豊漁の海 対馬海峡 

初夏の魚01

 初夏といっても対馬では、雨天、曇天が続いてます。釣り情報を求めて車を走らせましたが、お天気のせいか、なかなか釣り人さんに出会えないので、生産者直売所の鮮魚コーナーを覗いてみました。

まず、目についたのがイカ。スルメイカは年間を通して流通していますが、旬は夏から秋にかけて、ヤリイカは秋から冬にかけてが旬といわれています。我が家では、ヤリイカはお刺身で、スルメイカは一夜干しを炙って食べたり、天ぷらで食べます。

初夏の魚02

 次に目についたのがワタリガニ。秋から冬にかけてが旬です。以前、韓国の仁川(インチョン)で、カンジャンケジャンというワタリガニの醤油漬けを食べたことがあります。身を食べた後、甲羅にご飯を入れ、カニみそと醤油の漬けダレと混ぜて食べるのですが、これが絶品。一番美味しい食べ方ではないでしょうか。ただ、残念ながら夏はあまり味が良くないと言われています。そして、小ぶりのイワガニ。これは良いダシが出るので味噌汁に入れて食べることが多いですね。

 アラカブ(カサゴ)は春が旬。しかし刺身、煮付け、唐揚げなど多種多様な調理で美味しくいただけますので、旬はあまり気になりません。マトウダイの旬は秋から冬。こちらもアラカブ同様、色々な調理で美味しく、また値段も安価なので人気のお魚です。店頭に並ぶことが少ないので、見つけたら即買いの魚です。冬は鍋でもいけますよ。

 対馬は東シナ海から黒潮が流れ込み、対馬暖流となって日本海へと続く栄養豊富な海流の中にあるため、鮮魚コーナーを覗いても様々な魚がいます。こうして安価に地物の魚を食べれる環境も島暮らしの醍醐味ですね。

対馬特派員 鍵本泰志

生産者直売所 ふれあい市場(スーパーサイキ内)

長崎県対馬市美津島町鶏知乙505-1 

誠信の交わり 江戸時代の国際人 雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)

雨森芳洲先生顕彰碑1

 厳原市街を見下ろす金石城の跡地に、雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)の顕彰碑が建てられています。そこに刻まれている「誠信之交隣」こそ、現在の日本と韓国に必要とされているのではないでしょうか。

 雨森芳洲は対馬の人ではなく、そのルーツは滋賀県にあり、京都で開業していた医者の息子として生まれました。幼少期は医者を目指していましたが、10代後半で江戸に出て木下順庵の門下となり儒学を学びます。22歳の時、師の推挙で優秀な人材を必要としていた対馬藩へ仕官。以後、朝鮮外交に携わりました。

交隣堤醒

 私の手元に「交隣堤醒(こうりんていせい)」があります。これは雨森芳洲が第6代対馬藩主、宗義誠へ提出した日朝交流に関わる意見書で、倭館での生活や二度にわたる朝鮮通信使との交流を踏まえて書かれた外交の思想書でとして、現在でも十分通用する事が書かれています。

その内容は54項目から成っていて、最初の「朝鮮交接の儀は、第一に人情と時勢を知ることが肝要にて候(そうろう)・・・」から始まり、様々な事例を挙げながら最後に「誠信の交わりと申すこと・・・誠信と申し候は、実意と申す事にて、互いに欺(あざむ)かず争わず、真実を以て交わり候を誠信とは申し候・・・」で締めくくられています。

 要約すると外交とは、通り一辺倒な表面上の付き合いではなく、相手国の異文化や歴史をふまえ、異国人の考え方を知り、尊重することで対等の関係を築き生まれる。そのために、互いに欺かず争わず、真実を以て交わることが大切と説かれています。この考えを自ら実行し、朝鮮外交に携わった芳洲は、朝鮮通信使の製述官もその著書で、偉大な人物として紹介しています。

雨森芳洲の墓 長寿院

 雨森芳洲の墓は、厳原町の長寿院にあります。韓国の反日、日本の嫌韓とあまり関係が良くない現在の日韓関係。お互いに誠信の交わりで交流できれば良いなと、墓前に手を合わせました。

対馬特派員 鍵本泰志

参考文献 「交隣堤醒」東洋文庫852 平凡社 初版第1刷

雨森芳洲先生顕彰碑 長崎県対馬市厳原町今屋敷(旧金石城跡)グーグルマップ

雨森芳洲の墓 長崎県対馬市厳原町日吉313 長寿院 グーグルマップ

珠丸(たままる)の悲劇 

漁火公園から対馬海峡東水道を望む

 気象条件に恵まれれば、遠く壱岐の島影が見える漁火公園からの眺め。のどかな風景ですが、終戦直後にこの海峡で大勢の命が失われています。

昭和20年(1945年)当時、満州や朝鮮半島からの引揚者や戦災者が、着の身着のままで対馬へたどり着き、九州本土までの船便を心待ちにしていました。

珠丸遭難経緯

 戦後初の対馬から博多港への航海を担ったのは、九州郵船の珠丸(たままる・800トン)。10月10日に対馬の北端、比田勝港を出港し同日の夕方に厳原港へ入港。鹿児島県阿久根市に上陸した台風のため厳原港で欠航を続けた後、10月14日午前6時に、足止めされていた大勢の乗客を乗せ、博多港へ向け出港しました。

