対馬アートファンタジア2015 ①

CaCo3-01

 2011年に始まった対馬アートファンタジアも、今年で5回目。毎回、日本や海外のアーティストによる斬新な作品が展示されています。そこで今回も楽しい現代アートの数々を2回に渡ってご紹介。

最初の会場は、2013年に廃校となった対馬市久田小学校内院分校。懐かしい木造校舎では、対馬の自然や歴史をテーマにした作品を見ることができました。

「CaCo3」入江早耶 まずは、広島を拠点に活躍している入江早耶さんの「CaCo3」

 古来より真珠の産地として名高い対馬ですが、真珠と同じ成分の炭酸カルシウムを含んだチョークを利用して、海神の娘「豊玉姫」を表現しています。その視線の先にある黒板には、対馬の山々やキラキラ光る海。そして豊玉姫が祀られている和多都美神社の鳥居が描かれています。

「幻日」LED・運動場 黒田大祐

「幻日」LED・運動場 黒田大祐02

次は様々な素材を使い扇風機で動きをつけたアート作品が多い黒田大祐さんの「幻日」(LED・運動場)

幻日(げんじつ)とは、太陽の横に現れる大気現象のこと。窓側に置かれている椅子に座って外の景色と教室内の作品を見ることで幻の太陽を表現しています。運動場の楕円形と対をなすLEDの輪は扇風機で動きながら、色が変化していました。

「ミュージカル・チェア」潘逸舟01

「ミュージカル・チェア」潘逸舟02

 映像で表現しているのは、中国、上海生まれの潘逸舟さんの「ミュージカル・チェア」。干潮時に姿を現す瀬での椅子取りゲームの映像と、その裏側のスクリーンでは満潮時に海面下に沈んでしまった瀬が映されていて、領土問題や境界線の曖昧さを問いかけた作品でした。

「幻日・風・ネオン」黒田大祐01

真っ暗で様々な学校備品が置いてある部屋には、小さくて丸いネオンと扇風機が何やら怪しい光を放っていました。黒田大祐さんの「幻日・風・ネオン」

まるで、ゲームの中の秘密基地もしくは廃墟を連想させるような空間ですね。

「幻日」ビデオ 黒田大祐

次の教室も黒田大祐さんの「幻日・ビデオ」

運動場に幻日をイメージした楕円が描かれる様子のビデオでした。

「どこからきたの。どこへいくの」友定睦

友定睦さんの「どこからきたの。どこへいくの」 対馬にひっそりと佇むお地蔵様。その前掛けをめくると人の像が彫られていて、隠れキリシタンの伝説が残る話をモチーフに映像化された作品。その像を演じる女性が波打ち際を行ったり来たり。マリア様でしょうか?

「海流の島」伊東敏光

「内院周景」伊東敏光

校舎の廊下まで続く古材の海流の先には、対馬がありました。彫刻家の伊東敏光さんの「海流の島」と会場の廃校がある内院地区の山と入り江にある女神が住む島、納島をモチーフにした「内院周景」

黒潮の支流が、日本海に流れ込み対馬暖流となって北上することから対馬は海流の島といえるでしょう。九州本土からフェリーに乗って来島すると圧倒的な海のパワーを感じます。それを彫刻家らしい感性で表現されていますね。

対馬アートファンタジア2015②へ続く

対馬特派員 鍵本泰志

 

期間   2015年8月22日から9月27日

会場   旧対馬市久田小学校内院分校 グーグルマップ

開場   平日11:00-16:00 土日祝10:00-17:00

休館   火曜日

アクセス 厳原市街から県道24号線を南下18.5km 車で30分

主催   対馬アートファンタジア実行委員会 ホームページ

〒817-0023 長崎県対馬市厳原町田渕828番地(対馬・アートセンター)

助成   公益財団法人福武財団 ママ基金

後援   長崎県 長崎県教育委員会 対馬市 対馬市教育委員会 対馬市商工会 対馬観光物産協会 (株)コミュニティメディア

 

真夏の太陽の下で「シロギス釣り」

初夏から夏にかけてはシロギスのシーズン!
8月頃は特に活発に活動しておりエサへの食いつきも良いのです!
 
