でしっかりとタナをキープすると当たりがでやすく釣果が良かった。

残念ながら大型のグレは当たってこなかったが、最大で42cmを筆頭に30枚以上のグレを釣ることができ、納竿となった。

 

〈40cmオーバーの口太グレ〉

 


〈釣果〉

ながさき 島ステーション 長崎大漁旗!長崎編特別寄稿 奥野賢志

畝刈エリアは釣りパラダイス

「長崎水産って書いてあるところでよく釣っているよ」――と釣り人に教えてもらった場所が今回の釣りスポット。長崎市・畝刈エリアをご案内♪

 

 

 

 

 

 

 

港へ行くと、釣り人ではなく、カモがお出迎え。たとえ釣りで坊主になっても、カモがそっと癒してくれそう。

 

 

 

 

 

 

 

以前、釣り人に聞いたところはココでした。ホントに「長崎水産」の建物の真向かいに、釣りスポットがありました。今の季節、イカが釣れることでも有名なんですって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

麦わら帽子が素敵なオジさんに、いろいろと聞いたところ「最近、あまり釣れなくなったけど、昔、2、3㎏のイカを釣ったことがあった」とのこと。こちらの釣り場は、早い人で朝5時(!)から来ているそう。

 

 

 

 

 

 

 

麦わら帽子オジさんほか、釣りを楽しむ方が10人ほどいたので、話を伺ってみることにしました。「あの防波堤がなかったときは、よくイカも釣れたけどね」という声も。防波堤がなかったら災害が怖いし、作ったら作ったで生態系が崩れるだろうし。ヒトと自然が上手く共存するって難しいですよね。

 

 

 

 

 

 

 

畝刈の釣り場といっても、その範囲は広い。今度は、橋を渡り、水産試験場方向へ車を走らせてみることにしました。

 

 

 

 

 

 

 

見た目にも強固なフェンスが立ち並び、ヨソの波止場と違った雰囲気を醸し出していました。ここのエリアを通り抜けると……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まさに釣り場、といった感じの好ポイント発見しました! 程よい間隔で、思い思いに釣りを楽しむ姿が印象的。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さっそくオジさんにプチインタビュー。オジさんのポリシーは「エサ代を安くしていかに釣るか」だそう。私がカメラを向けると、運悪く小さいアジが引っ掛かってしまい「あら、これは小さかったね」と苦笑い。なんだか、すみません……。「瀬渡し船もあるけど、船代が高いからね。いっそのこと、がんばランド(近くにある直売所)で買った方が、新鮮で安いよ」と冗談も上手いオジさんでした。

 

 

 

 

 

 

 

面白オジさんのエサはエビ。細かい手作業だ~。不器用な私だったら、この時点でもう、がんばランドに直行しそう(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

まだまだ先に釣り場がありそうだったので行ってみました。公園があり、トイレも完備された釣り場がありました。

 

 

 

 

 

 

 

写真のご一家は朝6時半頃に来たそう。それでも遅い方だったとか。釣りも楽しんで、ピクニック気分も味わうって、アウトドア大満喫でいいなぁ。畝刈は、釣り人にとってパラダイス!ですね。クロ狙いのお母さんは、器用に2本の釣り竿を同時に操っていました。釣りを幼い頃からしていた方は、独自のスタイルを確立している!

 

 

 

 

 

 

 

あれ、さっきのカモ?? と思ったら、こちらのエリア専属(?)のカモでした。デジャヴかと思った。奥の方が釣り竿2本を同時に操るお母さんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

のんびりと釣りを楽しまれているなと思ったら、もう大体釣っちゃっていたとのこと。うわ~、立派なクロ! お母さん、釣りの達人なのね……とただただ敬服するのみの超ビギナーな私でした。

 

長崎市畝刈エリア

長崎市街地から車で約10分

 

愛する人を思いながら咲き誇るアジサイの花

今年の梅雨は、ある意味梅雨らしい。ジメジメとした日が多い気がします。そんな家にこもりがちな梅雨こそ、気分転換に外へ出ませんか。散歩がてらに楽しめる「ながさき紫陽花(おたくさ)まつり」に行ってきました。

