秋が似合う石垣通りの城下町

シルバーウィークも過ぎ、レジャーに散財したという方も多いかと思われます。今回は、そんなお金がなくても楽しめる細道をご紹介します。ぐるっと歩けばダイエット効果も!? 大村市の武家屋敷通りをご案内。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

玖島城跡がある大村公園から交番横の道が、本小路(ほんこうじ)と呼ばれるところ。ここからスタートします。玖島城は、1599(慶長4)年に初代藩主・大村喜前(よしあき)が築いた城。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さっそく石碑が。本小路は玖島城の大手入口から約686メートルの通り。大村藩会所や上級家臣の屋敷が並んでいたそうです。別名・セレブストリート……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本小路には石井筆子像がありました。女性教育向上の先がけとして、長崎でも有名ですよね。また、知的障がい者への福祉や教育を推進した人物でもあります。鋭い眼差しが、信念の高さを物語っています。

 

 

 

 

 

 

 

こちらは五教館御成門(ごこうかんおなりもん)。五教館は、四代藩主・純忠がつくった集義館が前身の藩校です。藩士だけでなく、農民や町民も入学できたそう。それって、大河ドラマ「花燃ゆ」の舞台となった松下村塾よりずっと前のお話。ちょっと自慢したくなりました。五教館の卒業生たちは、松下村塾と同じく、幕末・明治維新にかけて活躍した偉人たちを多く輩出しています。藩主が使用した御成門は、現在、大村小学校の入学式や卒業式のときだけ、生徒がくぐるそう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さすが自転車の街、大村。自転車専用道路が多い。城下町の石垣を自転車で通り抜けるってなんだか絵になりますね。

 

 

 

 

 

 

 

五教館からJR大村線方向へ歩くこと数分で、この坂に到着。大村牢があったことから牢屋の坂といわれています。大村牢は1648(慶安元)年、三代藩主・純信の時に、長崎奉行からの要請で作られたそう。郡崩れの時のキリシタンや、幕末の大村騒動の囚人などが捕らえられていたそうです。

 

 

 

 

 

 

 

一瞬、字面が玖島城に見えましたが、久原城跡でした。久原城は、大村氏が最初に入った城です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さきほども書きましたが、JR大村線があり、旅情を誘います。レールを見ると、反射的に私の脳裏にはあの名曲「スタンド・バイ・ミー」が流れます。そして同タイトルの映画のワンシーンも。甘酸っぱい青春の思い出。

 

 

 

 

 

 

 

藩主に仕えた小姓が住んでいたので、この名前がついたとか。小姓をカタカナ表記にするとコショウ。あのスパイシーな香辛料を思い出した。今では、大村の武家屋敷街で最も多くの石垣が残ります。

 

 

 

 

 

 

 

あ、列車の下をくぐれる❤ 市街地に列車のある風景も大村ならではかも。

 

 

 

 

 

 

 

どこを歩いても美しい石垣が残っていて、個人的に終始大興奮。今度は、北の方向を目指すことにしました。すると、またまた素敵な通りが。上小路(うわこうじ)といいます。初めは、この辺りの地名の「尾上」が付いた尾上小路だったのが、省略されて上小路に。

 

 

 

 

 

 

 

今度は、上小路をUターンして市役所方面へ進みました。細道に何やら「大村一番地」と刻まれた石碑が。今でもココは一番地なんですかね。ここの石垣もまた立派だな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

石垣ならぬ生垣。これもきちんと剪定されていてキレイ。それにしても大村市民のメンテナンス力はすごいな。今でも殿への忠義心が残っているような。カッコイイ。

 

 

 

 

 

 

 

塀とか石垣に注目して歩いていたら、なんだか市役所の緑のカーテンまで気になってきた。それにしても、このアサガオ(だよね)、こんな伸びる!? にょきにょきっと2階まで、すっぽり! エコで電力削減de支出カット。この賢さ、なんとなく五教館スピリッツを感じました。飛躍しすぎ? いや、きっと殿もお喜びのはず!

