秋が似合う石垣通りの城下町

シルバーウィークも過ぎ、レジャーに散財したという方も多いかと思われます。今回は、そんなお金がなくても楽しめる細道をご紹介します。ぐるっと歩けばダイエット効果も!? 大村市の武家屋敷通りをご案内。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

玖島城跡がある大村公園から交番横の道が、本小路(ほんこうじ)と呼ばれるところ。ここからスタートします。玖島城は、1599(慶長4)年に初代藩主・大村喜前(よしあき)が築いた城。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さっそく石碑が。本小路は玖島城の大手入口から約686メートルの通り。大村藩会所や上級家臣の屋敷が並んでいたそうです。別名・セレブストリート……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本小路には石井筆子像がありました。女性教育向上の先がけとして、長崎でも有名ですよね。また、知的障がい者への福祉や教育を推進した人物でもあります。鋭い眼差しが、信念の高さを物語っています。

 

 

 

 

 

 

 

こちらは五教館御成門(ごこうかんおなりもん)。五教館は、四代藩主・純忠がつくった集義館が前身の藩校です。藩士だけでなく、農民や町民も入学できたそう。それって、大河ドラマ「花燃ゆ」の舞台となった松下村塾よりずっと前のお話。ちょっと自慢したくなりました。五教館の卒業生たちは、松下村塾と同じく、幕末・明治維新にかけて活躍した偉人たちを多く輩出しています。藩主が使用した御成門は、現在、大村小学校の入学式や卒業式のときだけ、生徒がくぐるそう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さすが自転車の街、大村。自転車専用道路が多い。城下町の石垣を自転車で通り抜けるってなんだか絵になりますね。

 

 

 

 

 

 

 

五教館からJR大村線方向へ歩くこと数分で、この坂に到着。大村牢があったことから牢屋の坂といわれています。大村牢は1648(慶安元)年、三代藩主・純信の時に、長崎奉行からの要請で作られたそう。郡崩れの時のキリシタンや、幕末の大村騒動の囚人などが捕らえられていたそうです。

 

 

 

 

 

 

 

一瞬、字面が玖島城に見えましたが、久原城跡でした。久原城は、大村氏が最初に入った城です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さきほども書きましたが、JR大村線があり、旅情を誘います。レールを見ると、反射的に私の脳裏にはあの名曲「スタンド・バイ・ミー」が流れます。そして同タイトルの映画のワンシーンも。甘酸っぱい青春の思い出。

 

 

 

 

 

 

 

藩主に仕えた小姓が住んでいたので、この名前がついたとか。小姓をカタカナ表記にするとコショウ。あのスパイシーな香辛料を思い出した。今では、大村の武家屋敷街で最も多くの石垣が残ります。

 

 

 

 

 

 

 

あ、列車の下をくぐれる❤ 市街地に列車のある風景も大村ならではかも。

 

 

 

 

 

 

 

どこを歩いても美しい石垣が残っていて、個人的に終始大興奮。今度は、北の方向を目指すことにしました。すると、またまた素敵な通りが。上小路(うわこうじ)といいます。初めは、この辺りの地名の「尾上」が付いた尾上小路だったのが、省略されて上小路に。

 

 

 

 

 

 

 

今度は、上小路をUターンして市役所方面へ進みました。細道に何やら「大村一番地」と刻まれた石碑が。今でもココは一番地なんですかね。ここの石垣もまた立派だな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

石垣ならぬ生垣。これもきちんと剪定されていてキレイ。それにしても大村市民のメンテナンス力はすごいな。今でも殿への忠義心が残っているような。カッコイイ。

 

 

 

 

 

 

 

塀とか石垣に注目して歩いていたら、なんだか市役所の緑のカーテンまで気になってきた。それにしても、このアサガオ(だよね)、こんな伸びる!? にょきにょきっと2階まで、すっぽり! エコで電力削減de支出カット。この賢さ、なんとなく五教館スピリッツを感じました。飛躍しすぎ? いや、きっと殿もお喜びのはず!

大村市本小路~小姓小路~上小路~市役所

徒歩で約1時間

どこからともなく現れる達人たちに学べ!

秋の行楽シーズンがやって来た! 何をしようかとご思案中のアナタ、釣りに挑戦してみませんか? 今回の釣りスポットは、先月に引き続き、大村湾に面した喜々津シーサイドに行ってきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初心者でも釣りやすそうな足場。大村湾は内海で波が穏やかだからか、あのゴッツいテトラポットが行く手を阻むといった雰囲気は薄い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

釣り人がいたので、お話を伺っていると、20分もたたないうちにヒット! 竿がしなる、力が入る!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ん? もうひとりオジさんが網で魚をたぐり寄せてくれました。オジさんも釣りが好きで、よくココで釣っているそう。今日は「釣っている人がいるかな」と思い、ちょっと立ち寄ったらしい。

 

 

 

 

 

 

 

右のオジさんがもともと(?)の釣り人、左のオジさんが手伝ってくれた人。お互い、こちらで顔見知りになったそう。それにしても、お二人のチームワークが素晴らしかった。まさに阿吽の呼吸で。まるで何もいわなくてもお茶が出てくるような、長年連れ添った夫婦のよう!?

