島の細道 長崎スタッフ取材|2015.12.29

変化する楽しさを味わいつつ、出島をぐるり1

今年もあと少し。みなさまにとって今年はどんな年でした?今回の細道は、年末特別編。変わりゆく出島周辺を散策しますよ。

知っている方も多いと思われますが、出島は只今、工事中なんです。私が歩いたときは、長崎県庁側から出島電停辺りまで、ぐるりと囲いができていました。この囲いには、いろんな情報が書いてあったんです。





再び橋が架かり、2017年にリニューアル予定とな。出島と対岸の江戸町に出島表門橋が架かり、昔の出島へ行くルートが甦るらしい。
壮大なスケールで工事が進められている横で、このウサギが気になってしょうがなかったので、思わず激写。ズラズラッと並んだ姿が面白い。どうせだったら、長崎らしく尾曲がり猫にしてほしかった!?














あ、田上長崎市長だ。このポーズは、出島の扇形を表しているそうです。来年あたり長崎で流行るかも。








西側からはこんな感じです。撮影時は、2015年12月上旬。当然、出島表門橋はできていませんが、想像してみました。橋周辺には、公園も整備されます。







当コーナーにふさわしい細道を発見しました。ベンチもあって、国道沿いなのになんだか落ち着く空間。










プチ細道の先にあったのは、西側護岸石垣でした。荷揚場の石垣で、オランダ船の積荷を揚げおろししていたそう。






現在は、こちらの西側メインゲートと東側ゲートの2カ所から、出島に入られます。






西側メインゲートから路面電車が走る南側へ。洋館を見ながら、ロマンチックに歩きたい派はこの細道がオススメ。左手には、明治36(1903)年、長崎に在留する外国人と日本人の親交を深める場として建てられた旧長崎内外クラブが見られます。

旧長崎内外クラブを通り過ぎてすぐのところに、また別の洋館が見えてきます。明治11(1878)年に建てられた旧出島神学校です。現存するわが国最古のキリスト教(プロテスタント)の神学校といわれています。


神学校からすぐのところには、またまた史跡が。明治32(1899)年に、九州初の電話交換局がここにありました。当初、電話交換する業務にあたったのは女性。明治時代に、職業として女性が働くことは珍しかった。ここで働く女性たちは、当時の憧れの的だったそうです。

東側にやってきました。ここには、出島橋があります。明治23(1890)年に、中島川の河口に架けられていた鉄製の橋が、明治43(1910)年に移設され、名称も現在の出島橋へと変更。一般に使用されている道路橋としては、日本で最も古い橋梁です。



実は、出島商館員(年間パスポート)があります。大人820円と安かったので、思わず買っちゃいました。






来年、出島の中央部分に6棟の復元建造物が完成予定。輸入品を保管していた土蔵や、出島の管理人の詰め所など、当時の出島を忠実に再現するそうです。どんな風に変わっていくのか。特に、来年から2017年まで、目が離せません!

長崎市出島周辺・長崎県庁前~西側護岸石垣~
南側護岸石垣~出島橋まで
徒歩約30分※出島観覧時間含まず

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