大村市本小路~小姓小路~上小路~市役所

徒歩で約1時間

軍艦島物語⑧ 〜島の暮らし①水事情〜 後半

 ある時、「原油を海底に敷いた管で目的地まで送る」というアメリカのニュース映像を偶然観た関係者が、同じ方法で水を運べないだろうかと思いつきました。しかし、当時の日本では先例がなく、島の海底には工事を阻むであろう岩礁の存在もありました。また、波も荒い上に海域の深さは40M以上もあったのです。このような事情から、難問山積となっていた水問題でしたが、当時、豊富な出炭量を誇っていた2つの島のためにと、長崎県が中心になって専門家を交えた調査が行われました。

 その結果、軍艦島の対岸にある為石・土井首・川原の3カ所を水源として昭和31(1956)年に工事が始まり、昭和32(1957)年、ついに完成。 こうして高島と端島は、どこの家庭でも自由に水を使えるようになったのです。

 

 

 

三和町為石浄水場

 

 ところで、この時の海底水道の成功は、思いがけないおまけ付きでした。 難問とされていた場所での海底水道の実現により、他の地域でも工事の施工が続きました。そして高島と端島の工事を行った企業は、日本のみに留まらず、海外にも進出し、大きな成果をあげることができたのです。

どこからともなく現れる達人たちに学べ!

秋の行楽シーズンがやって来た! 何をしようかとご思案中のアナタ、釣りに挑戦してみませんか? 今回の釣りスポットは、先月に引き続き、大村湾に面した喜々津シーサイドに行ってきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初心者でも釣りやすそうな足場。大村湾は内海で波が穏やかだからか、あのゴッツいテトラポットが行く手を阻むといった雰囲気は薄い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

釣り人がいたので、お話を伺っていると、20分もたたないうちにヒット! 竿がしなる、力が入る!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ん? もうひとりオジさんが網で魚をたぐり寄せてくれました。オジさんも釣りが好きで、よくココで釣っているそう。今日は「釣っている人がいるかな」と思い、ちょっと立ち寄ったらしい。

 

 

 

 

 

 

 

右のオジさんがもともと(?)の釣り人、左のオジさんが手伝ってくれた人。お互い、こちらで顔見知りになったそう。それにしても、お二人のチームワークが素晴らしかった。まさに阿吽の呼吸で。まるで何もいわなくてもお茶が出てくるような、長年連れ添った夫婦のよう!?

 

 

 

 

 

 

 

ホントに今さら私、気づきましたが、釣りにタオル、必要ですね。魚って手で捕まえるとすべるし、トゲがあったりして。なかなか針をとる時って難しい。汚れていいタオル、必須。

 

 

 

 

 

 

 

メイタ、ゲット! これでもなかなか大きいと思いますが、オジさんはその上のチヌを狙っているそう。

 

 

 

 

 

 

 

ギャー、フナムシだ。女子みたく驚いてみましたが、実は私、虫はわりと平気。オジさんいわく、昔はこのフナムシを魚のエサにしていたそう。一度、中へ入ったら出られない特殊な壺に集めていたんだって。虫が嫌いな方は、想像したくない情報でしたね……。

 

 

 

 

 

 

 

網で手伝ってくれたオジさん以外にも、またひとり、またひとりとオジさんたちが寄ってきて、貴重な釣り情報をピンポイントで教えてくれた。すごいな~、達人たちは。そして、静かに去っていく――。

 

 

 

 

 

 

 

今度はボラが釣れました。立ち寄ったオジさんらの情報を頼りに釣っていた釣り人は、ほぼ入れ食い状態になっちゃった! 満潮になりかけの、いいタイミングでもあったみたいですけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

飛行機の腹(?)も見られる喜々津シーサイド。次々にどこからともなく現れる達人たちのいうとおりに釣っていれば、楽勝か!? あ、運が良ければスナメリも見られるそうです❤

 

諫早市喜々津シーサイド

JR喜々津駅から車で約3分

 