 

 

 

 

 

 

 

ホントに今さら私、気づきましたが、釣りにタオル、必要ですね。魚って手で捕まえるとすべるし、トゲがあったりして。なかなか針をとる時って難しい。汚れていいタオル、必須。

 

 

 

 

 

 

 

メイタ、ゲット! これでもなかなか大きいと思いますが、オジさんはその上のチヌを狙っているそう。

 

 

 

 

 

 

 

ギャー、フナムシだ。女子みたく驚いてみましたが、実は私、虫はわりと平気。オジさんいわく、昔はこのフナムシを魚のエサにしていたそう。一度、中へ入ったら出られない特殊な壺に集めていたんだって。虫が嫌いな方は、想像したくない情報でしたね……。

 

 

 

 

 

 

 

網で手伝ってくれたオジさん以外にも、またひとり、またひとりとオジさんたちが寄ってきて、貴重な釣り情報をピンポイントで教えてくれた。すごいな~、達人たちは。そして、静かに去っていく――。

 

 

 

 

 

 

 

今度はボラが釣れました。立ち寄ったオジさんらの情報を頼りに釣っていた釣り人は、ほぼ入れ食い状態になっちゃった! 満潮になりかけの、いいタイミングでもあったみたいですけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

飛行機の腹(?)も見られる喜々津シーサイド。次々にどこからともなく現れる達人たちのいうとおりに釣っていれば、楽勝か!? あ、運が良ければスナメリも見られるそうです❤

 

諫早市喜々津シーサイド

JR喜々津駅から車で約3分

 

連休にピッタリ! 祭りとイベント、ダブルの楽しみ

今年は、暑い夏が怒涛のごとく去っていった――印象深い夏が過ぎ、秋風がそよぐ穏やかな日々が続いているかと思ったら、いつの間にかシルバーウィークも近づいていた。今回は、連休に行ってみたいお祭りをセレクトしてみましたよ~。

ご紹介したいのは、こちらの神浦散歩未知です。って以前、このブログでも紹介したことがありますが、しばし、ご観覧を……。開催されて、14回めとなるイベントで、神浦商店街や大中尾棚田など、魅力あふれる町中をスタンプラリーと合わせて楽しめます。まずは、このMAPを手に入れてください。

 

 

 

 

 

 

 

イベント前に訪れてみました。すでに、イメージカラーであろう黄色の案内看板が通りに設置されていました。私のように人混みはちょっと苦手という方は、いっそのこと、イベント前にフライングしてみるのも手。イベントは当然ナシですが。

 

 

 

 

 

 

 

神浦商店街に面したところにある神浦神社。実はもうひとつ、お祭りがあるんです。それが、こちら。

 

 

 

 

 

 

 

 

ヒーヒラロです。この面白ネーミングの由来は、笛の音色からついたもの。外海町の郷土芸能のひとつで、神浦神社大祭ともいわれています。行列と浮立が組み合わさったもので、行列は箒→露払い→道具→笛→〆太鼓→神鏡→神輿→お供え物の順で町を練り歩きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

神輿を目にすると、お祭り気分もUPしますね~。ちなみに、私が注目しているのは、笛。カンカン帽に浴衣といった、いなせなスタイルなんですって。お下りは今月の19日、お上りは20日と2日間行われます。必見です!

 

 

 

 

 

 

 

ヒーヒラロを見る前に、ちょいと神浦神社をお参りすることに。神浦神社は、神功皇后が朝鮮半島を制服したときに神浦に立ち寄り、当時人家にあった石に腰掛けたことをきっかけに、1796(寛政8)年に石垣を築き、境内としたといわれています。神功皇后の逸話って長崎各地にありますよね。活動的な皇后さまです。

 

 

 

 

 

 

 

その御腰掛の石が残っています。女性が座るには、わりと高めのようなカンジがしました。境内にあるので、お祭り前にぜひご参拝を。

 

 

 

 

 

 

 

再び、通りを歩いてみると、また気になる情報を発見。そとめ朝市とな。毎月第2日曜に開催中。こちらも朝のドライブルートに加えたくなるイベントです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お土産にいかが? 一瀬菓子舗さんの夕やけボーロ。夕日を連想させる丸ボーロとその名前が美しい。外海の国道202号線は、夕日が美しい通りで有名。思い切り一日を楽しんだ後は、キレイな夕日のご褒美があるかも! 雨の日でもこの丸ボーロがあれば、夕日を見た気分に浸れそうです。

 

ヒーヒラロ(神浦神社大祭)

平成27年9/19(土)・20(日)両日とも10時~

※第14回神浦散歩未知(こうのうらさんぽみち)は9/19(土)・20(日)・21(月・祝)

場所 神浦神社周辺(神浦散歩未知は外海地区神浦一帯)

駐車場あり

ジャパンカップ グレ 九州D大会(平戸宮之浦)参戦!

