軍艦島物語㉒

 長崎市内から車で約40分ほどの場所にある野母崎町は、肉眼で軍艦島を眺めることができる、唯一の町です。

 ドライブラインに縁取られたような野母崎の町は、沿岸線に何カ所かビューポイントがあります。中でも高浜アイランドは、高浜海水浴場にカフェなどが併設された複合施設になっており、家族連れやカップルにピッタリの場所。カフェ内で食事したり、コーヒーを飲みながら洋上の軍艦島を楽しめます。

 また、隣接する800メートルほどの白砂のビーチ近くに遊歩道や芝生スペースがあり、絶好の撮影ポイントになっています。

 夏になるとマリンスポーツで遊ぶことができるので、軍艦島を眺めながらカヌーやシーカヤックを楽しめるのが最大の魅力です。

 「軍艦島にはすでにクルーズ船で何度か上陸した」、という方、観光慣れした友人を驚かせたい方…。野母崎での、ひと味違う軍艦島の楽しみ方はいかがでしょうか。

photo:2016©P3Labo

冬の雨が似合う国際墓地へ

今回の細道は、長崎市稲佐エリアにやってまいりました。稲佐といえば稲佐山からの夜景が観光客に人気ですが、ひとことで「稲佐」といってもいろんな顔がある場所なんです。

 

 

 

 

 

 

 

今回は、観光名所というか、個人的にオススメしたい細道があるのでご紹介したいと思います。そう、稲佐悟真寺(ごしんじ)国際墓地です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

手ぶらでも案内看板や地図があるので大丈夫かと思われます。近くに公共トイレもありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

稲佐悟真寺国際墓地に行くには、バスが便利。近くのバス停の名前は、悟真寺前バス停。そのバス停近くに、さっそく看板が。唐人墓地祭場所(まつりばしょ)石壇です。戦時中、悟真寺境内の国際墓地内に移されていたそうですが、戦後再び現位置へ。1659(万治2)年、長崎在住の唐人たちが、死者の霊を慰めるための祭場所として作られたそうです。

 

 

 

 

 

 

 

小道に入ると蓮池があります。右の看板に書いてある言葉がしみる。看板横の小さな橋を渡ると稲佐悟真寺国際墓地ですが、ここから左の方へちょっと歩いてみることにしました。

 

 

 

 

 

 

 

蓮池を右手に細道をてくてく。私の中では、勝手にこの道を「蓮池ロード」と名づけました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

蓮池ロードは100mもないかも。道がふたまたに分かれていたので、左手の方へ足を進めてみました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すると悟真寺に到着するんです。1598(慶長3)年、聖誉が開創。開創当時は、キリスト教全盛の時代で、聖誉はなんとかして仏教を再興させたいと願っていたそうです。岩窟に隠れながら布教を続けたという話も残るほどガッツあふれるお坊さん。ちなみに、写真の悟真寺の赤門は1903(明治36)年に改修されたものです。

 

 

 

 

 

 

 

来た道をUターンし、蓮池ロードに戻ると、さきほどの蓮池の看板横にあった橋を渡ります。ここからが稲佐悟真寺国際墓地。石段が続きますよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

墓地というとなんとなく全体的にグレー一色の世界が広がりがちですが、石段にレンガ塀が、まるで異国に来たかのようです。ココが、私のオススメの細道。

 

 

 

 

 

 

 

ロシア人墓地があります。1858(安政5)年、ロシアのフリーゲート艦アスコルド号でコレラが発生し、死亡した乗組員を埋葬するために造られました。だけど、なんで稲佐でロシア?と思われる方もいると思いますが、1853(嘉永6)年、ロシア使節プチャーチンが長崎に来航し、稲佐に上陸を許されて以来、50年もの間、海軍の滞在地として賑わったという歴史があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ロシア人墓地の敷地内には入れませんが、レンガ塀のところからでも、写真の白いチャペルが見られます。かつては、ロシア艦隊が長崎で越冬し、稲佐一帯がロシア村と呼ばれていたほど。繁栄していた証のようです。