 
今回は豊玉町でシロギス釣りに挑戦してみましたが
仕掛けを投げて5分と待たずに当たりが!
 
やや小ぶりですが十分食べられるサイズ!
 
 
シロギスを釣る時の投げ釣りはちょっとコツが必要。
初めて挑戦する方は仕掛けの作り方も含めて釣り具屋さんなどで尋ねてみると良いですよ!

 

対馬特派員 鍵本 拓弥

子どもが主役の楽しいお祭り 地蔵盆

地蔵盆01

 今年も地蔵盆がやってきました。この日、夕方6時頃から浴衣を着ておめかしした子供たちは、町内30ケ所以上に祀られている地蔵堂を巡り、無病息災を願い小さい手を合わせます。

地蔵盆02

 お参りした後は、お菓子を貰えるのですが、天台宗のお寺、醴泉院では恒例の流しソーメンで子供たちをもてなすことが知られており、大勢の参拝客で賑わっていました。汗ばんだ体に冷たいソーメンが美味しそうですね。

地蔵盆03

いつもは町内放送で、午後6時ごろに車に気を付けて家に帰るよう促される子供たちも、この日は思いっきり夜遊びが出来る日とあって、町内にこんなにも大勢の子供がいたのかと驚くぐらいの人出でした。皆がこの楽しい思い出を忘れずに次の世代へ引き継いでもらいたいものです。

対馬特派員 鍵本泰志

名称  地蔵盆

日時  毎年7月24日 午後6時から

場所  厳原町内の各地蔵堂、お寺

今も語り継がれる美女伝説 鶴王御前

美女塚01

 対馬の南端、豆酘(つつ)集落に古くから語り継がれる美女伝説。今回は美人に生まれてきたが為に、自らの命を絶った鶴王御前の物語をご紹介。

美女塚の横に、その由来があるのですが、写真では読みにくいので書き写したものも掲載します。

美女塚02

美女塚03

 采女(うぬめ)とは、朝廷で天皇やその家族の身の回りの世話をする女官のこと。その条件は容姿端麗で高い教養が必要とされていました。どちらも持ち合わせていた鶴王御前ですが、物語では、郷里に残していく老いた母親が心配で村を出てすぐに自らの命を絶ってしまします。その際に今後、豆酘には美人が生まれぬようにと願うのですが、その願いは神様に聞き入れられたのでしょうか?

 昔から豆酘には美男美女が多いということは言われていました。確かに私のような胴長短足の日本人体型ではなく、すらっとバランスのとれた体型の方が多いようです。美人となると鶴王の時代と現代では基準が違うでしょうから一概に言えませんが、美人は結構な確率でいるのではないでしょうか?

 豆酘にハギトージンという仕事着があります。色々な柄を組み合わせた筒袖のこの着物、美女塚伝説とあわさって、美人に見られないようにツギハギの仕事着を着ていたと伝わっていますが、昔の写真などを見ると、実際はそれぞれの娘たちがパッチワークの着物で、おしゃれを競っていたように感じます。

 悲しい物語の美女塚伝説ですが、現在は公園や駐車場が併設されて、訪れる方も多いようです。対馬へ来られたらぜひ、こちらをお参りしてください。美人になれる!かもしれませんよ~

美女塚04

美女塚05

対馬特派員 鍵本泰志

名称   美女塚  グーグルマップ

厳原市街から車で41分18.9km

住所  長崎県対馬市厳原町豆酘

夕陽色のさわやかサイダー TSUSHIMA SUNSET SODA

TSUSHIMA SUNSET SODA01

 長かった梅雨も終わり、暑い夏がやってきました。この季節は冷たい清涼飲料水を飲む機会も増えますが、甘いものは砂糖が多く含まれているので、出来るだけ控えたいもの。そこで今回ご紹介するのは、対馬産のブルーベリー「島の瞳」を使ったTSUSHIMA SUNSET SODA。浅茅湾に沈む夕陽の色を模したというだけあってきれいな色ですね。