日本には、様々な釣具メーカーが存在している。大手メーカーでは、グレやクロダイ、キスなど、様々な釣りのターゲットに応じたトーナメント(釣り大会)を毎年開催している。 トーナメントには、1日で大会が終了し、優勝者を決定するものや、地方予選を行い、予選を勝ち上がった者でブロックでの地方大会(セミファイナル)を行い、さらに勝ち上がった者で全国大会(ファイナル)を行い、優勝者を決定するものがある。

私は、釣り糸メーカーであるサンラインが主催する「サンラインカップ グレ 宮之浦大会」と総合メーカーであるシマノが主催する「ジャパンカップ グレ 九州D大会(平戸宮之浦)」に参加した。 サンラインカップは、6月6日に平戸市宮之浦で125名参加のもと開催された。競技は、制限時間内に釣り上げた25cm以上のグレ(クロ)5匹の総重量で競われた。この大会は、1日で大会を終了し、優勝者を決定する大会である。


上礁した高島の長手のハナの地

私は、志々岐崎の二のハエのハナレというところに上礁したが、朝から波が高く、満潮が近づくと危険な状況となってきたので、瀬替わりした。つづいて上礁したのは、高島の長手のハナの地で、釣れるサイズは、規定の25cmに満たない23cmほどのグレばかりで、競技時間終了までに釣ることができたのは、30cmほどの口太グレだけだった。

 
釣り上げた口太グレ

 

港へ戻ると検量が行われ、優勝は5匹で5.18kgだった。


表彰式の様子

シマノのジャパンカップ九州D大会は、6月13日に平戸市宮之浦で約200名参加のもとに開催された。本大会は、九州地区の予選となっており、勝ち上がると10月に大分県で開催されるセミファイルの九州大会に出場することができる。さらにセミファイナルで勝ち上がると、五島市で行われる全国大会に出場することができる大会である。

競技は、サンラインカップと同様に釣り上げた25cm以上のグレ(クロ)5匹の総重量で競われるが、順位決定方法は、単純に重量順というわけではなく、抽選により振り分けられた渡船毎にその中の1位を選出し、各渡船の1位同士で順位を決める「横取り方式」となっている。横取り方式とは、A渡船とB渡船があった場合に、A渡船の2位の者がB渡船の1位より魚の総重量が重くても、B渡船の1位が順位で上位となる。

つまり、たくさん魚を釣っていても渡船の中で1位にならなければ上位にはいけないというルールである。これは、渡船毎に選手が上礁するエリアが異なるため、釣果に差やバラツキがでてくるので、それは解消することを目的としている。 私は、高島にあるモトバンに上礁した。上礁後は、抽選順に場所を選ぶのだが、3人での瀬上がりだったが、私は最後だったので1番潮上で釣ることとなった。


上礁した高島のモトバン

競技時間開始とともに釣り始めるが、潮の流れが一定でなく、苦戦しながら20~25cmのグレの中から上げ潮の止まりかけにオナガグレの38cmくらいを1枚釣ることができたが、20~25cmのグレやイサキが釣れる程度で時間だけがすぎていった。

納竿20分前には、40cmジャストの口太グレを仕留めることができ、そして納竿2分前に本流を流していると、道糸が一気に走り出すあたりを捉えるも上がってきたのは、40cmオーバーの良型のイサキだった。普段の釣行ならば喜ぶところだが、競技では・・・。

結局、私は5匹重量2,500gぐらいで、渡船1位は、約2,900gだった。

 


6月13日の釣果

ユニークなご祈願づくしで気分もほっこり

少~しずつ、秋の気配を感じるようになりました。みなさま、いかがお過ごしですか? 今回のご利益スポットは、長崎市の梅園身代り天満宮をご紹介。長崎市街地にありながら、いろんなご利益にあやかれる、お得感満載の天満宮です。

 

 

 

 

 

 

 

梅園身代り天満宮へ向かう道は、いろいろありますが、一番わかりやすいのは、こちらの長崎検番横から入る道かと思われます。ちなみに、検番とは、芸者さんの手配をしたり、統括したりする場所。運が良かったら、練習する芸妓さんたちの三味線の音色が聞こえてくるかも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