軍艦島物語⑦ 〜島の暮らし①水事情〜 前半

 世界遺産に認定された産業遺産群の中でも、注目度No.1の軍艦島。テレビ、ネット等で、「軍艦島」の文字を見ない日は、ほとんどありません。  しかし当時の島人たちの暮らしぶりについては、あまり知られていないのが現状です。つい先日も、あるテレビ番組で「軍艦島は本土から水を直接持って来ていた」と、とても簡単に説明していました。

 しかし、軍艦島において水の調達が楽に行えるようになったのが昭和32(1957)年になってから。それまでは、隣の高島の住民共々、生活用水では非常に苦労していました。

 高島と軍艦島(端島)には昔から川も池もなく、湧き水もありません。そのため、2つの島の住人の飲料水などの生活用水は対岸から船で定期的に運んでいました。しかし、悪天候の為に船が出ない日もありますから、5日分は貯水できるよう、両島にはタンクも備えてありました。いずいれにしても、水はそこに行かなければ手に入りませんから、島の主婦たちは毎朝、肩に天秤棒を乗せ、棒の両端には水を入れた気桶を下げて、水を運びました。

 明治19(1886)年になると、海水から蒸留水を作ることができるようにはなりましたが、全島民の喉を潤すには足りず、水汲みは相変わらず主婦の重要な仕事となっていました。

 節水は日常的なことであり、共同浴場では浴槽は潮湯、風呂から出る時のかけ湯だけが真水でした。このように、先進の島と呼ばれ、各時代の最先端の技術で構築された軍艦島も、水の問題だけは解消できずにいました。

 ところが、「生活用水の確保」という難問を一気に解決する、画期的な出来事が起こります。

連休にピッタリ! 祭りとイベント、ダブルの楽しみ

今年は、暑い夏が怒涛のごとく去っていった――印象深い夏が過ぎ、秋風がそよぐ穏やかな日々が続いているかと思ったら、いつの間にかシルバーウィークも近づいていた。今回は、連休に行ってみたいお祭りをセレクトしてみましたよ~。

ご紹介したいのは、こちらの神浦散歩未知です。って以前、このブログでも紹介したことがありますが、しばし、ご観覧を……。開催されて、14回めとなるイベントで、神浦商店街や大中尾棚田など、魅力あふれる町中をスタンプラリーと合わせて楽しめます。まずは、このMAPを手に入れてください。

 

 

 

 

 

 

 

イベント前に訪れてみました。すでに、イメージカラーであろう黄色の案内看板が通りに設置されていました。私のように人混みはちょっと苦手という方は、いっそのこと、イベント前にフライングしてみるのも手。イベントは当然ナシですが。

 

 

 

 

 

 

 

神浦商店街に面したところにある神浦神社。実はもうひとつ、お祭りがあるんです。それが、こちら。

 

 

 

 

 

 

 

 

ヒーヒラロです。この面白ネーミングの由来は、笛の音色からついたもの。外海町の郷土芸能のひとつで、神浦神社大祭ともいわれています。行列と浮立が組み合わさったもので、行列は箒→露払い→道具→笛→〆太鼓→神鏡→神輿→お供え物の順で町を練り歩きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

神輿を目にすると、お祭り気分もUPしますね~。ちなみに、私が注目しているのは、笛。カンカン帽に浴衣といった、いなせなスタイルなんですって。お下りは今月の19日、お上りは20日と2日間行われます。必見です!

 

 

 

 

 

 

 

ヒーヒラロを見る前に、ちょいと神浦神社をお参りすることに。神浦神社は、神功皇后が朝鮮半島を制服したときに神浦に立ち寄り、当時人家にあった石に腰掛けたことをきっかけに、1796(寛政8)年に石垣を築き、境内としたといわれています。神功皇后の逸話って長崎各地にありますよね。活動的な皇后さまです。

 

 

 

 

 

 

 

その御腰掛の石が残っています。女性が座るには、わりと高めのようなカンジがしました。境内にあるので、お祭り前にぜひご参拝を。

 

 

 

 

 

 

 

