市街地から30分の近距離も魅力

今回の釣りスポットは、長崎市戸石地区に行ってきました。釣り人たちの、どんなドラマが見られるのか。楽しみ~。

 

 

 

 

 

 

 

のっけから私事ですが、そういえば、牧島まで行ったことがなかったことに気づきました。戸石漁港には何度か来たことはありましたが……。牧島といえば、長崎市内の中でも有名な釣り場。いわば、釣りの聖地的存在(ややオーバー?)。ココに行かずして、この釣りコーナーを担当するなかれ。と思い、いざ、牧島へ。しかし、最初にたどり着いたのはこちらの場所でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

恐らく、こちらはエビスさま。風雨にさらされて、お顔がつるんとしてましたが、それがかえっていい味出してました。

 

 

 

 

 

 

 

島に行くというのに、橋を渡った記憶がなかったため、近くにいた釣り人に聞いてみることに。案の定、牧島ではなく、戸石の「池下」というところらしい。ガ~ン、間違えた。やや落ち込んで、目線を下にすると、墨を吐いた跡発見! イカも釣れるみたい。いやしかし、タコかも知れん――ご存知の方はご一報ください。

 

 

 

 

 

 

 

初対面だったにもかかわらず、牧島までの行き道を丁寧に教えてくださいました。朝日とともに、去っていくオジさん。男は背中で語る……ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

さきほどのオジさんのチョ-的確な道案内どおりに車を進めること1、2分ぐらいで牧島に到着。超えた橋の名前は「牧戸橋」でした、ハハハ。

 

 

 

 

 

 

 

到着とほぼ同時に、波止場で釣りをしていたオジさんが「小さいけど、アラが釣れたよ」と見せてくれました。アラは味噌汁に入れると美味しいですよね~って、食べることばかり考えてしまいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が「こんにちは」というと、釣り人全員があいさつしてくれました。ハ~❤、海の男たちは爽やかじゃ~。つなぎの服が若々しい、イケメンを見かけたので、すかさず話しを聞いてみました。「昔、パチンコにハマっていたけど、今は釣りです。何回か瀬渡し船で沖にも出ました」とのこと。釣った魚は、お母さんにさばいてもらうそう。息子さんが釣ってくるのを、楽しみにしているんだって。孝行息子や~。目頭が熱くなりました。こういう人にいっぱい釣ってほしい!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

孝行息子の近くで釣っていたオジさんにも、話しを聞いてみることに。オジさんの戦法は、撒き餌をして、それに寄ってきた小魚に寄ってきた大魚を狙っているとのことでした。文章にするとややこしいですが。このクロは、ちょいとおチビちゃんだったので、このへんを飛び回っているトンビのエサに置いておくそうです。

 

 

 

 

 

 

 

小魚に寄ってくる大魚狙いは、なかなか難しそう。というのも、大物の前の小魚を引っ掛けたり、釣り糸のエサを先に食べられたりするから。しかも、この日は強風! 釣り糸が風にあおられて、からまったりするので、釣り人はあまり好まない天候なんだとか。オジさんは「面倒くさい」といいながらも、慣れた手つきで、からまった釣り糸をほどいていました。釣りは、集中力と根気も必要。勉強になりました!

 

長崎市戸石町池下・牧島町

長崎市街地より車で約30分

長崎市野母崎沖三ツ瀬ヒラス、口太グレ

9月に入り、朝晩の肌寒さを感じようになると、長崎県内各地からグレ釣果が届くようになってきた。10月17日に長崎市野母崎沖にある三ツ瀬に釣行することにした。 当日、フィッシングショップオガワでボイル4角とパン粉3kgを購入し、6時15分出航の光隆丸に乗り込んだ。

私たちは、6名でコブ瀬に上礁した。それぞれが釣り座についたところで、私は空いているポイント「水道」で竿を出すことにした。

釣行時の三ツ瀬では、ヒラスよく釣れているとのことなので、朝マヅメはヒラスを狙うことにして仕掛け(ウキ:ガルツの匠グレのG2、道糸:サンラインのブラックストリームマークXの6号、ハリス:ブラックストリームの6号を1ヒロ半、道糸とハリスは直結)を用意した。

 釣り座に立ち、足元にボイルをパラパラと撒いてから、マキエの中から大きめのボイルを付け、仕掛けを投入する。潮の流れに合わせて道糸を送り込んでいくと、スプールを軽く抑えていた指がはじかれ、道糸が走りだした。ベールを戻してやり取りを開始すると沖の方へと走りだしたので、狙いのヒラスのようだ。慎重に寄せてくると、狙いのヒラスが姿を現した。取り込んだヒラスは2kgほどだった。すぐに狙うと、再び当たりを捉えたが、すんなり寄ってくるので、何かな思っていると、40cmほどのイサキだった。

