古くは室町時代にまでさかのぼる朝鮮通信使。豊臣秀吉による文禄・慶長の役の後は途絶えていましたが、江戸時代に国交が回復すると再開され、12回に渡り派遣されました。李氏朝鮮と貿易や外交で関係が深かった対馬では、毎年、「厳原港まつり対馬アリラン祭」として朝鮮通信使行列の再現を行っていましたが、2012年の仏像盗難事件、韓国地裁の仏像返還拒否で、対馬市民の嫌韓感情が悪化。翌年には「アリラン祭」の名称を消し通信使行列も行われませんでした。
2014年には再開する予定でしたが、これも台風のために中止となり、今年3年ぶりに朝鮮通信使行列が厳原の街を練り歩きました。
対馬藩主の居城、金石城跡の櫓門(やぐらもん)を出発した一行は、厳原港までの1.6kmの道のりを歩きましたが、この日の気温は30度を超える猛暑日。行列に参加した皆さんは大変だったことでしょう。
祭りの名称から「アリラン祭」が消えても、厳原の街に太鼓や鉦、ラッパの音が賑やかに響き渡り、いつもの祭りに戻ったことで、沿道で見ていた地元の方や、韓国の観光客らも明るく楽しい気持ちになったのではないでしょうか?
対馬特派員 鍵本泰志
名称 対馬厳原港まつり
日程 今年(2015年)は8月1日、2日(毎年、8月の第一土曜日、日曜日)
主催 対馬市商工会青年部