再び、通りを歩いてみると、また気になる情報を発見。そとめ朝市とな。毎月第2日曜に開催中。こちらも朝のドライブルートに加えたくなるイベントです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お土産にいかが? 一瀬菓子舗さんの夕やけボーロ。夕日を連想させる丸ボーロとその名前が美しい。外海の国道202号線は、夕日が美しい通りで有名。思い切り一日を楽しんだ後は、キレイな夕日のご褒美があるかも! 雨の日でもこの丸ボーロがあれば、夕日を見た気分に浸れそうです。

 

ヒーヒラロ(神浦神社大祭)

平成27年9/19(土)・20(日)両日とも10時~

※第14回神浦散歩未知(こうのうらさんぽみち)は9/19(土)・20(日)・21(月・祝)

場所 神浦神社周辺(神浦散歩未知は外海地区神浦一帯)

駐車場あり

ジャパンカップ グレ 九州D大会(平戸宮之浦)参戦!

日本には、様々な釣具メーカーが存在している。大手メーカーでは、グレやクロダイ、キスなど、様々な釣りのターゲットに応じたトーナメント(釣り大会)を毎年開催している。 トーナメントには、1日で大会が終了し、優勝者を決定するものや、地方予選を行い、予選を勝ち上がった者でブロックでの地方大会(セミファイナル)を行い、さらに勝ち上がった者で全国大会(ファイナル)を行い、優勝者を決定するものがある。

私は、釣り糸メーカーであるサンラインが主催する「サンラインカップ グレ 宮之浦大会」と総合メーカーであるシマノが主催する「ジャパンカップ グレ 九州D大会(平戸宮之浦)」に参加した。 サンラインカップは、6月6日に平戸市宮之浦で125名参加のもと開催された。競技は、制限時間内に釣り上げた25cm以上のグレ(クロ)5匹の総重量で競われた。この大会は、1日で大会を終了し、優勝者を決定する大会である。


上礁した高島の長手のハナの地

私は、志々岐崎の二のハエのハナレというところに上礁したが、朝から波が高く、満潮が近づくと危険な状況となってきたので、瀬替わりした。つづいて上礁したのは、高島の長手のハナの地で、釣れるサイズは、規定の25cmに満たない23cmほどのグレばかりで、競技時間終了までに釣ることができたのは、30cmほどの口太グレだけだった。

 
釣り上げた口太グレ

 

港へ戻ると検量が行われ、優勝は5匹で5.18kgだった。


表彰式の様子

シマノのジャパンカップ九州D大会は、6月13日に平戸市宮之浦で約200名参加のもとに開催された。本大会は、九州地区の予選となっており、勝ち上がると10月に大分県で開催されるセミファイルの九州大会に出場することができる。さらにセミファイナルで勝ち上がると、五島市で行われる全国大会に出場することができる大会である。

競技は、サンラインカップと同様に釣り上げた25cm以上のグレ(クロ)5匹の総重量で競われるが、順位決定方法は、単純に重量順というわけではなく、抽選により振り分けられた渡船毎にその中の1位を選出し、各渡船の1位同士で順位を決める「横取り方式」となっている。横取り方式とは、A渡船とB渡船があった場合に、A渡船の2位の者がB渡船の1位より魚の総重量が重くても、B渡船の1位が順位で上位となる。

つまり、たくさん魚を釣っていても渡船の中で1位にならなければ上位にはいけないというルールである。これは、渡船毎に選手が上礁するエリアが異なるため、釣果に差やバラツキがでてくるので、それは解消することを目的としている。 私は、高島にあるモトバンに上礁した。上礁後は、抽選順に場所を選ぶのだが、3人での瀬上がりだったが、私は最後だったので1番潮上で釣ることとなった。


上礁した高島のモトバン

競技時間開始とともに釣り始めるが、潮の流れが一定でなく、苦戦しながら20~25cmのグレの中から上げ潮の止まりかけにオナガグレの38cmくらいを1枚釣ることができたが、20~25cmのグレやイサキが釣れる程度で時間だけがすぎていった。

