頑張れ島人! リピーターで繁盛している民泊ごんどう

民泊ごんどう ご夫婦

権藤令子さん(島自慢・郷土料理保存会所属)

権藤悦教さん(対馬観光ガイドの会やんこも所属  対馬グリーン・ブルー・ツーリズム協会会長)

 

 数年前から対馬に民宿ならぬ民泊(みんぱく)という宿泊施設が増えています。これは欧州で普及している農漁村滞在型のバカンスをヒントに、農林水産庁がゆとりある国民生活と農漁村を含む地域の振興を目的として平成17年に法律を改正。全国的なグリーンツーリズムの普及とともに、農漁村体験ができる宿のスタイルとして広がりました。今回は対馬の南端、豆酘(つつ)で民泊を経営している権藤さんご夫婦に、その人気の秘訣を伺いました。

民泊ごんどう 玄関  民泊ごんどう 玄関口

 民泊には自宅を利用します。違いと言えば玄関に地元の特産品や、観光パンフレットがおいてあることぐらいです。お客様が宿泊するお部屋も見せて頂きましたが、ごく普通の部屋で旅館と違い、かえってくつろげるような感じでした。

民泊ごんどう 部屋

 この民泊ごんどうはリピーターのお客様が多く、その理由として地元で収穫された食材で奥様が作る懐かしい郷土料理と、「観光ガイドの会やんこも」に所属しているご主人の観光案内の2本立てで繁盛しているとのことでした。

 11年前に漁協に勤めていたご主人の元へ関東の武蔵高校の先生が対馬の事を聞きに訪ねて来られ、翌年より毎年、同校の高校生をホームステイさせることなりました。それがきっかけとなり、その間にご主人は島自慢観光カレッジで2年間、観光ガイドや地域コーディネートの勉強をし、奥様は郷土料理保存会や独学で対馬伝統の郷土料理を学んだそうです。

 平成20年に民泊ごんどうをオープンし今年で7年目。郷土料理体験や農作物の収穫体験、ガイドブックには載っていないディープな観光案内など様々な趣向をこらしたことでリピーターが増え、お客様からの手紙には、どれも対馬での楽しかった思い出と感謝の言葉が綴られていました。

民泊ごんどう お客様からの手紙

 対馬は離島のため、交通アクセスの不便さなどから島外からの観光客が敬遠しがちなイメージがありますが、権藤さんご夫婦のように独自のコンテンツとアットホームな雰囲気の中、日本中からお客様が訪れる宿として成功しているのは他の離島でも参考になるのではないでしょうか?

 最後に、「この仕事は大変なこともあるけど、お客様が喜ばれる顔を見ると頑張れる。自分たちの民泊経営のノウハウは、やる気がある方にはどんどん教えるので、さらに多くの民泊が出来て対馬が活性化していけたら良いですね。」と仰っていました。

 

名称  「民泊ごんどう」ホームページはコチラ ブログはコチラ

住所  〒817-0154 長崎県対馬市厳原町豆酘2566

電話  0920-57-0775(FAX兼用)

アクセス 厳原港から21km車で40分 対馬空港から32km車で55分

中世から続く豆酘の赤米行事 頭受け神事②

頭受け神事

今回は「釣り・魚関係」がテーマでしたが、中世から続く豆酘の赤米行事 頭受け神事①の続編をお送りします。 

 酒宴は午後7時半ごろから始まり、なごやかに談笑しながら夜遅くまで続きます。退席する際は本座を出るときと再度入室するときに、ご神体に柏手を打ち拝まな いといけないのですが、それを怠ると罰ゲーム的な感覚で、余計にお酒を飲まされるとか、「お酒はもう飲めません」と言うかわりに「「水ばかりやっても米は 育たないから下の田んぼへ水を流してください」とお酒を水に、頭仲間を田んぼに例えて応答するようなお米の神事らしい様々なしきたりや、取り決めがあるということでした。

