軍艦島(端島)はコンクリート製の島のため、自然の土や緑のある場所は限られていました。そのため「緑無き島」という、あまり嬉しくないニックネームまでついていたのですが、島の住民たちは昔から、島内を少しでも緑化しようとアパートの屋上に庭園を造り、草花を育てていました。
第二次世界大戦後には、島内にはいくつもの温室が作られ、野菜や草花を育てるための畑はもちろんですが、なんと水田までありました。もっとも、周囲を海に囲まれ、潮風が吹きつける島の屋上で育てられたものですから、どれも生育は良くはなかったようです。
ただ、軍艦島の屋上緑化の目的は収穫そのものではなく、子どもの教育にありました。「緑無き島」で育つ子どもたちに、植物はどのようにして成長するのか、自分たちの暮らす土地は植物の成長に相応しいか否か。それらを学ばせるために大人たちは、子どもたちに種を植えさせ、屋上まで重い水を運ばせ、一緒に成長を見守りました。
今でこそ耳に馴染んだ「屋上緑化」という言葉ですが、子どもたちの教育を視野に入れた取り組みが、軍艦島では何十年も前から実施されていたのです。