検番横の細道を歩きます。ここから天満宮まで、歩いて3分とかかりません。少し石段を上ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とにかくマメに案内看板があって、わかりやすい。この界隈だったら、手ぶらで来ても迷うことはなさそう。迷ったとしても、長崎人はすぐ、道案内してくれるはず。余談ですが、私が、街中で観光パンフレットを見ていたら、どこからともなくオバさんが来て、いろいろと説明してくれたことがあります。私もじげもんだから、道がわからなかったわけではなかったのですが、オバさんの優しさに、心が温かくなったことを思い出しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

印象的な街灯と鳥居。散策も楽しい通りです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

石段を上ると、すぐ右手に梅園身代り天満宮があります。1700年(元禄13)に創建されました。なぜ「身代り」かというと――昔、丸山に住む安田治右衛門という者が襲われ、槍で脇腹を刺されてしまった。しかし、どこにも傷がなく、不思議に思い、自邸の祠の天神さまを見ると、天神さまの脇腹から血が流れ、倒れていた。それから、身代り天満宮と呼ばれるようになったとさ――恐るべし、天神さまパワー。第二次世界大戦時も、出征を命じられた者が参拝したら、すべて無事に帰還したとのエピソードもあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この天満宮の成り立ちからして、すでにパワースポット度バツグンですが、境内には他にも様々な祈願ができます。まずは、こちらの歯痛(しつう)狛犬。狛犬の口の中に飴玉を入れると歯痛が治るそう。昔、歯痛の人が狛犬の口に水飴を含ませたところ、すぐに痛みがとれたことから、ご利益があると言い伝えられています。

 

 

 

 

 

 

 

ボケ封じ撫で牛。その名のとおり、牛の頭を撫でるとボケない。物事を忘れないつながりで、学力UPも祈願できそう。天満宮だし。お牛さまの頭のすり減り具合に、参拝客の熱心な願掛けぶりが見られます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ボケ封じ撫で牛の隣にある、この「天満宮」にご注目。文字をなぞると字が上手くなるとか。

 

 

 

 

 

 

 

信じる者は救われる。心を込めてなぞってみました。字がキレイになったかどうかは、定かではありませんが、私の心は落ち着きました。

 

 

 

 

 

 

 

天満宮といえば、菅原道真公を祀った神社。天満宮には、道真公ゆかりの牛、そして梅があることが多いですよね。こちらにも、牛の像があり、春には、梅の花が咲くといった王道スタイルです。そしてもうひとつ、「梅塚」なるものがあります。遊女や芸者が、梅干しの種を入れ、苦労がないようにと願ったそう。昔の人は信心深いなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こっちもご利益スポットがあるよ」とネコが案内してくれました。稲荷神社ですな。小説や映画にもなった「長崎ぶらぶら節」でも登場したことがある天満宮だから、なんとなく、商売繁盛も期待できるし、信ぴょう性あり!? 

 

梅園身代り天満宮

ご利益 歯痛止め、ボケ封じ、文字上達など

思案橋電停から徒歩約7分

夏は旬のあの魚をイベントで狙え!

突然ですが、みなさんは「はも」と聞くと、どこの生産地を思い浮かべます? 実は、長崎も、はもの生産地として、今、名乗りをあげています! そんな「はも押し」の長崎で食べようと、7月に行われた「戸石はも・かに祭り」にお邪魔してみました。はもグルメ、ご案内~♪

 

 

 

 

 

 

 

只今、日曜日の朝8時半。「私、寝ぼけている?」と思っちゃうくらいの大盛況ぶり。梅雨時の、ようやくの晴れ。しかも、日曜日という好条件が揃ったからかな。それにしても、みなさんのスタートダッシュの早さにアッパレ!

 

 

 

 

 

 

 

イベントのスタートは8時。そう、負け惜しみ的ではありますが、私もなかなかの早さで到着したんですよ。が、さっそく、もう!?あっちこっちで品切れ気味に。長崎市の高島のひらめは、あとこの1匹で終わりでした。あ、高島といえば、世界遺産登録、おめでとうございます!!