 しばらくすると潮の流れが変わったため、仕掛けがすぐに隣の釣り人ところまで流れてしまうようになった。釣り座を西のハナレに移動することにした。するとすぐにヒラスが当たってきて、同型のヒラスを取り込み、さらに続けてもう1匹追加することができた。


朝マヅメに仕留めた2kgクラスのヒラス

 ここで満潮が近づき、西のハナレへと渡れなくなったので休憩する。  釣り座がなかったので、しばらく「水道」でグレ狙いをしようと仕掛け(ウキ:ガルツの暁のB、その下にGPSのSサイズのG2、道糸:サンラインのブラックストリームマークXの2.25号、ハリス:ブラックストリームの2.25号)を半誘導仕掛けに変更する。 上げ潮が流れている間は、バリしか当たってこなかった。11時すぎに潮止まりを迎えて、やがて下げ潮が左から右に流れだした時に当たりを捉え、48cm、1.7kgの口太グレを仕留めることができた。


2日目、6月21日の釣果

 その後は、下げ潮の流れが速くなったので、再びヒラス狙いに切り替え、納竿の17時までに2kgクラスのヒラスを3本追加することができた。

 今後、三ツ瀬では、11月になるとヒラスがサイズアップしていき3kgオーバーが釣れるようになるだろう。さらに、グレの釣果も期待できるので、釣行してもみてはいかがだろうか。

 
この日に上礁した三ツ瀬の「コブ瀬」             お世話になった「光隆丸」

軍艦島物語⑩ 〜島の暮らし 教育〜


2015©P3Labo

 

 軍艦島(端島)はコンクリート製の島のため、自然の土や緑のある場所は限られていました。そのため「緑無き島」という、あまり嬉しくないニックネームまでついていたのですが、島の住民たちは昔から、島内を少しでも緑化しようとアパートの屋上に庭園を造り、草花を育てていました。

 第二次世界大戦後には、島内にはいくつもの温室が作られ、野菜や草花を育てるための畑はもちろんですが、なんと水田までありました。もっとも、周囲を海に囲まれ、潮風が吹きつける島の屋上で育てられたものですから、どれも生育は良くはなかったようです。

 ただ、軍艦島の屋上緑化の目的は収穫そのものではなく、子どもの教育にありました。「緑無き島」で育つ子どもたちに、植物はどのようにして成長するのか、自分たちの暮らす土地は植物の成長に相応しいか否か。それらを学ばせるために大人たちは、子どもたちに種を植えさせ、屋上まで重い水を運ばせ、一緒に成長を見守りました。

 今でこそ耳に馴染んだ「屋上緑化」という言葉ですが、子どもたちの教育を視野に入れた取り組みが、軍艦島では何十年も前から実施されていたのです。

秋の郷土芸能を大・大・大満喫!

秋、真っ盛り。長崎のお祭りも真っ盛り。秋は、長崎各地で浮立やみこしなどの郷土芸能がさかんですな~。今回のお祭りは、そんな郷土芸能を見るにはもってこい! 長崎市で行われた長崎郷土芸能大会を激写しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長崎市民会館で演舞が行われる前に、近くの浜町アーケード辺りで、出演団体によるパレードが行われました。以前、このコーナーでも紹介した若宮稲荷神社竹ン芸。アラ~、可愛いお子さん❤

 

 

 

 

 

 

 

祭り囃子に浮かれた白狐(びゃっこ)が竹やぶで遊び戯れる姿を表現しているそうです。ん? おもむろに竹をセッティング。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キャー。さっきの子どもが、あっという間にのぼっちゃった。普通なら「おイタしちゃダメーッ」っていわれるでしょうが、伝統芸ですからね。高所恐怖症の私は、ヘンな汗をかきました。

 

 

 

 

 

 

 

お次は式見女角力です。明治38年頃、女相撲が旧式見村に巡業したとき、女力士に踊りを教えてもらったのが始まりといわれています。その女角力を盛り上げるべく、この太鼓部隊が先に登場。飛びながら打つといった有酸素運動を繰り返しながら舞う……カッコイイ。

 

 

 

 

 

 

 