島の瞳01

 対馬の中央部、浅茅湾に浮かぶ島山で栽培されているブルーベリー。もちろんそのまま食べても美味しいのですが、これを使って商品開発を担ったのが、對馬次世代協議会(対馬コノソレ)と対馬市島おこし協働隊の若者たち。最近はご当地サイダーが全国で作られていますが、ブルーベリーのサイダーは珍しいのではないでしょうか?

TSUSHIMA SUNSET SODA02 

 海岸へ行って海をバックに写真を撮ってみると、ウイスキーのような琥珀色。瓶のラベルにも「※お酒ではありません」の文字があります。冷たく冷やして飲んでみると、甘さ控えめで炭酸が強めのすっきりした味わい。子供から大人まで美味しく飲めるのではないでしょうか?

大人なら、焼酎や洋酒と割って飲んでも良いかと思います。飲み終わった後はラベルの裏を見てください。ギョッ!としました。(内容は見てのお楽しみということで)

島内では、生産者直売所や土産物店で購入できますが、お値段の方は、対馬のブルーベリー果汁を島外の製造工場へ送り、出来上がった製品を再度対馬へ送ってもらう関係上、1本あたり365円とちょっと高め。通販だとまとめ買いになりますが、1本あたりの単価が若干安くなるようです。

対馬特派員 鍵本泰志

企画開発販売 對馬次世代協議会(対馬コノソレ) ホームページ

豊漁の海 対馬海峡 

初夏の魚01

 初夏といっても対馬では、雨天、曇天が続いてます。釣り情報を求めて車を走らせましたが、お天気のせいか、なかなか釣り人さんに出会えないので、生産者直売所の鮮魚コーナーを覗いてみました。

まず、目についたのがイカ。スルメイカは年間を通して流通していますが、旬は夏から秋にかけて、ヤリイカは秋から冬にかけてが旬といわれています。我が家では、ヤリイカはお刺身で、スルメイカは一夜干しを炙って食べたり、天ぷらで食べます。

初夏の魚02

 次に目についたのがワタリガニ。秋から冬にかけてが旬です。以前、韓国の仁川(インチョン)で、カンジャンケジャンというワタリガニの醤油漬けを食べたことがあります。身を食べた後、甲羅にご飯を入れ、カニみそと醤油の漬けダレと混ぜて食べるのですが、これが絶品。一番美味しい食べ方ではないでしょうか。ただ、残念ながら夏はあまり味が良くないと言われています。そして、小ぶりのイワガニ。これは良いダシが出るので味噌汁に入れて食べることが多いですね。

 アラカブ(カサゴ)は春が旬。しかし刺身、煮付け、唐揚げなど多種多様な調理で美味しくいただけますので、旬はあまり気になりません。マトウダイの旬は秋から冬。こちらもアラカブ同様、色々な調理で美味しく、また値段も安価なので人気のお魚です。店頭に並ぶことが少ないので、見つけたら即買いの魚です。冬は鍋でもいけますよ。

 対馬は東シナ海から黒潮が流れ込み、対馬暖流となって日本海へと続く栄養豊富な海流の中にあるため、鮮魚コーナーを覗いても様々な魚がいます。こうして安価に地物の魚を食べれる環境も島暮らしの醍醐味ですね。

対馬特派員 鍵本泰志

生産者直売所 ふれあい市場(スーパーサイキ内)

長崎県対馬市美津島町鶏知乙505-1 

誠信の交わり 江戸時代の国際人 雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)

雨森芳洲先生顕彰碑1

 厳原市街を見下ろす金石城の跡地に、雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)の顕彰碑が建てられています。そこに刻まれている「誠信之交隣」こそ、現在の日本と韓国に必要とされているのではないでしょうか。