 

 

 

 

 

 

 

ながさき紫陽花まつりは、長崎市にある眼鏡橋(中島川公園)・シーボルト宅跡・出島ほか、約4000株のアジサイが街中を彩るお祭り。最初に訪れたいのがこちら、鳴滝にあるシーボルト宅跡です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さっそく、見事なアジサイがお出迎え。プランターのアジサイは、品種がわかるように、名前のカードがさしてあります。ブルースカイは、細やかな花とそれを囲むかのような大きな花のコントラストが個人的に好きなので激写しました。

 

 

 

 

 

 

 

シーボルト宅跡にも、こ~んなにアジサイがいっぱい。奥のシーボルト像に向かって、アジサイの小道が続いていました。なぜ、シーボルトとアジサイが関係しているのか――ちょっと歴史をおさらい。シーボルトは医学だけでなく、薬学・動植物学など様々な日本の近代学問の礎を築いたといわれています。日本に関する書物も手がけていて、その中の「日本植物誌」で紹介されたアジサイに「ハイドレンゲア・オタクサ」と名づけたことでも有名です。オタクサとは、長崎に残したお滝さんのこと。シーボルトが、彼女と出会ったのは20代後半だから、仕事も恋も一生懸命だったはず。若き日の思い出に、しっかりとお滝さんはいたんだなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シーボルトとお滝さんの恋物語に、ちょっとセンチメンタルな気分に浸りながら、眼鏡橋方面へ。途中、新大工の商店街を通ると、粋な言葉が書いてある看板を見つけました。ちなみに、商店街の通りをシーボルト通りといいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鳴滝から徒歩約20分ぐらいで、長崎の名所・眼鏡橋に到着。右のボックスには、このお祭りの記念スタンプもありました。

 

 

 

 

 

 

 

プリンセス・ブルー、隅田の花火などネーミングも面白い。アジサイの種類ってこんなにあるの!?と驚いてしまいます。「城マリー」と名づけられたアジサイが猛烈に気になりました。

 

 

 

 

 

 

 

眼鏡橋周辺のアジサイのプランターには、シーボルトに関する豆知識が書いてありました。が、プランター横に貼ってあるので、かなり目線を下にやらんと見えん……。だけど、書いてあることはとてもためになるし、面白かったです。高地ドイツ人を山オランダ人と訳した通訳の人の本意が知りたくなりました。

 

 

 

 

 

 

 

この季節、よくこの眼鏡橋とアジサイの2ショットの写真を見ます。あ~、ここから撮ったんだと、私も同じところと推測される場所から撮影しました。このお祭りにカメラはマストです。

 

 

 

 

 

 

 

眼鏡橋周辺には、ちらほらと自生するアジサイもあります。プランターほどアジサイの密集はなく、派手さはありませんが、ひっそりと咲く姿が凛として美しい。自然の美、いや日本の美を感じます。

 

 

 

 

 

 

 

気分はまるで少女マンガ! アジサイが中島川沿いにズラズラ~と並んでいます。花をバックに撮ってもよし、花から囲まれているかのように撮ってもよし。あ、くれぐれもアジサイ自体には手をふれず、頭脳を駆使して撮影すべし。

 

 

 

 

 

 

 

長崎人が「おたくさ」と聞けば、こちらのおたくさを思い浮かべる方が多いかも。長崎には、その名も「おたくさ」という、長崎名菓があります。アジサイの花を模した、バターが香るクッキー。これを食べると同時に、TVのCM曲「ながさきのぉ~、あいはおたくさぁ~」のフレーズが脳裏をよぎりました。最後は結局、愛の物語よりも、アジサイの花よりも団子(クッキー)に走った私。2人のようなロマンスはきっと訪れないな……と梅雨空にひとりごちたのでした。

 

2015年5/23(土)~6/16(火)

