島の旨いもん祭り 対馬食通祭

対馬食通祭01

 最近、都会ではジビエ料理ブームだとか・・・ 対馬でも島内で狩られた猪や鹿の肉が加工され販売されています。そこで今回は、美津島町で開催された対馬食通祭へおじゃまして、対馬の旨いもんを堪能してきましたよ。

対馬食通祭02

 まずは私も初めて食べる、島内で解体処理された猪のソーセージ。炭火で焼き立てを頂きましたが、これが肉々しいジューシーなソーセージで、とっても美味しかったです。牛や豚と違い猪や鹿は、と畜場法の対象では無いため、対馬市独自の衛生管理ラインと食品衛生法に則って加工されていると説明されていました。島内での安全な処理で安心して頂けますね。

対馬食通祭04

対馬食通祭03 

 次に頂いたのは、なんとアナゴの薄造り。アナゴはウナギと同じで、血液や粘膜にたんぱく毒をもっているので本来は加熱しないと食べませんが、今回は食通祭ということで提供されていました。薄く引かれた身は透明感のある白身で、適度な食感と旨味を感じました。

対馬食通祭06

対馬食通祭07

 最後は、100円で購入したアナゴ試食券で、炭火焼のアナゴ1匹とアナゴの味噌汁をゲットしてアツアツ、ホクホクを頂きました。対馬のアナゴは、韓国との国境付近が漁場で「黄金あなご」の名前でブランド化されていますので、スーパーなどで見かけたら購入してみてはいかがでしょうか?肉厚で美味しいですよ。

対馬特派員 鍵本泰志

名称   対馬食通祭

主催   対馬食通祭実行委員会

お問い合わせ 対馬市農林水産部水産課

電話   0920-53-6111

 

大陸を見据えていた「清水山城跡」

今回は、厳原町にある「清水山城跡」へと行ってきました。

清水山城は天下統一を果たした豊臣秀吉が、1592年(文禄元年)に大陸の明国への侵攻を図り

李氏朝鮮に服属と明国侵攻への協力を要請したところ、李氏朝鮮はこの要求を拒否したため

豊臣秀吉は朝鮮半島への出兵を決め、秀吉の命を受けた対馬領主の宗義智が佐賀県唐津にあった本陣、名護屋城の兵站基地として厳原の清水山に築城されました。

清水山城は石垣により三層に区切られていたのですが現在も清水山の麓から山を見上げるとその名残りがあるのが見てとれます。(写真右側から三の丸、二の丸、本丸)

城跡の中には立派な石垣の跡が残っており、当時の姿を垣間見ることができます。

本丸からは厳原の城下町や海の向こうの水平線まで見渡すことが出来、船が近づいてくればすぐに分かっていたであろう事が分かります。

険しい山ではない為、普段着でもハイキング感覚で登れる気安さが魅力のスポットです。

対馬特派員 鍵本拓弥

 

対馬市 交流センター前から登山口まで徒歩20分

登山口より本丸まで徒歩30分

波止からのコッパ釣り 美津島町吹崎

コッパグレ01

 釣り人を求めて浅茅湾に面した美津島町の吹崎(ふくざき)へとやってきました。静かな波止に二人の釣り人が竿を出していたので、ご挨拶をして何が釣れるか伺ったところ、「コッパ、コッパ」という返事が返ってきました。

 対馬では標準和名のメジナをクロとかグレと呼びますが、20cm未満の小型のメジナはコッパとかコッパグレ、コッパグロと言ってます。メジナといえば沖磯での釣りのターゲットして人気の魚ですが、小型サイズのコッパであれば波止からも釣れるため結構釣ってる人を見かけます。海を覗いてみると、撒き餌でエサ取りと呼ばれる小さい魚がたくさん集まっています。でもよく見るとその中に少し大きい魚がいるような・・・

コッパグレ02 

海から釣り人の方へ振り返ってみたら・・・なんとすでに釣り上げてました!その間わずか1分足らず!あわててカメラを向け写真を撮らせていただきました。

コッパグレ03

 このコッパ釣り、撒き餌や針に付けるエサ、仕掛けなど基本は沖磯での釣りと一緒なので、学ぶべきところがいっぱいあって釣りの初心者にも良いかもしれませんね。このくらいのサイズだと調理も簡単ですしね。今の時期だと黒焼きにして、対馬の郷土料理ロクベエのダシにしたら美味しいですよ。