 

 

 

 

 

 

 

海の生き物に触ることができるタッチプールもありました。そうか、夏休みだ。子どもにとっては夏の思い出がひとつ増えた❤

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はも写真付きの、このチラシによると、美味しいはもの見分け方は「身に艶があり、真っ白であること」とのこと。タンパク質、カルシウムなど栄養もたっぷりで滋養あり。

 

 

 

 

 

 

 

子ども用プール?と思うくらいの大きないけす! 泳いでいるのが、今回の主役のはも。

 

 

 

 

 

 

 

このいけすを泳ぐはもを見ながら、お客さんが「そのはも!」と指を指し、漁師さん(たぶん)が、はさみのような道具で捕まえて持ち上げる。持ち上げたはもがお気に召さなかったら、再び「それ!」「これ!」とかのやりとりを繰り返す。歯が鋭いから、素手じゃ危ないもんね……。持ち上げたはもが、まるで般若みたいな顔をしていて迫力満点。ちょっとどころか、相当コワかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まず、頭をザックリと切る。コレで鮮度もキープされるんでしょうね。きっと、はも自身も切られたことにまだ気づいていない……。

 

 

 

 

 

 

 

はもをさばくときの一番の見せ場といえば、やはり骨切り。下の皮を切らないように、リズミカルに細かく、素早く切っていく。この一手間で、小骨がまったく気にならない。ふと考えましたが、誰がこの食べ方を考えたのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

あまりにもスピーディな骨切りに驚きました。1尾を切るのに、3分もかからない。細かく切って、なおかつ皮は残してこの速さって一体、どういうこと!? まさに職人技。よかもんば見た~。

 

 

 

 

 

 

 

1尾売りだけでなく、梅肉ソース付きの湯引きしたのをパック販売していたので、さっそく購入して、家で味わうことにしました。真っ白で、まるで雪のよう。見た目も美しくてビックリですが、食べてもビックリ。小骨がまったく気にならず、もしかしてコレは最初から骨がなかったのか?と疑ってしまうくらい。食感も柔らかかったなぁ。夏が来たなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

イベントに合わせて、戸石近郊の飲食店では、はも料理がいただけます。今年は8/2(日)まで。高級魚のはもが1000円台からいただけるなんて。長崎の夏の旬として、はも料理を食べに行く、なんていうのもオツですぞ~。

母の子への深い愛は永遠に

今年は、残暑も厳しい暑さが続きますねぇ。冷たいものを食べるだけではなく、コワい話やホラー映画を見て、体温を下げ、暑い夏を乗り切っているなんて方もいるのでは? 今回の細道は、そんな暑~い夏の特別編。長崎市の光源寺に伝わる不思議な幽霊話をご紹介しつつ、散策します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まずは、お話が伝わる光源寺を目指します。こちらは巍々(ぎぎ)山光源寺の参道入口。光源寺は、他の道からもアプローチできますが、今回は、わかりやすいルートから行くことにしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数分も歩かないうちに、左手に細道が見えてきました。お寺へ向かう前に、ちょっと寄り道。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宮地獄八幡神社です。なんと陶器製の鳥居があります! 神社自体は、1653(承応2)年の創立ですが、陶器製鳥居は1888(明治21)年に作られたそう。有田磁器窯による大型細工の鳥居は、国登録有形文化財にもなっています。見るだけでなく、実際に触れることができる文化財って貴重。ぜひ、立ち寄ってみてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

再び、参道に戻ることに。光源寺を通りすぎたところに、若宮稲荷神社があることから、この通りは「若宮通り」と名づけられていますが、幽霊坂と呼ぶ人もいます。名前の由来は、もちろん、光源寺の産女(うぐめ)の幽霊です。

 

 

 

 

 

 

 

道なりに歩いていくと、光源寺の堂々とした山門が見えてきます。おっ、「産女の幽霊 御開帳」の文字を発見。本日、8月16日が幽霊の御開帳となるのです! さっそく、お寺に行ってみました。

 

 

 

 

 

 

 

境内は、幽霊を見に来た人でいっぱい。夏休み中の子どもたちも、たくさん来ていました。

 

 

 

 

 

 

 

光源寺に伝わる産女の幽霊とは、土葬された身重の女性が、土中で子どもを産み、幽霊になっても子どものために、飴を夜な夜な買いに行くという話です。子を思う母親の気持ちは、温かく、時代が変わっても普遍的。個人的にこの話、大好きでもあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

毎年8月16日は、この幽霊木像が一般公開となる日なんです。目にはギヤマンが施され、体はやせ細った姿。目は、見る角度によって、キラリと光ります。もともとは、赤子を抱きかかえた姿だったらしい。ですが、原爆投下の影響で、なくなってしまったとか。幽霊木像を見る前に、紙芝居で話を聞きましたが、母性愛よりも木像のリアルさが勝ってしまったようで、大勢いた子どもたちが怖そうに見ていたのが、正直、ウケた。でも、確かにコワいな……。参拝後には、飴がもらえます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お寺裏には、赤子塚民話の碑もあります。案内看板をたどっていくと、すぐ、ありますよ。

 

 

 

 

 

 

 