ながさき紫陽花(おたくさ)まつり

眼鏡橋(中島川公園)・シーボルト宅跡・出島ほか

大型グレ狙い!のはずが…

2015年2月15日、私は再び三ツ瀬に釣行した。今回は、後輩の藤本君と2人での釣行だった。この日は、日曜日ということもあって多くの釣り人がいたが、私たちは、キリ瀬へと上礁することができた。


〈上礁した三ツ瀬のキリ瀬〉

 

早速、前回と同様の仕掛けを用意して釣り始めるが、ツケエをまったく触ることなく、冷たくなって原型のまま戻ってくる。沖の沈みまでの遠近やタナを3ヒロから竿2本以上と変えながら探っても午前中は当たりを捉えることはできなかった。

午後、上げ潮が、高島方向へと流れだしたので、仕掛けを投入するが、午前中と変わらず、ツケエが盗られない。ここで、グレを諦めて、仕掛けを匠グレのG2を使った全誘導仕掛けに変更し、イサキを狙ってみることにした。「匠グレ」は、パイプの入口径がφ3.0mmで出口径がφ2.1mmとなっているため糸通しが良く、軽い仕掛けを深いタナまで入れ込んでいくのに適しているウキである。

 マキエを流れのなかで帯状になるようにバラけるように撒いてから、仕掛けを投入し、潮の流れに合わせて仕掛けを送りこんでいくと竿3本ほど入ったところで、パラパラと出ていた道糸が一気に走り出した。合わせを入れ取り込んだのは、狙いどおり40cmオーバーのイサキだった。その後に同サイズを1匹追加したところで藤本君にアドバイスをして釣り座を譲ると、同型のイサキを仕留めていた。

  
〈筆者が仕留めたイサキ〉                              〈藤本君が仕留めたイサキ〉

残念ながら狙いの大型のグレは釣れないまま納竿の時間となってしまった。


〈釣果

<渡船の問い合わせ先>
渡船:光隆丸(浜口船長)
TEL:095-893-0996
料金:4,000円

<エサ&釣況の問い合わせ先>
フィッシングショップ オガワ
TEL:095-878-1301

 

野母崎三ツ瀬キリ瀬

 

ながさき 島ステーション 長崎大漁旗!長崎編特別寄稿 奥野賢志

水難防止とカエルでいろんな願掛けを

長崎は、ちょっとアンニュイな梅雨の季節となりましたが、みなさま、いかがお過ごしですか? 今回は、そんな水難が気になるこの季節に願掛けをしたい、そんな神社をご紹介したいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

蛍茶屋電停から大通り……ではなく、裏手の通りを歩きます。1653年(承応2)、唐通事の陳道隆が寄進した一の瀬橋のところまで、サクッと行きますよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一の瀬橋から川沿いを歩くこと7、8分でたどり着いたのがこちら、水神神社。「すいじん」と読みます。彌都波能賣大神(みずはのめのおおかみ)という祭神が祀られています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鳥居をくぐり抜け、境内を進むと赤い鳥居が。「稲荷大神」と書いてあります。お供え物がザボンというところにグッときました。ザボンは、長崎発祥の果物ですものね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

木もれ日がキラキラ☆ 拝殿に続く小さな橋を渡るときは、ちょっとした森林浴気分に浸れま~す。

 

 

 

 

 

 

 

こちらが拝殿です。さっそく神様にご挨拶して、水難にあわないようにお願いしました。水神神社は、長崎市内を転々として、昭和時代に現在の場所に移転したそうです。江戸期の亨保4年には、水神祭も行われていたとか。

 

 

 

 

 

 

 

拝殿には、水神神社の歴史を記した案内板があります。それにしても達筆。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

拝殿から遠くを眺めると、本河内の水源池が見えます。まるで城壁みたい。昔も今も、みんなが水に困らないように静かに見守ってくれている――そんな気がしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

境内を見渡すと、何やら倉田水樋と書かれた石碑が。後で調べたところ、倉田水樋(すいひ)とは、江戸時代に長崎に水を供給した水道のことで、倉田氏が私財を投じて作ったので、この名前をつけたらしいです。本河内高部ダムが完成するまで、200年余りにわたり水を供給していたというから驚き。神社と倉田水樋は水つながりでもありますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もうひとつ、個人的に探していたものがあったので、裏手に続く階段を上ってみることにしました。お寺や神社は、裏手に秘密がいっぱい。