 

 

 

 

 

 

 

絵的にすごく長い道のりに見えますが、橋から最上段まで歩いて5分ほど。稲佐悟真寺国際墓地には、唐人墓地やオランダ人墓地などもあり、国境を越えた人々の思いが詰まっているようで、まったく関係のない私でも、稲佐の人々の大きな人間愛に、なんだかほろりとしてしまいます。

 

 

 

 

 

 

 

レンガ塀のある石段の最上段に到着。右手には長崎港が広がるナイスビュー! 上ったかい、大アリです。

 

 

 

 

 

 

 

ロシア人墓地は入れませんでしたが、向かいの墓地には入られたので、ちょっと失礼することに。ずんずん足を進めてみると、石碑発見。風化して墓石の文字が読めなくなる前にと、墓石の位置と名前が記された石碑でした。

 

 

 

 

 

 

 

ルイスさん、ソロモンさん……。もし、子孫が先祖の墓参りをすることがあったら、きっと感動するだろうなぁ。墓石の周りもキレイに清掃されてました。外国人であっても、日本人であっても、大事に弔う――そのことには、人種は関係ないと改めて感じた冬の雨降る散歩道でした。

 

長崎市稲佐蓮池~悟真寺~稲佐悟真寺国際墓地

往復徒歩30分

世界文化遺産で寒グレ釣行。

 世界文化遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産」の構成資産の1つに「端島炭鉱」がある。端島炭鉱のある長崎市の端島(軍艦島)は、昔から釣りのポイントとして有名で、冬になると寒グレの大型が釣れるため、多くの釣り人が訪れる。私は世界文化遺産に登録される数年前に1度だけ訪れたことがあったが、12月19日、久しぶりに軍艦島に釣行することにした。

 当日は、フィッシングショップオガワでオキアミ生2角とボイル1角、マルキューのグレパワーV9徳用1袋、グレの道1袋を購入し、港へと向かった。

 映画館下のポイント

 ゑびす丸は、野母崎の野ノ串港を午前6時30分に出港し、5分ほどすると夜明け前の薄暗い海に軍艦島が姿を現した。私は、軍艦島の西側に位置する「映画館下」というポイントに上陸した。

 マキエを用意してから、仕掛け(ウキ:ガルツのグレスト(テトラポッツバージョン)のSサイズのG2(GPS:SサイズのG2)、道糸:サンラインのGOLDISHの1.75号、ハリス:Vハードの2.25号を1ヒロ、道糸とハリスは直結)を用意した。

 早速、マキエを撒いてから釣り始めると、当たりがないままツケエサばかりが盗られる。出港前の船長の話では、半ピロから1ヒロのタナでグレが当たってくるとのことだったので、ハリスを半分にカットしてみることにした。すると、すぐに当たりがあり、37cmの尾長グレを釣ることができた。続けて35cm、32cmの口太グレが当たってきた。

 やがて、上げ潮が徐々に動きだした10時頃には、バリやフグなどのエサ盗りが活発にエサを拾うようになり、また、グレの喰いも渋くなりアタリが少なくなった。そこで、ハリスを2.25号から1.75号にサイズダウンすることにした。

 仕掛けを変更して、しばらく繰り返していると、ウキが10cmほど沈んで一旦停止し、一気に海中へと消え去っていった。周囲には、沈み瀬だらけなので、慎重に浮かせてタモ入れした。取り込んだのは、46cm、1.6kgの口太グレだった。

午後になると、潮の流れが速くなり、仕掛けが落ち着かなくなった。その後、潮止まり近くの潮が緩んだ瞬間に33cmの口太グレを追加したところで、午後1時半となったので、マキエを洗い流し、午後2時の回収の船に乗り込んだ。

 筆者が仕留めた46cm、1.6kgの口太グレ       こんな所に乗ってます

 

 お世話になった「ゑびす丸」                この日の釣果

 

 
軍艦島全景

 

<渡船の問い合わせ先>

渡船:ゑびす丸(馬場船長)TEL:095-894-2039
料金:4,000円

<エサ&釣況の問い合わせ先>
フィッシングショップ オガワTEL:095-878-1301

数十メートル違いの釣りポイント

今年初の釣りスポットは、西彼杵郡長与町の長与港に行ってみました。以前にもこのコーナーで紹介しましたが、今回は、長与港は長与港でも、ふれあい広場近くの大村湾沿い。どんな魚が釣れるのか楽しみです!