納竿20分前には、40cmジャストの口太グレを仕留めることができ、そして納竿2分前に本流を流していると、道糸が一気に走り出すあたりを捉えるも上がってきたのは、40cmオーバーの良型のイサキだった。普段の釣行ならば喜ぶところだが、競技では・・・。

結局、私は5匹重量2,500gぐらいで、渡船1位は、約2,900gだった。

 


6月13日の釣果

ユニークなご祈願づくしで気分もほっこり

少~しずつ、秋の気配を感じるようになりました。みなさま、いかがお過ごしですか? 今回のご利益スポットは、長崎市の梅園身代り天満宮をご紹介。長崎市街地にありながら、いろんなご利益にあやかれる、お得感満載の天満宮です。

 

 

 

 

 

 

 

梅園身代り天満宮へ向かう道は、いろいろありますが、一番わかりやすいのは、こちらの長崎検番横から入る道かと思われます。ちなみに、検番とは、芸者さんの手配をしたり、統括したりする場所。運が良かったら、練習する芸妓さんたちの三味線の音色が聞こえてくるかも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

検番横の細道を歩きます。ここから天満宮まで、歩いて3分とかかりません。少し石段を上ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とにかくマメに案内看板があって、わかりやすい。この界隈だったら、手ぶらで来ても迷うことはなさそう。迷ったとしても、長崎人はすぐ、道案内してくれるはず。余談ですが、私が、街中で観光パンフレットを見ていたら、どこからともなくオバさんが来て、いろいろと説明してくれたことがあります。私もじげもんだから、道がわからなかったわけではなかったのですが、オバさんの優しさに、心が温かくなったことを思い出しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

印象的な街灯と鳥居。散策も楽しい通りです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

石段を上ると、すぐ右手に梅園身代り天満宮があります。1700年(元禄13)に創建されました。なぜ「身代り」かというと――昔、丸山に住む安田治右衛門という者が襲われ、槍で脇腹を刺されてしまった。しかし、どこにも傷がなく、不思議に思い、自邸の祠の天神さまを見ると、天神さまの脇腹から血が流れ、倒れていた。それから、身代り天満宮と呼ばれるようになったとさ――恐るべし、天神さまパワー。第二次世界大戦時も、出征を命じられた者が参拝したら、すべて無事に帰還したとのエピソードもあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この天満宮の成り立ちからして、すでにパワースポット度バツグンですが、境内には他にも様々な祈願ができます。まずは、こちらの歯痛(しつう)狛犬。狛犬の口の中に飴玉を入れると歯痛が治るそう。昔、歯痛の人が狛犬の口に水飴を含ませたところ、すぐに痛みがとれたことから、ご利益があると言い伝えられています。

 

 

 

 

 

 

 

ボケ封じ撫で牛。その名のとおり、牛の頭を撫でるとボケない。物事を忘れないつながりで、学力UPも祈願できそう。天満宮だし。お牛さまの頭のすり減り具合に、参拝客の熱心な願掛けぶりが見られます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ボケ封じ撫で牛の隣にある、この「天満宮」にご注目。文字をなぞると字が上手くなるとか。

 

 

 

 

 

 

 

信じる者は救われる。心を込めてなぞってみました。字がキレイになったかどうかは、定かではありませんが、私の心は落ち着きました。

 

 

 

 

 

 

 

天満宮といえば、菅原道真公を祀った神社。天満宮には、道真公ゆかりの牛、そして梅があることが多いですよね。こちらにも、牛の像があり、春には、梅の花が咲くといった王道スタイルです。そしてもうひとつ、「梅塚」なるものがあります。遊女や芸者が、梅干しの種を入れ、苦労がないようにと願ったそう。昔の人は信心深いなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こっちもご利益スポットがあるよ」とネコが案内してくれました。稲荷神社ですな。小説や映画にもなった「長崎ぶらぶら節」でも登場したことがある天満宮だから、なんとなく、商売繁盛も期待できるし、信ぴょう性あり!? 

 

梅園身代り天満宮

ご利益 歯痛止め、ボケ封じ、文字上達など

思案橋電停から徒歩約7分