 

 

 

 

 

 

 

ありました、どんく石! 「どんく」とは長崎弁で「カエル」のこと。石の形がカエルっぽいから、このネーミングになったんでしょうね。カエルを「帰る」というのに引っ掛けて、戦時中は、戦地から無事に帰るようにと念じていたという切ないエピソードも残っています。今は、お金が返ってくるとか、失くしたものが返ってくるとか。水難防止だけでなく、いろんなカエルに思いを巡らせつつ願掛けできそうです。

 

水神神社・どんく石

ご利益 水難防止など

蛍茶屋電停から徒歩約10分

解体すぐの県産マグロを味わえる

今回のグルメは、西彼杵郡時津町の大村湾漁業協同組合にある直売所からお届けしたいと思います。なんでも長崎県産マグロの解体が見られるそう。すごく気になったので、さっそく足を運んでみることにしました。

 

 

 

 

 

 

 

こちらが大村湾漁業組合。とぎつウォーターフロント公園の近くにあってわかりやすいです。直売所では、新鮮な魚介類はもちろん、加工品や珍しい「黒なまこ石鹸」なるものも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

直売所では、日頃から大売り出しなど、様々なイベントが行われている模様。「長崎県産 五島 壱岐 対馬 本マグロ」の文字に期待が高まります。当HPの島と同じエリアから運ばれてくるのかぁ。このときのマグロは赤身で100g650円から。

 

 

 

 

 

 

 

予定通り、午前11時きっかりにスタート。うぉ~、立派なマグロ! この時は、五島産のマグロ約55kgでした。余談ですが、長崎県では、平成20年に「長崎県マグロ養殖振興プラン」を策定して、新規の漁場や養殖用の種苗の安定確保などをがんばったおかげ(?)で、平成25年の生産量が3070トンで全国2位になったそう。ビバ、長崎、水産大国!!

 

 

 

 

 

 

 

巨大マグロに吸い寄せられるかのごとく、マグロ周辺はいつの間にか、この人だかりが。それにしても長崎人というか、日本人は食べるだけでなく、マグロの解体も楽しみのひとつとして確立されてますな~。改めて、食のありがたみも感じます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最初は頭を切り落とします。腕っ節の強そうなお兄さんが、鮮やかな手付きでさばいていきます。さばき方に一切の迷いなし。

 

 

 

 

 

 

 

数分でかぶとがとれちゃった。頭の部分も購入できるみたいです。調理するのがたいへんでしょうが、間違いなく、場は盛り上がりますね。

 

 

 

 

 

 

 

次はカマの部分。心なしか男性客の反応が良く「オオー」とか「ワー」とかの歓声が大きかったです。マグロを釣るだけではなく、もしかしてマグロをさばくのも、お父さんたちの夢なのかしら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

骨にそって身をはがしていきます。私も小さい魚をさばいたことがありますが、こんなにスイスイ切れません。いい包丁を使っているとは思いますが、ここまで早くさばけるなんてすごすぎる!!

 

 

 

 

 

 

 

なんとなく緊張感みなぎっていたマグロ解体も終わりに近づいてきたので、スタッフの方が子どもに尾っぽを触らせていました。恐らく人生初と思われる瞬間。きっとこの子はマグロ好きになるに違いない(もうなっているか)。

 

 

 

 

 

 

 

おなじみのサクの状態になるまで10分とかかりませんでした。サクは、素早く冷蔵庫にイン。こりゃもう鮮度バツグンに決まっている。

 

 

 

 

 

 

 

猫が走ってきそうなぐらいの大量のアラ。

 

 

 

 

 

 

 

私が大量のアラにみとれている間に、どこからともなく、慣れた感じでお客さんがやってきて、気がつくと行列ができていました。戦いは終わった……。私は、お金も時間も余裕がなかったので、今回は解体シーンを見るだけで退散することに。いつの日にか、県産マグロ、食べます! I'll be back!!