 

 

 

 

 

 

 

ふれあい広場横の海沿いを歩いてみました。この日、天気は良かったけど、北風が寒かった。ふと、大村湾に目をやると漂流する鳥たちを発見。何?カモ? 大海原への大冒険の旅が始まる(←ドキュメンタリー風)。

 

 

 

 

 

 

 

お、遠~くに釣り人の姿が。さっそくお邪魔して、話を聞いてみました。

 

 

 

 

 

 

 

まるで、オジさまたちの社交場と化した波止場。さきほどの鳥たちが泳いでいた側は、北風が強かったせいか、防波堤のある方で釣りを楽しんでらっしゃいました。みなさん、顔見知りで、だいたい朝の8時頃に来たそうです。

 

 

 

 

 

 

 

最初に見かけたオジさんのところが良く釣れるポイントだったらしく、次々に魚がかかっていました。写真はフグだったので捨てちゃいましたが。

 

 

 

 

 

 

 

フグを釣った約5分後、またオジさんに当たりが。釣り友に網で魚をすくってもらっていました。

 

 

 

 

 

 

 

チヌ狙いとのことで、チヌの一歩手前のメイタをゲット。歯がなんか鋭い。オジさんも釣り針をはずすのに苦戦していました。

 

 

 

 

 

 

 

お隣のお隣に陣取っていた茶色パーカーのオジさん。「今日はあまり釣れんからもう帰る」とのことで、お昼前に退散。釣った魚はココでウロコなどをとっていくとか。ウロコはきちんと海水を流してお掃除。釣り人のマナー、素敵です!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ~、また釣れたとね」と少々うらやましそうな!?手前のオジさん。オジさんもチヌ狙いでした。

 

 

 

 

 

 

 

堤防近くのオジさんが釣り上げたのは、またまたメイタ。体長は25センチぐらいかな。寒い冬はコレをアテに一杯できますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帰り際、ふれあい広場にあったがんばらんば国体の看板に励まされました。がんばくん、らんばちゃん、がんばっとるなぁ。釣り人たちもこの文言に癒されること間違いなしです。

 

西彼杵郡長与町・長与港

長崎市街地から車で約30分

 

軍艦島物語⑳ 〜石炭のお話 その5〜

photo:2015©P3Labo

 かつて長崎県内には20カ所近い炭鉱があり、日本の石炭産業の躍進に貢献しました。しかし、アメリカで石油採掘の技術が開発され、サウジアラビア、イラクなどで巨大な油田が次々と発見されると、安価で輸送や貯蔵に便利な石油は、石炭に変わる新しいエネルギー源として台頭。一気に消費量が増えました。そして、それは石炭産業の終焉を意味しました。それまでエネルギーの主役だった石炭は、石油の消費量と反比例してその消費を減らし、同時に、数百あった日本の炭鉱は次々と閉山しました。

 しかし、現在の日本でも石炭は使われており、消費量はエネルギー全体の22%を占めています。長崎県西海市にある松島火力発電所は、国内で初めて輸入炭を使った火力発電所です。おもにオーストラリアや中国からの輸入炭を使って発電しており、九州・四国・中国の電力会社に供給しています。 

30年続く元村地区の節分祭

2016年1月も、はや中盤へとさしかかってきました。みなさま、いかがお過ごしですか? 今回のお祭りは、もうすぐ節分ということで、西彼杵郡時津町にある祐徳稲荷神社の節分祭をご紹介したいと思います。実は、昨年、節分祭にお邪魔したんです!