 雨森芳洲は対馬の人ではなく、そのルーツは滋賀県にあり、京都で開業していた医者の息子として生まれました。幼少期は医者を目指していましたが、10代後半で江戸に出て木下順庵の門下となり儒学を学びます。22歳の時、師の推挙で優秀な人材を必要としていた対馬藩へ仕官。以後、朝鮮外交に携わりました。

交隣堤醒

 私の手元に「交隣堤醒(こうりんていせい)」があります。これは雨森芳洲が第6代対馬藩主、宗義誠へ提出した日朝交流に関わる意見書で、倭館での生活や二度にわたる朝鮮通信使との交流を踏まえて書かれた外交の思想書でとして、現在でも十分通用する事が書かれています。

その内容は54項目から成っていて、最初の「朝鮮交接の儀は、第一に人情と時勢を知ることが肝要にて候(そうろう)・・・」から始まり、様々な事例を挙げながら最後に「誠信の交わりと申すこと・・・誠信と申し候は、実意と申す事にて、互いに欺(あざむ)かず争わず、真実を以て交わり候を誠信とは申し候・・・」で締めくくられています。

 要約すると外交とは、通り一辺倒な表面上の付き合いではなく、相手国の異文化や歴史をふまえ、異国人の考え方を知り、尊重することで対等の関係を築き生まれる。そのために、互いに欺かず争わず、真実を以て交わることが大切と説かれています。この考えを自ら実行し、朝鮮外交に携わった芳洲は、朝鮮通信使の製述官もその著書で、偉大な人物として紹介しています。

雨森芳洲の墓 長寿院

 雨森芳洲の墓は、厳原町の長寿院にあります。韓国の反日、日本の嫌韓とあまり関係が良くない現在の日韓関係。お互いに誠信の交わりで交流できれば良いなと、墓前に手を合わせました。

対馬特派員 鍵本泰志

参考文献 「交隣堤醒」東洋文庫852 平凡社 初版第1刷

雨森芳洲先生顕彰碑 長崎県対馬市厳原町今屋敷(旧金石城跡)グーグルマップ

雨森芳洲の墓 長崎県対馬市厳原町日吉313 長寿院 グーグルマップ

珠丸(たままる)の悲劇 

漁火公園から対馬海峡東水道を望む

 気象条件に恵まれれば、遠く壱岐の島影が見える漁火公園からの眺め。のどかな風景ですが、終戦直後にこの海峡で大勢の命が失われています。

昭和20年(1945年)当時、満州や朝鮮半島からの引揚者や戦災者が、着の身着のままで対馬へたどり着き、九州本土までの船便を心待ちにしていました。

珠丸遭難経緯

 戦後初の対馬から博多港への航海を担ったのは、九州郵船の珠丸(たままる・800トン)。10月10日に対馬の北端、比田勝港を出港し同日の夕方に厳原港へ入港。鹿児島県阿久根市に上陸した台風のため厳原港で欠航を続けた後、10月14日午前6時に、足止めされていた大勢の乗客を乗せ、博多港へ向け出港しました。

順調に航海していた珠丸ですが、午前9時に壱岐、勝本港の北方15マイル付近で、旧日本軍が敷設した機雷に触れ爆沈。乗船名簿には乗員、乗客730名となっていましたが、実際には切符を購入せずに乗船したため名簿に記載がない乗客が数多く、1000名以上乗っていたとみられています。

壱岐からは、機雷の掃海が不十分な海域にも関わらず、多くの漁船が命がけで救助に向かいましたが、救助されたのは甲板付近にいた185名のみ。女性や子供を中心に、船内にいたほとんどの方は珠丸とともに対馬海峡に沈みました。

珠丸遭難慰霊碑

珠丸遭難者慰霊塔2

 

 この事故から26年後の昭和46年(1971年)。遺族等によって犠牲者の慰霊と航海安全、平和への祈りを込めて珠丸遭難者慰霊塔が建てられています。800名以上とみられる犠牲者が出たにも関わらず、この事故は大きく報道されなかったため、全国的に知られることはありませんでした。