アーケードの真ん中を土俵に見立てて、角力取り踊りがスタート。アーケードでは、時間の都合上、省略されていましたが、本番の市民会館では、土俵入りや弓取りなど、おなじみの所作が丁寧に描かれていました。

 

 

 

 

 

 

 

崎上浮立です。長崎市三重の崎上(さきあげ)地区に伝わる踊り。雨乞い、五穀豊穣を祈願しています。踊りの衣装が、白装束に赤ダスキなので白狐(びゃっこ)浮立と呼ばれているとか。ここにもお狐さまが。一糸乱れぬ動きと、銀色サラサラヘアも気になりました。

 

 

 

 

 

 

 

平山の大名行列です。1866年(慶応2)、下級武士・山崎武右衛門らが、深堀城下に出入りしていたときに、大名行列に関する巻物を手に入れ、指南役を仰せつかったことがきっかけ。以前から伝えられていた浮立の囃子に振付けて、地元の天満宮に奉納したとか。先頭を行くのは、お殿さまかしら。

 

 

 

 

 

 

 

かけ声とともにこぶしを前に出しながら歩く振付けが勇ましい。思わず真似したくなりました。豪華な行列用具が印象的です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長崎市の大会でしたが、今年、特別に大村市から黒丸踊も参加。なんと戦国時代から伝わる踊りだそうです。領主・大村純伊の領地奪還の祝いの際に踊られました。早くから、県指定無形民俗文化財として指定されていましたが、昨年、大村の郡三踊(寿古踊・沖田踊・黒丸踊)のひとつとして、国指定重要無形民俗文化財になったばかり。大花輪の下に入ると幸せになるといわれています。直径5メートル、重さ60キロにもなる大花輪を、太鼓を打ち鳴らしつつ、ゆっくりと回します。幸せ、カモ~ン。

 

 

 

 

 

 

 

最後は滑石竜踊(じゃおどり)。長崎本籠町の龍踊を伝承している竜踊で、1877年(明治10)に、滑石太神宮に奉納したのが始まり。竜踊は全国的にも有名ですよね。疾風のごとく、玉追いをする竜の姿に、アンコールの意味を持つ「もってこーい」の声がかかりっぱなしでした。

 

 

 

 

 

 

 

私の「勝手にベストパフォーマンス賞」は、平山の大名行列です! 歩きながらフォーメーションを変えていく様は、まるでスローテンポなマスゲームのようでした。よく間違えないなぁ。江戸時代の参勤交代を今に伝えます。

 

 

 

 

 

 

 

そして、もうひとつも平山の大名行列から。アクロバテックな太鼓です。側転して太鼓を打つ振付けもあり、かなりハードな動きでした。気がつけば大太鼓の上に人が……!! 某有名雑技団を思い出しました。長崎郷土芸能大会は、今年でめでたく40回めを迎えたとか。入場料も無料だから、来年、ぜひ足を運んでみてください!

 

平成27年10月4日(日)

第40回記念大会 長崎郷土芸能大会

長崎市民会館体育館

※パレードは浜町アーケード界隈

軍艦島物語⑨ 〜島の暮らし 潮害〜


2015©P3Labo

 前回の水問題も島の暮らしの中では重要なテーマでしたが、周囲を海に囲まれた島の宿命とも言える「高波」との戦いも、のどかさと過酷さが背中合わせになっており、軍艦島でも長い間繰り広げられたバトルでした。

 長崎の沖合いに浮かぶ南北約480m、東西約160mの小さな島、軍艦島は、少し大きめの台風や高潮の度に島内は水浸し。子どもたちの通学路はおろか、アパートにも海水が入り込み、階段や坂道は水に濡れて危険極まりない状態でした。

 そのために島内では危険防止策として綱を渡し、それを掴んで上がったり下りたり…。しかし、いつまでもこの状態ではいずれ事故が起きかねないと改修を繰り返した結果、軍艦島のアパートには様々な工夫が施されました。

 完成した年代により機能はそれぞれ違いますが、海に面して並ぶ建物は海側の窓を小さくし、廊下には潮を防ぐ鉄製のシャッターが設置されるなど、生活空間であると同時に防波堤に近い役割を持ちました。当時、最先端の技術を持って建てられた軍艦島の高層ビル群は、炭坑に働く人々の生活の場を確保すると同時に、台風や潮害に対する耐久性、また防火面での安全性を確保する役割も担っていました。

 もっとも、島に住む人たちは少々の高波には慣れたもので、「今日のはすごかね〜」「いや、前のとがもっと高い波の来たばい」と、白い波しぶきを見物していたようです。

 苦肉の策だった潮害対策の建物群ですが、最近ではクイズの問題になるなどしています。相変わらず根強い人気を誇る軍艦島ですが、実に様々な切り口があるものですね。

武道の神が三神も! 勝負運UPに期待大

芸術の秋、スポーツの秋、そして学問の秋。今回のご利益は、長崎市にある中川八幡神社をご紹介。武道の神が、三神もご鎮座しているパワースポットです!