 

 

 

 

 

 

 

祐徳稲荷神社では、毎年18時からお祓いが始まるとのことで、18時ちょい前に自宅からすでに仮装……いや衣装を身に着けた人々が祐徳稲荷神社へとやってまいりました。

 

 

 

 

 

 

 

裃姿の年男、天狗、女装した方まで。いろいろなお姿の方がお祓いを受けていました。演者(?)さんらは、地元の元村地区の人々が中心だそう。無事節分祭がすむようにお祓いを受けます。10分ほどで終了。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お祓い後、大王や天狗に扮した人々が、一般家庭に出向く前に、まず、社務所内を鬼払いします。入る順番も決まっていて、大王→年男→天狗→福娘2名→高砂婆→高砂爺→恵比須さま→大黒さまと続きます。大王が「鎮地府の将軍 国 摂津守 源頼光 彰子が岳に 鬼が住家をなしている その鬼が下るか 下らぬかために始まったる鬼豆打ちなり」といって中に入ります。こちらの豆まきは、ただ豆をまくのではなく、物語があるみたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大王に続いて年男が入ります。手には豆まきの升が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次は、迫力満点の天狗登場。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天狗の次は福娘。場の雰囲気を和らげてくれます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

続いておばあさんの高砂婆。腰を曲げた姿勢は、たとえ若者であっても腰にきそう。おばあさんとくれば、お次はおじいさんの高砂爺。おばあさんは「もっとも もっとも」、おじいさんは「その声 その声」というセリフです。

 

 

 

 

 

 

 

おじいさんまで揃ったら、家の中をぐるぐる回りながら豆をまきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

みんなが外に出たら、恵比須さまが登場します。「親も代々 子も代々 代々伝わる福の神 福はこの家にどてんどっさり」と大声で叫びます。

 

 

 

 

 

 

 

 

最後は「福は内 福は内」といいながら大黒さまが、大きなうちわをふります。この寸劇(?)を各家庭へ出向き、行います。厄払いとはいえ、たいへん!

 

 

 

 

 

 

 

恵比須さまはセリフにある「親も代々(だいだい)~」の代々にかけて、縄に通した果物のダイダイを持ってます。時々、家のご主人とひっぱりあいに!? このダイダイにふれると縁起が良いそう。 

 

 

 

 

 

 

 

普段見慣れない仮装集団に、子どもが泣き叫ぶかと思いきや、そこまで泣きじゃくる姿もなかった。鬼役がナイので、ビビらせる必要もないか。豆の片づけはたいへんそうですが。

 

 

 

 

 

 

 

3班に分かれて、2時間ぐらい回りました。各家庭で、お酒やご当地スイーツの時津まんじゅうなどいろんなお接待も受けました。すっかり日も落ち、冬なので寒い。だけど、節分祭は厄を祓い、新しい年への豊作を祈願する大事な神事。元村地区では、30年続いているそうです。地域のオジさまたちの頑張る姿がかっこよかった。

 

 

 

 

 

 

 

「持っていかんね」と私もまきものをいただきました。お札と、アラフォーな私でも年の数だけ食べられる煎り豆と、5円玉が入ったお守り。ご利益ありそうです。拝観したい方は、祐徳稲荷神社で見るのがベストかも。

 

祐徳稲荷神社節分祭

2016年1月31日(日)18時~

場所 祐徳稲荷神社

※お祓い後は元村地区を巡

軍艦島物語⑲ 〜石炭のお話 その4〜


photo:2015©P3Labo

 日本は小さな島国でしたが、石炭の豊富な埋蔵量と西洋式の技術をうまく取り入れたため、イギリスから起こった近代化の波に乗ることができました。

 明治時代になり石炭が産業用燃料として価値が認められると、長崎県の高島や端島の他にも、新政府が後押しをして北海道の釧路、夕張、福島県の常磐、福岡県の築豊、三池、佐賀県唐津、長崎県の松浦など、日本各地に炭鉱が開かれました。同時に、香港や上海など国外にも輸出するなど、鉄道、船舶などの輸送用燃料として、石炭の大量消費の時代へと突入しました。その結果日本は、製鉄産業や造船業が興隆。工業大国として世界中から注目を集めました。

 このように日本で次々に炭鉱が開かれ、石炭産業が日本の基幹産業として躍進を続けた背景には、長崎県の多大な貢献がありました。

病魔退散!あとイノシシも!?