戦争が終わり、大陸や朝鮮半島からやっとの思いで引き揚げ、あと少しで九州本土の土が踏めるというところで旧日本軍の機雷により亡くなった大勢の犠牲者。この事実を忘れず、後世に伝えていきたいものです。

対馬特派員 鍵本泰志

名称   珠丸遭難者慰霊塔

場所   長崎県対馬市厳原町今屋敷668番地1 長崎県立対馬歴史民俗資料館横 グーグルマップ

しいたけアイランド 対馬しいたけ

第55回長崎県乾しいたけ品評会01

 乾しいたけの産地といえば大分県が有名ですが、対馬でも肉厚で香り高い高品質のしいたけが生産されています。

しいたけの栽培方法は空調されたハウス内で、オガクズを利用した菌床栽培と、クヌギ、コナラ、アベマキなどの原木を伐採し、しいたけ菌を打ち込み、山間地や森林部の自然の中で育てる原木栽培があります。当然、平地が少なく山や森が多い対馬では、後者の原木栽培で生産されています。冬には大陸からの厳しい季節風が吹き荒れる中で育つ対馬しいたけは、肉厚で身が締り、芳香な香りと味わいが特徴とされています。

 そこで高品質な対馬しいたけが見学できる長崎県乾しいたけ品評会へお邪魔しました。

農林水産大臣賞 どんこ箱物 緒方公洋  香信肉厚箱物 林野庁長官賞 多田栄次

香信肉厚グラム物 林野庁長官賞 扇みどり  名人 永尾賢一

 展示会場内では、今回受賞したしいたけや、多数の受賞歴がある対馬のしいたけ名人、永尾賢一さんのしいたけが展示されていました。どのしいたけも、生産者が愛情を込めて育てているため、私から見ればどれも甲乙つけがたい品質ですが、名人、永尾賢一さんのしいたけだけは乾しいたけなのに、生き生きしているような感じを受け、別格に感じました。

 対馬の伝統料理、ろくべえ、いりやき、うずみ飯、いかのかしげえなど、普段からしいたけを使った料理が食卓に並ぶことが多い対馬。最近では後継者不足に悩む中、若い方がしいたけ生産に取り組む姿も見られ、対馬しいたけが全国的に有名になる日も近いと感じました。

 

第55回長崎県乾しいたけ品評会受賞者(上位3名)

第55回長崎県乾しいたけ品評会受賞者

左端:農林水産大臣賞、緒方公洋さん 中央:林野庁長官賞、扇みどりさん  右端:林野庁長官賞、多田栄次さん

受賞された皆様、おめでとうございます。

対馬特派員 鍵本泰志

名称    第55回長崎県乾しいたけ品評会

日時    平成27年6月6日

場所    長崎県対馬市 対馬市交流センター

主催    長崎県しいたけ振興対策協議会

 

対馬随一の滝「鳴滝自然公園」

こんにちは!

梅雨真っ盛り、蒸し暑い日が続きますね!

今回は涼を求めて上対馬町浜久須(かみつしまちょう はまぐす)にある「鳴滝自然公園」へと足を運んでみました。

林の中に足を踏み入れると、木陰と水音で大分涼しくなってきました。

そのまま水の流れる沢の横を通ってさらに奥の滝を目指します。

鳴滝まで辿り着くと、涼しい風が吹いてきます。

森林浴効果と滝から発生するマイナスイオンでとても気持ちいいです!

滝が少ない対馬では珍しい大きな滝である鳴滝、龍神に縁のある地と言われており

昔はここで雨乞いの儀式が行われていたのだそうです。

これから秋までは暫く水量の多い時期が続く鳴滝、暑い日は気分を変えて足を運んでみては如何でしょうか!?

 

〒817-1713

長崎県対馬市上対馬町浜久須

対馬特派員 鍵本 拓弥