赤子塚民話は、全国各地にあるそうです。長崎では飴ですが、他県では団子や砂糖など、幽霊が調達する食べ物はいろいろあるらしい。お坊さんから聞いたのですが、長崎のお母さん幽霊は、三途の川を渡るときに使う6文銭を飴を買うお金にしたとか。話の途中で、幽霊が「今日はお金がないけど、飴をわけてくれませんか」というくだりがあるのですが、それは、この6文銭を使い切ってしまったから。亡くなっても子どもを守る。母の愛は、どこまでも深い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

涼しくなったというより、感動の涙で浄化された感じになったなぁ。光源寺を後にし、寺町通りを浜町方向へ歩くことにしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

右へ下り、中通りへとやってきました。実は、産女の幽霊には続きがあるんです。その話と関係がある場所へご案内。

 

 

 

 

 

 

 

赤ちゃんは、飴屋の主人や光源寺の住職、町民たちのおかげで、父親のもとで育てられることになったのですが、助けてくれたお礼がしたいとのことで、飴屋に、あの幽霊が現れたのです。ご主人は、町内に水がないから困っていることを伝えると「自分の櫛が落ちているところを掘ると水が湧き出る」といって消えました。あくる日、櫛をたよりに掘ってみると、きれいな水が湧き出てきて、町内の人々は大喜びした――これが、お話の結末です。その井戸跡といわれるところが、こちら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ド派手な自販機の向かいに、この井戸跡があります。今日は、御開帳の日でもあったので、盛り塩がありました。しかし、なんと律儀な幽霊。母性愛もですが、右往左往しながらも町の人々たちが助ける人情深い、いい話! 不思議なお話を、頭で思い描きながら、アナタも町を散策してみませんか。

 

光源寺参道入口~光源寺~中通り

徒歩約20分

 

夏の曇り空の日が狙い目

今回の釣りスポットは、西彼杵郡時津町をご紹介します。内海の大村湾に面した漁場なので、波も穏やか。しかも、大村湾は、夏が釣りシーズンなんですって! 長崎市街地から車で30分ぐらいなので、気軽に釣りも楽しめそうですよ。さっそく、地元でメジャーな釣りスポットへゴー!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

町内の中でも、工業地帯の6工区・7工区・8工区と呼ばれるエリアが有名どころ。以前、このコーナーでも7工区はお邪魔したことがあるので、今回は6工区へまず、足を運んでみることに。すると、推定50~60代のオジさんが釣りをしていました。話を聞くと「ここより、8工区が、もっといっぱい釣り人がいるよ」との情報をいただきました。じゃ、なんでオジさんはここで?と図々しく聞いてみたところ、「逆に人が多いところは苦手で」とのこと。1人になりたいときってある、ある。海を見ながら、静かに釣る――これだけでも、心が穏やかになりそう。ごめんね、オジさん。お邪魔しちゃいました。

 

 

 

 

 

 

 

1人になりたいオジさんが、それでも親切に教えてくれた8工区は、写真の船のところ辺りです。雨模様だったので、後日、行ってみることに。

 

 

 

 

 

 

 

8工区は、時津町の先久留里といわれる、海側へ向かったところです。あ、1人、オジさんが帰ろうとしている。待ってくださ~い! この日は、午前9時頃で、すでに強烈な日差しが。釣り人も少なかったみたい。

 

 

 

 

 

 

 

あえなく、2人中1人、オジさん退却……。アジゴを狙っていたそうです。どうやら、ほどほどの釣果があった風。一方のオジさんに、ズケズケとお話を伺うことにしました。おー、もう魚群が見えている!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日はちょっと晴れすぎたからね。ここらへんは、曇りの日がよく釣れるんだよね」とのこと。ありゃ~、そしたら6工区に行った日に来ればよかったのかも。軽く、後悔。――気を取り直して、再びオジさんに話を聞きました。オジさんは、チヌ狙い。本当は、4、5月がチヌも丸々と太っているそうですが、夏場でもなかなか大きいのが釣れるみたい。ほか、メジナやボラなど、釣れる魚の種類も豊富。最近、よく8工区で釣るそうで、何が釣れるのかとか、釣り方とか、美味しい食べ方まで、ここで釣っている人に教えてもらったとか。「ボラの味噌煮が美味しいと聞いて、奥さんに作ってもらったら、本当に美味しかった! 大村湾のボラは、程よく脂がのっていて、臭みもなかったよ」だそう。う~ん、それは美味しそうだ!!