対馬特派員 鍵本泰志

場所  長崎県対馬市美津島町吹崎(ふくざき)

アクセス  厳原港から国道382号線を北上、美津島町の十八銀行を左折して県道24号を北西へ進む。

厳原から19km 車で35分から40分

壌炎招福護摩祈祷 醴泉院

醴泉院護摩祈祷06

 新春を迎えるにあたって、470年余りの歴史がある天台宗、醴泉院(れいせんいん)で、災いを打ち払い福を招く護摩祈祷が行われました。

醴泉院護摩祈祷05

 ご本尊の前で護摩壇に火を点け、檀信徒さんたちの願い事が書かれた護摩木が次々に投じられ炎が大きくなるにつれ、対馬全島から集まった天台宗僧侶の読経が本堂に響き渡りました。ちなみにこの護摩とは元々インドから伝わったもので、天台密教でも最高の祈願法といわれています。

醴泉院護摩祈祷03

 護摩祈祷が終わると、僧侶が檀信徒さん一人々の無病息災や延命長寿を祈りながらお祓いをします。私もお祓いをしてもらいました。分厚いお経で背中を何回か叩かれた時は、けっこう痛かったのですが、お祓いが済むと不思議と体が軽くなったように感じました。その後、本堂の外で恒例の豆まきが行われました。僧侶たちの掛け声は「福はうちー!」皆さん嬉しそうに豆を頂いていましたよ。

醴泉院護摩祈祷豆まき

 最後に、去年頂いたお札のお焚き上げで今年の護摩祈祷も無事終了。これで今年も元気に過ごせますね。

醴泉院護摩祈祷お焚き上げ

対馬特派員 鍵本泰志

名称  醴泉院(れいせんいん)

住所  長崎県対馬市厳原町天道茂470番地

壌炎招福護摩祈祷 毎年立春の前、二月

 

対馬卜部の祖 雷大臣命が祀られた太祝詞神社

太祝詞神社 鳥居 狛犬

 インターネットや雑誌で人気のコンテンツというと占い。占星術、四柱推命、タロットカード、易など数多くの種類がありますね。というわけで今回は、対馬卜部(ウラベ)の祖が祀られた太祝詞神社(ふとのりとじんじゃ)をご紹介します。

 ヤマト朝廷の時代、国家の行く末を占うのに、海亀の甲羅を利用した亀卜(キボクまたはカメウラ)を行っていました。その起源は古代中国の殷王朝で、古くから行われていました。この時代、対馬から10名、壱岐から5名、伊豆から5名の卜部が神衹官として都に招かれています。

太祝詞神社 参拝

 霊験あらたかな名神大社として、延喜式神名帳に載っている太祝詞神社のご祭神は、太祝詞神(天児屋根命:あめのこやねのみこと)と、その十四世孫と伝えられる雷大臣命(いかつちおおおみのみこと)。

 天児屋根命は天岩戸神話で天照大神が岩戸に隠れた際に祝詞を唱え、鏡を差し出したという神様で、祝詞と出世の神。雷大臣命は卜術が優れており、神功皇后の三韓征伐に従軍した後対馬に残り、祭祀のやり方を教えたり、太占(フトマニ:鹿の肩骨を焼いて占う)や亀卜を伝えた対馬神道、卜部の祖といわれています。

 規模は小さいですが、名神大社だけあって境内はリンと張りつめた気が流れていて、清らかな気持ちで参拝することが出来ました。拝殿の隣には雷大臣命の墓といわれる石塔があり、そのたたずまいから地元の方から大切に祀られている様子が感じられました。

対馬特派員 鍵本泰志

太祝詞神社 宝篋印塔

 

名称    太祝詞神社(ふとのりとじんじゃ)

住所    長崎県対馬市美津島町加志

アクセス  厳原港から国道382号線を北上、十八銀行美津島出張所の三叉路を左折し、県道24号線を進む。

今里と加志の分岐を加志方面へ左折。厳原から約24km、車で30分~40分。途中、道路が狭く離合しにくい箇所がある。