 

 

 

 

 

 

 

国道34号線沿いにある鳥居。1881年(明治14)に国道ができたとき、1922年(大正11)、石段と鳥居一基を新設したそうです。新しいとはいえ、できてから100年近くが経つんですね。

 

 

 

 

 

 

 

祭神は、誉田別命(ホンダワケノミコト)・息長足姫命(オキナガタラシヒメノミコト)・武内宿禰命(タケノウチスクネノミコト)の三神。武運の文字が眩しい。

 

 

 

 

 

 

 

中川八幡神社は、1646年(正保3)、聖福寺の寺域に祀られたのが始まりで、その後、現在地へ来たそうです。例祭には相撲が奉納されており、今でも毎年9月15日に子ども相撲として開催されています。ちなみに、境内からの月が美しいとのこと。彦山と一緒に見られるそうですよ。

 

 

 

 

 

 

 

何にチャレンジするか、具体的な目的がないまま、とりあえずおみくじを引いてみることにしました。勝負運はあるのか、ないのか。

 

 

 

 

 

 

 

ヤラセでも何でもなく、大吉を引いちゃった❤ 商売は儲け多し 急げ、か。稼ぎたい気持ちはいっぱいありますが、急ごうにも資金すらないといった根本的問題に直面しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

境内には記念碑がありました。よく見てみると、ここにも……。

 

 

 

 

 

 

 

「長崎市最古」と刻まれてありました。名実ともに古くからある中川八幡神社。町の人々から愛されている証拠ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正一位稲荷神社も神社近くにありました。1810年(文化7)に、商売繁昌の神として祀られた稲荷大明神で、昭和の改築時には、現神である白蛇と青蛇が生息していたらしいです。と、いうことは――今でもおられる可能性大。神々しい存在とはいえ、ヘビ嫌いの私は、お参りするのに、しばし躊躇……。しかし、せっかくなので、参拝することに。願い事もお願いしたかどうか曖昧なまま、驚くべきハイスピードで終了してしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の動きが相当怪しかったのか、社務所の方が来て、こちらの神社のことをいろいろと説明してくれました。社務所の方曰く、境内にあるこのくすの木は、樹齢200年以上は経つといいます。なんでも神社がこちらに移ったときに植えられたらしい。神社が移転したのは、1748年(寛延元)なので、このくすの木は、昔の偉人たちを目撃しているはず!

 

 

 

 

 

 

 

社務所の方に、絵馬までいただきました。来年の干支・申の絵馬です。今度訪れる時まで、目標ぐらい決めておけってことかも!? 宿題ですな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神社を後にして、振り返ってみると、さきほどのくすの木が見えました。がんばっているみんなを、静かに見守ってくれているような温かいイメージ。心の中で思わず私も「がんばります」とつぶやいたのでした。

 

中川八幡神社

ご利益 武運(勝負運)、学問成就、家内安全など

アクセス 蛍茶屋電停より徒歩約3分

 

名月とともに楽しむ中華グルメ

みなさま、お元気ですか? 天高く馬肥ゆる秋がやってきましたね。今回のグルメは、長崎市の新地中華街で行われた中秋節(ちゅうしゅうせつ)というイベントにお邪魔しつつ、中華グルメを堪能してきました~。

 

 

 

 

 

 

 

中秋節とは、中国の三大節句のひとつで、日本でいう「お月見」のこと。中国でも、中秋の名月を家族と祝う風習があるそう。中国との縁が深い長崎でも、新地中華街を盛り上げるイベントとして毎年、行われています。期間中は、1000個の満月灯籠がみなさまをお出迎えしてくれます!