 

 

 

 

 

 

 

オジさんは、撒き餌をして釣る作戦で、すでに1匹、チヌを釣っていました。正直、なんか余裕あるなと思っていたら、釣っていたんですね……。写真ではよくわかりませんが、40cmぐらいはあるみたい。

 

 

 

 

 

 

 

私が、根掘り葉掘り釣り話を伺っていたら、魚が警戒して、まったく当たりが出なくなったので、心苦しくなり、退散しました。オジさん、ごめんね。またしてもオジさんに迷惑をかけちゃった、2人もね……。あ、前に見た砂の山だ。もちろん、砂山エリアは立ち入り禁止。ですが、この風景を目印に、夏の大村湾で大物ゲット!してみてくださいね。私、お邪魔しませんから、安心して❤釣ってください。

 

西彼杵郡時津町先久留里・8工区

長崎市街地から車で約30分

福江大立神で口太グロ爆釣。

4月11日に五島列島福江島へと会社の同僚と釣行した。私は、前日の夕方のフェリーで福江島入りし、早朝から玉之浦へと車を走らせた。 6時前には、大鳥丸が出港する玉之浦港に到着し、準備を済ませて荷物を積み込み、6時15分に玉之浦港を出港した。 玉之浦港を出ると北風が吹いているので、西側の磯を避け船は南下していき、大瀬崎灯台付近から瀬付けを開始し、私たちは、「大立神」へと上礁した。


上礁した大立神

 

マキエと仕掛け(道糸:サンラインのブラックストリームマークXの1.75号、ハリス:ブラックストリームの1.75号、ウキ:ガルツの匠グレの2B、GPS(Sサイズ)のBを使用した半誘導仕掛け)を用意し、ハリスにはガン玉のG7をハリ上50cmのところに1つ、ウキ止めを3ヒロのところにつけた。 マキエを足元と小立神の周りに入れてから、仕掛けを投入し潮に合わせて少し張り気味に仕掛けを流していくと、穂先にコツンと当たりがあったので、すかさず竿を立てるだけの合わせを入れる。久しぶりのグレの引きを楽しませてもらい取り込んだのは、40cmオーバーの丸々とした口太グレだった。


1尾目の口太グレ

 

続けて、タナを調整しながら探っていくと、3~5ヒロのタナで調整しながら釣っていくと、30~40cmのクチブトが1投毎に当たってくるので、35cmオーバーだけキープしていく。

10時をすぎると、小立神の沖側を本流が勢いを増して流れ始めた。この潮の流れなら尾長グレが当たるかも、と思い、ハリスの中間にG6のガン玉を追加して、本流を狙ってみる。小立神の周りと引かれ潮にマキエを撒いてから、本流の中に1杯、仕掛けを本流に投入してから、ウキの周りに数杯撒いて流していくが、数投してもツケエが盗られないので、直結部にガン玉のG5を追加することにした。すると、30mほど流したところで道糸を引っ張るような当たりがきたので、穂先でききながらアワセをいれる。本流の重みも喰わって重量感たっぷりの引きを楽しませてもらいタモ入れしたのは、43cmの口太グレだった。続けて40cmの口太グレが当たってきが、狙いの尾長グレではないので、直結部のガン玉をG5からG6に変更して少し浅いタナを意識して狙うことにした。

仕掛けを投入して、時折張り保つことを意識しながら流していくと、パラパラと出ていた道糸の出方が遅くなったので、スプールに指を当てて道糸の出を止めていると、穂先を押え込むと同時に道糸が弾かれるアタリがきた。先ほどよりも鋭い引きで、磯際まで寄せてきてからも幾度となく突っ込みをみせる。数度の突っ込みをロッドワークで交わし、取り込んだのは45cmの尾長グレだった。

午後からの下げ潮も上げ潮と同じ方向にゆっくりと流れている。仕掛けを投入すると、ツケエだけが盗られるので、仕掛けを変更することにした。ウキを匠グレから巧派グレ(Mサイズ)の0号にGPS(Sサイズ)のG5とし、ハリスもVハードの1.5号に変更した。タナは、再び3ヒロからスタートすることにした。

早速、30~35cmの口太グレが釣れてくるので、タナを半ピロほど深くして、マキエを仕掛けの投入点に先打ちし、間隔をあけて潮上側にずらしながら3杯ほど撒いてから仕掛けを投入する。そして再びウキの潮上にマキエを2杯ほど撒いてから仕掛けを流していく。すると、ウキの頭を抑えるだけの当たりがあったので、穂先で誘ってやると、巧派グレが海中へと消し込んでいった。

竿を立てると重々しい引きをゆっくりと楽しんで取り込んだのは、45cmの口太グレだった。 この後、下げ潮が動くことはなかったが、30cm~40cmの口太グレが退屈しない程度にあたってきた。

 


45cmの尾長グレと口太グレ

 

納竿は、午後5時だったが、4時すぎには納竿し、磯を洗い流し回収の船に乗り込んだ。

長崎編特別寄稿 奥野賢志

  

