国書交換の儀(第五回朝鮮通信使・正史の子孫、尹星鎭(ユンソンジン)氏)
対馬で最大のお祭りといえば、毎年8月に行われる厳原港まつり・対馬アリラン祭です。今回はその中の朝鮮通信使行列にスポットをあてご紹介いたします。
朝鮮通信使は日本と朝鮮が友好関係あった室町時代に始まったものですが、豊臣秀吉による文禄・慶長の役以後、国交は途絶えていました。江戸時代になり日本から李氏朝鮮に通信使の派遣を打診。その仲介をしたのが地理的に朝鮮に近い対馬藩でした。それが実を結び慶長12年(1607年)に第一回目の朝鮮通信使が来日し、将軍秀忠に国書を奉呈しました。その後も国交は続き江戸時代を通して合計12回の朝鮮通信使が来日しています。
通信使一行は総勢四~五百名、それに警護の対馬藩が数百名と大変な人数で、朝鮮から江戸までを6ヶ月から10ヶ月かけ往復する大使節団でした。途中では各藩による饗応料理のもてなしを受け詩文の応酬、舞踊が演じられ文化使節団としての役割もありました。
対馬では毎年8月の第一土曜日と日曜日に厳原港祭り・対馬アリラン祭を開催し、朝鮮通信使行列と国書交換の再現を行い多くの観光客、地元の方たちを楽しませてくれます。当時と同じく総勢500名からなる通信使行列は圧巻ですよ。
名称:厳原港まつり・対馬アリラン祭
時期:毎年8月の第一土曜日・日曜日
場所:厳原町内