 

 

 

 

 

 

 

新地中華街には、東西南北それぞれに門があります。各門には、このように祭壇が設けられ、お供えものがありました。長崎ランタンフェスティバルでも、似た内容の祭壇を見かけますよね~。海の幸、山の幸、そして豚の頭。下校途中の男子高校生らが、豚の頭がコワいとビビっていた姿をみて、オバさん(私)の胸がキュンとなりました。初いやつじゃ。

 

 

 

 

 

 

 

新地中華街内で使えるお月見セット券(グルメ&グッズ)を購入。当日券で1,100円でした。チケット裏には、お月見セットをゲットできるお店の地図もあるので、わかりやすかった。私が目指したのは、もちろんグルメの方。長崎人なら、一度は訪れたことがあると思われる有名店に入ってみました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長崎名物グルメといえば、ちゃんぽん・皿うどんでしょうが、ここはあえて別メニューを注文。じゃじゃ~ん、点心セット。小籠包や春巻など、おなじみのメニューが揃う中、一番手前に陣取っているのは、「ハトシ」といわれるものです。ハトシとは、長崎の卓袱料理の一品で、海老のすり身をパンに挟んで揚げたもの。最近では、このすり身部分が、かまぼこのすり身だったり、形もパンをくるりと巻いたパターンだったりと様々です。

 

 

 

 

 

 

 

セットをいただいた後に、祭壇巡りしながらスタンプラリーもできちゃうとのことなので、腹ごしらえも兼ねて巡ることにしました。全部巡ると、お菓子がもらえる(←コレが目的)という特典付き。ちなみに、新地中華街は、さほど広くないので、機会があったらぜひトライしてみてください!

 

 

 

 

 

 

 

そのもらえるお菓子とは、月餅(げっぺい)です。プレゼントの月餅は、こしあんがギッシリ。私は、帰宅後、濃い珈琲とともにいただきました。黒あんのほか、くるみや松の実などが入ったバージョンもありますよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が勝手に名づけた三大中華菓子があります。それは、さきほど紹介した月餅と、麻花兒(マファール)&金銭餅。こちらの麻花兒は、最新型(?)のチビッコタイプ。新地中華街にはありませんが、ちよりという名前で販売されています。ちょい硬めのカリッと感がやめられない、とまらない。麻花兒という正式名称よりも、この姿形から名づけられた「よりより」の方が、長崎人にはピンときます。

 

 

 

 

 

 

 

ラストは金銭餅(キンセンピン)。中国古来のお金に見立てたお菓子で、お金持ちになれるようにとの願いが込められています。ゴマの香ばしさが後を引く美味しさ。この三大中華菓子は、長崎のお土産品店や有名スーパーでも、よく見かけるド定番。県外の方への、ちょっとしたお茶うけにいかがですか。話もはずみそうです。

クラブの春季大会で五島福江島に行ってきました。

1日目の2015年6月20日(土)は、椛島方面へと展開し、オゴ瀬の地に上礁した。この日、私は人生初めてのイシダイ釣り。仕掛けを用意して、エサは、ガンガゼとサザエを用意した。

釣り始めてしばらくすると、竿先にガツンガツンとイシダイがエサをつついているとき特有のアタリがあり、竿が舞い込んだ瞬間に合わせを入れるが、初めてのため上手く合わせることができずに針ハズレでバラしてしまった。結局、その後は、当たりを捉えることができず、納竿となってしまった。

2日目の6月21日は、福江港を午前5時に出港し、福江島西岸沖の鴨島・ホゲ島を目指し、私はホゲ島に上礁した。

マキエと仕掛け(道糸:サンラインのブラックストリームマークXの1.75号、ハリス:ブラックストリームの1.75号、ウキ:ガルツのg-beatのG2、GPS(Sサイズ)のG6を使用した半誘導仕掛け)を用意した。  

早速釣り始めるが潮も緩く、ポツポツと当たってくるのは、30~35cmの口太グレだった。しばらくすると、少し潮の流れが速くなってきたので、ガン玉のG7をハリ上50cmのところに1つ取り付けた。すると40cmオーバーの良型イサキが当たってきた。


40cmオーバーのイサキ

続けて同型のイサキや37~8の口太グレが当たってきた。その後は、11時頃から下げ潮に変わったが、相変わらずポツポツと30~35cmの口太グレ、35~37cmイサキが当たってくる。

正午を過ぎた頃から流れが反対方向へと変わり、それと同時に納竿までは、イサキの幼魚であるウリ坊が入れ食い状態になった。釣ってはリリースを繰り返し、状況が変わりそうにないので早めに納竿した。


2日目、6月21日の釣果

お世話になった瀬渡し「せいわ」

6月21日に上礁したホゲ島

長崎編特別寄稿 奥野賢志

<渡船の問い合わせ先>
渡船:せいわ(荒木船長)TEL:090-4773-7938
料金:要問合せ(エリアによって異なる)