順調に航海していた珠丸ですが、午前9時に壱岐、勝本港の北方15マイル付近で、旧日本軍が敷設した機雷に触れ爆沈。乗船名簿には乗員、乗客730名となっていましたが、実際には切符を購入せずに乗船したため名簿に記載がない乗客が数多く、1000名以上乗っていたとみられています。

壱岐からは、機雷の掃海が不十分な海域にも関わらず、多くの漁船が命がけで救助に向かいましたが、救助されたのは甲板付近にいた185名のみ。女性や子供を中心に、船内にいたほとんどの方は珠丸とともに対馬海峡に沈みました。

珠丸遭難慰霊碑

珠丸遭難者慰霊塔2

 

 この事故から26年後の昭和46年(1971年)。遺族等によって犠牲者の慰霊と航海安全、平和への祈りを込めて珠丸遭難者慰霊塔が建てられています。800名以上とみられる犠牲者が出たにも関わらず、この事故は大きく報道されなかったため、全国的に知られることはありませんでした。

戦争が終わり、大陸や朝鮮半島からやっとの思いで引き揚げ、あと少しで九州本土の土が踏めるというところで旧日本軍の機雷により亡くなった大勢の犠牲者。この事実を忘れず、後世に伝えていきたいものです。

対馬特派員 鍵本泰志

名称   珠丸遭難者慰霊塔

場所   長崎県対馬市厳原町今屋敷668番地1 長崎県立対馬歴史民俗資料館横 グーグルマップ

しいたけアイランド 対馬しいたけ

第55回長崎県乾しいたけ品評会01

 乾しいたけの産地といえば大分県が有名ですが、対馬でも肉厚で香り高い高品質のしいたけが生産されています。

しいたけの栽培方法は空調されたハウス内で、オガクズを利用した菌床栽培と、クヌギ、コナラ、アベマキなどの原木を伐採し、しいたけ菌を打ち込み、山間地や森林部の自然の中で育てる原木栽培があります。当然、平地が少なく山や森が多い対馬では、後者の原木栽培で生産されています。冬には大陸からの厳しい季節風が吹き荒れる中で育つ対馬しいたけは、肉厚で身が締り、芳香な香りと味わいが特徴とされています。

 そこで高品質な対馬しいたけが見学できる長崎県乾しいたけ品評会へお邪魔しました。

農林水産大臣賞 どんこ箱物 緒方公洋  香信肉厚箱物 林野庁長官賞 多田栄次

香信肉厚グラム物 林野庁長官賞 扇みどり  名人 永尾賢一

 展示会場内では、今回受賞したしいたけや、多数の受賞歴がある対馬のしいたけ名人、永尾賢一さんのしいたけが展示されていました。どのしいたけも、生産者が愛情を込めて育てているため、私から見ればどれも甲乙つけがたい品質ですが、名人、永尾賢一さんのしいたけだけは乾しいたけなのに、生き生きしているような感じを受け、別格に感じました。

 対馬の伝統料理、ろくべえ、いりやき、うずみ飯、いかのかしげえなど、普段からしいたけを使った料理が食卓に並ぶことが多い対馬。最近では後継者不足に悩む中、若い方がしいたけ生産に取り組む姿も見られ、対馬しいたけが全国的に有名になる日も近いと感じました。

 

第55回長崎県乾しいたけ品評会受賞者(上位3名)

第55回長崎県乾しいたけ品評会受賞者

左端:農林水産大臣賞、緒方公洋さん 中央:林野庁長官賞、扇みどりさん  右端:林野庁長官賞、多田栄次さん

受賞された皆様、おめでとうございます。

対馬特派員 鍵本泰志

名称    第55回長崎県乾しいたけ品評会

日時    平成27年6月6日

場所    長崎県対馬市 対馬市交流センター

主催    長崎県しいたけ振興対策協議会

 

対馬随一の滝「鳴滝自然公園」

こんにちは!

梅雨真っ盛り、蒸し暑い日が続きますね!

今回は涼を求めて上対馬町浜久須(かみつしまちょう はまぐす)にある「鳴滝自然公園」へと足を運んでみました。

林の中に足を踏み入れると、木陰と水音で大分涼しくなってきました。

そのまま水の流れる沢の横を通ってさらに奥の滝を目指します。

鳴滝まで辿り着くと、涼しい風が吹いてきます。

森林浴効果と滝から発生するマイナスイオンでとても気持ちいいです!

滝が少ない対馬では珍しい大きな滝である鳴滝、龍神に縁のある地と言われており

昔はここで雨乞いの儀式が行われていたのだそうです。

これから秋までは暫く水量の多い時期が続く鳴滝、暑い日は気分を変えて足を運んでみては如何でしょうか!?

 

〒817-1713

長崎県対馬市上対馬町浜久須

対馬特派員 鍵本 拓弥