<渡船の問い合わせ先>
渡船:大鳥丸(永尾船長)
TEL:090-1165-0091
料金:4,000円

マップ

昔はケンカ騒動も!? 地元愛満載の夏の風物詩

今年の夏は暑い! 「暑い暑い」と言ったとて、気温が低くなるワケではないのに、ついつい口にしてしまいますよねぇ。こうなったら、暑い夏を楽しむ!これに限ります。今回のお祭りは、西彼長与町で行われた長与ペーロン大会に行ってみました。

 

 

 

 

 

 

 

西彼長与町は、長崎市中心部から車で30分ほどのところにあります。大会の本部は、長与港の西側埋立地。もう予選が始まっていた~っ! 主に地区対抗となるフリー・子ども・愛好会・職域・レディースがそれぞれ戦って、フリーチームだけ、決勝レースをする段取りでした。

 

 

 

 

 

 

 

長与港の西側埋立地には、ペーロン船を格納する海洋スポーツ艇庫がありました。海はこの目の前。便利なところに作っているなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

会場内をウロウロ。すると、ペーロンの道具があちらこちらに置いてありました。こちらはおなじみの櫂。よくよく考えてみると、この櫂を使って船が進むのだから、ヒトの力も捨てたモンじゃないですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ペーロン船を各チームが保有しているのではなく、長与町が貸出しているようです。船尾の長与町章が眩しい☆ 選手たちが、用意された船に乗り込んでいました。ちなみに、ペーロンの語源は、中国の白龍(パイロン)だといわれています。福建地方の競渡船がルーツらしい。船の形や装飾など、時代を経て、長崎独自のものになっていきました。360年前から行われていたというから、なかなか歴史も古いんですよ。今では、長崎県の各地で、夏になるとペーロン大会が行われるように。いわば、長崎の夏の風物詩なんです!

 

 

 

 

 

 

 

救助船もスタンバイ。選手たちも安心してレースに専念できますね。

 

 

 

 

 

 

 

レース後、「お父さ~ん!」と叫ぶ、麦わら帽子を被った女の子。お父さんは、きっとこの時ばかりは2割増し。いつものダラダラパパじゃない! 今日は輝いてみえたハズ!!

 

 

 

 

 

 

 

ん? お揃いのTシャツを着た女子の集団がやってきた。――選手!? 意外にも女性の参加も多かった。カッコよかね~。

 

 

 

 

 

 

 

男性とは明らかに違う、女子の甲高いかけ声が海いっぱいに響き渡ります。可愛い声に思わず、近所のオジさんたちが吸い寄せられるように浜へと繰り出して来ました……。

 

 

 

 

 

 

 

14時半頃、ついに決勝戦となりました。「最後のレースです」との会場アナウンスが聞こえたと同時に、観客のボルテージもぐ~んと上がった模様。斉藤地区のチームは、近所のオジさんオバさんの力強い声援で選手たちを後押し。

 

 

 

 

 

 

 

スタートラインに並ぶペーロン船5隻。遠くてわかりにくいですが、右から順に三彩、岡郷の南・北、斉藤、岡中央です。みなぎる緊張感。昔は、ケンカ騒動もあり、長崎奉行が禁止令を出したなんて話もあるくらい、真剣勝負なんです。私の頭の中では、あの泣き虫先生でおなじみのドラマ主題歌がずっと鳴り響いていた……。

 

 

 

 

 

 

 

スタート! 今大会のコースは全長1150メートル。遠くに見える防波堤近くのブイをターンして、スタート地点まで戻ります。これだけの距離を5分ちょいで返ってくるってすごいなー。長崎の若者たちは逞しい!

 

 

 

 

 

 

 

結構、2位の岡中央に大差をつけて優勝したのは三彩チームでした。タイムは5分10秒。結果が出てからいうのもナンですが、予選を見ていて、三彩が優勝すると目をつけていました。心の中で勝手に「黒いイナズマ」とネーミングして密かに応援。なぜ、このネーミングかというと、黒いTシャツを着ていたから……わはは。

 

 

 

 

 

 

 

優勝トロフィーも別に用意されていましたが、海上では笹竹に「優勝」と書かれた旗が渡されていました。おめでとう!

 

 

 

 

 

 

 

三彩チームを応援していた人々から「よくやった~!」「ありがとう!」の声が。選手たちは郷土の誇り。

 

 

 

 

 

 

 

最後は、決勝を戦った5チームによる「ラストラン」。別に、知り合いがいるワケでも何でもないのに、感動しました。決勝の緊張から解き放たれた選手たちの力走と、やまない声援と――夏が終わった(終わってないけど)。こんなに爽やかな夏を味わえるのなら、多少、暑くてもいいもんだと再発見できた日でした。

 

第32回長与町ペーロン大会

平成27年8月2日

西彼杵郡長与町・長与港