寒い日にはコレ!体がポカポカ温まる甘酒

対馬の蔵元、河内酒造の酒粕で作った甘酒

 寒い季節、体を温めてくれる飲み物は数多くありますが、我が家ではこの時期になると対馬で唯一の蔵元、河内酒造で酒粕を購入し、甘酒を作って飲んでいます。

酒粕から作った甘酒

 酒粕は日本酒を作る過程で出来る発酵したモロミを絞ったもので、健康や美容に役立つ栄養がたっぷり。米麹から作る甘酒と違い、酒粕には微量のアルコールが含まれていますので、お子様やアルコールが苦手な方には向きませんが、そうでなければ一度試してみてください。

作り方は簡単。沸騰したお湯の中(火は止める)に酒粕をちぎって入れ10分ほど放置し、その後、砂糖を加え、酒粕を溶かしながら弱火で5分ほど再沸騰させます。砂糖はあまり入れすぎると確実に太りますので程々に・・・。

 熱い甘酒をフーフーしながら飲むと、体の芯までポカポカしてきます。砂糖の代わりにハチミツを加えたり、豆乳と甘酒を混ぜて健康ドリンクとして飲んでもいけますよ。ぜひ皆様も良質な酒粕が手に入れば作ってみてくださいね。

対馬特派員 鍵本泰志

河内酒造

河内酒造合名会社 ホームページはコチラ

長崎県対馬市美津島町鶏知甲490-1

 

何が釣れっとね?泳がせ釣りでマトウダイ狙い

対馬の久田桟橋での釣り

 寒風吹きすさぶ中、この寒さじゃ誰も釣りはしてないだろうな・・・そう考えながらゆっくり車を走らせていると釣り人発見!

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対馬聖人 陶山訥庵(すやまとつあん)

対馬 陶山訥庵頌徳碑

 最近は猪や鹿など有害鳥獣による農作物の被害が全国的に広まり、大きな問題となっています。ここ対馬も例外ではなく、市による侵入防止柵の補助や銃やわなによる捕獲補助金の支払いなどで対策を行っていますが、駆逐するまでには至っていません。しかし今から300年以上前の江戸時代中期に対馬から猪を撲滅しようと計画し、やり遂げた人がいます。対馬聖人として地元の人々に慕われている陶山訥庵で、対馬の八幡神社境内には、その徳を讃える頌徳碑が建っています。

対馬 猪鹿侵入防止柵

 明暦3年(1657年)対馬の府中(現在の厳原町)に生まれた陶山庄右衛門(訥庵)は、木下順庵(江戸幕府の儒官)のもとで学んだあと、京都などを遊学し帰国後に家督を継ぎ対馬藩のために尽力します。元禄12年(1699年)に群奉行(こおりぶぎょう:農民の管理や年貢の徴税、訴訟などをあつかう)の役に就くと、15年来の不作と猪の被害で農民が困窮しているので、猪と鹿の駆逐を藩をあげて実行するべきという旨の口上覚を同役の平田類右衛門との連名で藩に提出し、翌年の元禄13年(1700年)に許可がおりると実行に移していきました。(殲猪令)

 その方法は、対馬の北端から南端まで大垣で仕切り、その内側をさらに内垣で細かく仕切って、一区画づつ猪や鹿を追詰めていくやり方で、冬の農閑期に行われました。また、これにかかる費用は、山林から出る薪材や鹿の皮を売って賄っています。五代将軍、徳川綱吉の生類憐みの令が出されていたこの時代、両奉行は幕府からお咎めがあった際は、死を決する覚悟で事に当たり、自然崇拝が色濃く残る地域では、禁忌の山への入山をしぶる農民たちを安心させるため、山中に祭壇を設け神主に祈祷させたりと色々問題がありながらも計画を進め、9年の歳月をかけ約8万頭の猪を駆逐しました。

対馬 修善寺 陶山訥庵の墓

 訥庵の墓は厳原港の近くにある修善寺にあります。9年もの歳月と大変な労力をはらって駆逐した猪も近年、誰かが対馬に持ち込み逃したことで増え、300年前の状態に戻っています。訥庵が生きていたら何と言うでしょうか?境内の案内看板に導かれ、感謝の気持ちで墓前に手をあわせました。

対馬特派員 鍵本泰志

対馬 修善寺 陶山訥庵の墓

参考文献

対馬国志 第二巻 永留久恵著

動物学雑誌第281号 元禄寶永年間に於ける対馬殲猪の事跡 渡瀬庄三郎著

対馬歴史民俗資料館報第30号 

海上航海のパワーストーン!寝釈迦鼻と東風石

対馬 厳原港 寝釈迦鼻 寝釈迦岩 野良崎

 対馬でフェリーや高速艇が入港する港は比田勝港(ひたかつこう)と厳原港(いづはらこう)の二つですが、ここ厳原港の入り口「野良崎」に「寝釈迦鼻.」という面白い形の岩があります。一見なんの変哲もない岬ですが、よく見るとお釈迦様が横になっている涅槃像の形をしています。

対馬 寝釈迦鼻 寝釈迦岩 野良崎

 江戸時代、対馬藩士の平山東山(棐)が書いた対馬の地誌「津島紀事」に「耶良崎(野良崎)の磯を寝釈迦という形。涅槃の像に似たれば也」とあり、その存在は古くから知られているようです。また、「津島紀事」には「その右手に二つの霊石ありて、陽石(おいし 起上り小法師の形也)、陰石(めいし)と云い、巫祝(ふしゅく・・・神事をつかさどる者)これを祭り石を撫で、風を祈れば東風吹きよりて東風石(こちいし)と云う」とあります。

 帆を張り風を受けて進む帆走や櫓走が主だった時代、東風石には良い風を、寝釈迦鼻には航海の安全を祈ってきた対馬の人々。その思いを忘れないように後世へ伝えていきたいですね。

対馬特派員 鍵本泰志

名  称  野良崎の寝釈迦鼻(ねしゃかばな)

場  所  厳原港ターミナルから南東へ約900m。新桟橋の防波堤からと、対岸の志賀の鼻公園から見れます。

参考文献 「津島紀事」平山棐 著 国立国会図書館近代デジタルライブラリー