島の細道 長崎スタッフ取材|2016.2.1

冬の雨が似合う国際墓地へ

今回の細道は、長崎市稲佐エリアにやってまいりました。稲佐といえば稲佐山からの夜景が観光客に人気ですが、ひとことで「稲佐」といってもいろんな顔がある場所なんです。

今回は、観光名所というか、個人的にオススメしたい細道があるのでご紹介したいと思います。そう、稲佐悟真寺(ごしんじ)国際墓地です。









手ぶらでも案内看板や地図があるので大丈夫かと思われます。近くに公共トイレもありました。











稲佐悟真寺国際墓地に行くには、バスが便利。近くのバス停の名前は、悟真寺前バス停。そのバス停近くに、さっそく看板が。唐人墓地祭場所(まつりばしょ)石壇です。戦時中、悟真寺境内の国際墓地内に移されていたそうですが、戦後再び現位置へ。1659(万治2)年、長崎在住の唐人たちが、死者の霊を慰めるための祭場所として作られたそうです。


小道に入ると蓮池があります。右の看板に書いてある言葉がしみる。看板横の小さな橋を渡ると稲佐悟真寺国際墓地ですが、ここから左の方へちょっと歩いてみることにしました。


蓮池を右手に細道をてくてく。私の中では、勝手にこの道を「蓮池ロード」と名づけました。











蓮池ロードは100mもないかも。道がふたまたに分かれていたので、左手の方へ足を進めてみました。







すると悟真寺に到着するんです。1598(慶長3)年、聖誉が開創。開創当時は、キリスト教全盛の時代で、聖誉はなんとかして仏教を再興させたいと願っていたそうです。岩窟に隠れながら布教を続けたという話も残るほどガッツあふれるお坊さん。ちなみに、写真の悟真寺の赤門は1903(明治36)年に改修されたものです。

来た道をUターンし、蓮池ロードに戻ると、さきほどの蓮池の看板横にあった橋を渡ります。ここからが稲佐悟真寺国際墓地。石段が続きますよ。






墓地というとなんとなく全体的にグレー一色の世界が広がりがちですが、石段にレンガ塀が、まるで異国に来たかのようです。ココが、私のオススメの細道。







ロシア人墓地があります。1858(安政5)年、ロシアのフリーゲート艦アスコルド号でコレラが発生し、死亡した乗組員を埋葬するために造られました。だけど、なんで稲佐でロシア?と思われる方もいると思いますが、1853(嘉永6)年、ロシア使節プチャーチンが長崎に来航し、稲佐に上陸を許されて以来、50年もの間、海軍の滞在地として賑わったという歴史があります。

ロシア人墓地の敷地内には入れませんが、レンガ塀のところからでも、写真の白いチャペルが見られます。かつては、ロシア艦隊が長崎で越冬し、稲佐一帯がロシア村と呼ばれていたほど。繁栄していた証のようです。


レンガ塀のある石段の最上段に到着。右手には長崎港が広がるナイスビュー! 上ったかい、大アリです。









ロシア人墓地は入れませんでしたが、向かいの墓地には入られたので、ちょっと失礼することに。ずんずん足を進めてみると、石碑発見。風化して墓石の文字が読めなくなる前にと、墓石の位置と名前が記された石碑でした。


ルイスさん、ソロモンさん……。もし、子孫が先祖の墓参りをすることがあったら、きっと感動するだろうなぁ。墓石の周りもキレイに清掃されてました。外国人であっても、日本人であっても、大事に弔う――そのことには、人種は関係ないと改めて感じた冬の雨降る散歩道でした。

長崎市稲佐蓮池~悟真寺~稲佐悟真寺国際墓地
往復徒歩30分

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