2016年に入り、第1回めのパワースポット巡り。今回は、長崎市琴海エリアにやってきました。知る人ぞ知る薬師如来の登場です!

 

 

 

 

 

 

 

場所は、琴海の長浦町。長浦小学校近くにあります。地元の方から「神上薬師さま」と呼ばれていて、江戸時代の寛永期にはあったといわれる古い神社。長浦に知行地を持つ大村藩家臣・針尾半左衛門の寄進によるものとされています。

 

 

 

 

 

 

 

本堂は比較的新しめ。平屋で日当たり良好。って物件を探しているワケではないですが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

じゃじゃ~ん、金色に輝く薬師如来像。この薬師如来像は、長浦の村人たちの除災安全の祠堂として建立されたそう。薬師如来は、病から人々を救ってくれる神さま。右手には、薬が入った薬壺を持っています。今年も病気をせず、元気で暮らせますように!

 

 

 

 

 

 

 

それにしても日が入って気持ちいい本堂。イスもあり、日なたぼっこできそう!? ま、あまり長居してはいけないでしょうが……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

撮影に来たのは、昨年12月中旬でした。しかし、こんなに遅くまで、イチョウって紅葉してましたっけ?? 異常気象のせいかしら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ん? 境内には、もうひとつの小さな祠がありました。お地蔵さまですよね。一瞬、耳たぶが、おかっぱ頭に見えて、日本画の麗子像を思い出しました。

 

 

 

 

 

 

 

正直、境内はあまり広くないですが、ドライブがてらに、ひと休みするのにちょうどいい広さかも。あ、これは猪垣では。さきほどの異常気象とつながりそうですが、最近、イノシシ被害が多くなったって聞くなぁ。これも、ある意味、除災? 思わず、再度、本堂に向かってお祈りしたのでした。

 

神上薬師さま(瑠璃光殿)

ご利益 除災安全、病気平癒など

長崎市街地より国道206号線を

佐世保方向に車で約50分

具雑煮食べて歴史もお勉強

ハッピーニューイヤー! 明けましておめでとうございます。みなさま、今年もどうぞよろしくお願いしま~す。今回のグルメは、新春らしくお雑煮をご紹介。

 

 

 

 

 

 

 

突然ですが、ココは南島原市南有馬町にある原城跡。グルメ紹介なのに、なぜ史跡の紹介から入ったかというと――紹介するお雑煮は、この地が関係しているからなんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1637(寛永14)年に起こった島原の乱。キリシタン大名・有馬晴信が処刑された後、島原藩主となった松倉重政とその子・勝家の圧政への不満から、キリシタン農民が起こした一揆です。一揆軍が原城に籠城したときに、農民らに餅を兵糧として蓄えさせ、山や海から様々な材料を集めて雑煮を炊いたといわれており、今では具雑煮と呼ばれる郷土料理として有名です。作ってみる前に、まずは一揆軍の総大将であった天草四郎像にお祈りしました。

 

 

 

 

 

 

 

各家庭で入れる具材もダシもいろいろ。島原の郷土料理のイメージが強いですが、長崎市街地の飲食店でも、味わえるところがあります。具材は餅、鶏肉、しいたけ、ごぼう、レンコン、山芋、春菊、かまぼこ、あなご、卵焼きなど。ダシは、かつおだしベースのところが多いかも。私も、さっそく作ってみることにしました。私の中でのマストアイテムは3つ。まず、ごぼうです。具雑煮のごぼうは、細いせん切りのイメージだったので、やってみました。

 

 

 

 

 

 

 

マストアイテムその②は鶏肉。お、ラベルに「しまばら」の文字が。勝手に運命を感じた。

 

 

 

 

 

 

 

彩り良く、にんじんを入れてみることに。具雑煮というだけあって、10数種類の具材がたっぷり入るのが特徴かも。各家庭によって味も具材も異なります。

 

 

 

 

 

 

 

春菊も好きですが、みつばをぱらりと入れてみました。

 

 

 

 

 

 

 

完成~。鶏肉や卵焼きのたんぱく質と、餅の炭水化物、野菜のビタミンと栄養満点。島原の乱が起こったのは、冬の時期。寒い中で食べる具雑煮の味は格別なものだったろうな……。今年、長崎は「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」として、2つめの世界遺産を目指しています。その構成資産のひとつに、原城跡もあります。平和で、自由な日本。現代の平和、豊かさに感謝しながら、いただきました。

50cm、2.1kgの口太グレ!

 寒波が入った翌週の12月6日に長崎市野母崎沖の三ツ瀬に釣行することにした。

 当日、フィッシングショップオガワでボイル3角とパン粉3kgを購入し、港へと向かった。光隆丸は、6時60分に野母港を出航した。5分ほどで三ツ瀬へと到着し、高三ツ瀬から瀬付けが始まり、私は、6名でコブ瀬へと上礁した。

お世話になった光隆丸

 
上礁したコブ瀬

 おのおのが釣り座に入ったところで、私は空いていた「水道」というポイントに入った。

 用意したボイルを海水に浸してから仕掛け(ウキ:ガルツのグレスト(テトラポッツバージョン)のSサイズのB、道糸:サンラインのGOLDISHの1.75号、ハリス:Vハードの2号を2ヒロ、道糸とハリスはガルツのライトスイベル14号で結束)を用意した。

 潮は、高三ツ瀬との水道を左から右に下げ潮が流れている。足元と沈み瀬付近にマキエを撒いてから、2ヒロの半誘導仕掛けを竿1本先に投入する。しばらく繰り返していると、グレが視認できるようになったので、ハリ上50cmのところにガン玉のG8を取り付けた。

 これが正解で、沈み瀬の手前のところでウキが海中へと消え去ったのでアワセをいれ、上がってきたのは30cmほどの口太グレ。続けて同サイズの口太グレが当たってきたが、その後は、潮の流れが緩んだためかアタリがなくなってしまった。

 タナを少しずつ深くしていくと、3ヒロのタナでウキを少しだけ抑え込むだけのアタリがあったが、ウキがすぐに浮いてくる。ツケエにはグレが咥えたような跡があった。仕掛けを投入すると再び同じようなアタリがあったので仕掛けを変更することにした。

 ハリ上50cmに取り付けていたガン玉を取外し、直結部にG6のガン玉を取り付け、ハリを6号から5号へとサイズダウンした。

 マキエをバラけるように撒いてから仕掛けを投入する。さらにウキの周りにもバラけるように撒いてから流していく。仕掛けが前方の沈み瀬の際をゆっくり流れていき、3mほど流れたところウキを少しだけ抑えこんで一旦停止し、スーっと海中へと消え去っていった。ゆっくりと浮かせると、大型の口太グレが姿を現し、タモ入れした。港での検量の結果、取り込んだのは、50cm、2.1kgの口太グレだった。


筆者が仕留めた50cm、2.1kgの口太グレ

 しばらく休憩してから、釣り座に戻ると、潮が先ほどまでよりさらに緩くなっており、ツケエも盗らない状況が続いた。

 昼食を食べながら潮替わりを待つが正午を過ぎてからも潮は動かず、動いているのは上潮だけで底潮は流れていない。1時間ほどたった2時頃、上げ潮が右から左へと流れだしたところでようやく37cmの口太グレを釣ることができたが、潮が右へ左へとフラフラ安定しなくなったので早めに納竿した。

使用したウキ(グレスト(テトラポッツバージョン)と50cm、2.1kgの口太グレ

<渡船の問い合わせ先>
渡船:光隆丸(浜口船長)
TEL:095-893-0996
料金:4,000円

<エサ&釣況の問い合わせ先>
フィッシングショップ オガワ 
TEL:095-878-1301