赤米の甘酒02 赤米と豆酘雑煮 

 控えの間で見学していた私にも、本座と同じ多くの料理と、赤米の甘酒、炊き立ての赤米や豆酘雑煮(この地区に伝わる郷土料理)までふるまっていただきまし た。頭仲間と同様、注ぎ鉢からお椀に注いでもらった甘酒は、ほんのりピンク色をした自然な甘さの飲みやすいお酒で、「熱いうちに食べてください」と言って 出された赤米の炊き立てご飯は、お赤飯より薄い色でこちらも豆酘雑煮とともに美味しく頂きました。

ウケトウの使い
 しばらくたつとウケトウの家から裃(かみしも)姿の使いの方が来て、口上をのべるので、ハライトウの頭主はお使いの方へご神体の受け渡し時刻を告げます。(深夜の時刻)

 本来ならここで頭仲間は一度解散し、ご神体を受け渡す深夜に再度酒宴を開催します。ご神体をモリマシと呼ばれる役が背負いウケトウの家まで運び、今度はウケトウ側で料理や お酒が出され酒宴が始まり、明け方まで続きます。外が明るくなるとウケトウの頭主は赤米の餅を寺田(ご神田)に埋めに行き、頭受けの終了となります。

 中世から続く赤米行事ですが、継承者不足や、体力はもちろん、時間的にも金銭的にも大きな負担を強いられることから昭和50年代頃から頭仲間の減少が続き、現在この行事を伝えている頭屋は 主藤公敏氏だけとなっています。そのため頭仲間の役は主藤氏の親戚、知人が務め、ハライトウとして送り出したご神体は、ウケトウとして同じ家の本座へ戻ってきま す。このようなことから現在は実際にご神体を背負うところは2年に一度しか行っておらず、今回は見ることは出来ませんでした。

主藤公敏氏ご夫妻

(頭主として赤米行事を伝承している主藤公敏氏と奥様)

 主藤氏は、「先祖代々 受け継がれてきた赤米と行事を後世に残すことが自分の務めだと思い、頭主が自分一人になっても続けている。宮中献穀にも選ばれ天皇陛下にもお会いできた し、国の無形民俗文化財にも指定された。世の中には頭が良い人はいくらでもいるが、私たちの先祖が守ってきたような農業の大切さや米作りの大変さを知り、 なぜこのような行事が続いてきたかを考えてもらいたい」とおっしゃってました。TPP問題でゆれる日本、米離れが叫ばれる日本において考えさせられるお言 葉でした。

対馬特派員 鍵本泰志

豆酘の赤米行事(つつのあかごめぎょうじ)

平成14年 国指定無形民俗文化財

平成25年 宮中献穀(宮中行事の新嘗祭に奉納)

年中行事

四月 籾種おろし

五月 田植え

十月 稲刈り

旧暦十月十七日 お吊り坐し

旧暦十月十八日 初穂米

旧暦十二月三日 斗瓶酒

旧暦十二月十九日 日ノ酒

旧暦十二月二十八日 寺田様の餅すき

旧暦一月二日 初詣り

旧暦一月五日 潮あび

旧暦一月十日 頭受け

旧暦一月十二日 三日祝い

寺田(ご神田)の場所 長崎県対馬市厳原町豆酘(つつ)

アクセス 厳原市内から県道24号を南下、内院方面へ左折せず直進し県道192号をさらに南下する。内山と瀬を通過し左折し再び県道24号を南下。「多久頭魂神社、樫ぼの、赤米」の青い標識を左方向に進むと左手にある。厳原から21km、車で40分。

ご協力 

赤米行事保存会 頭主 主藤公敏氏

対馬市文化財課

参考文献

文化庁国指定文化財等データベース

海神と天神―対馬の風土と神々― 永留久恵 著 白水社

厳原町誌

対馬の赤米神事と年中行事 八坂信久

中世から続く豆酘の赤米行事 頭受け神事①

赤米ご神体

 日本人の食を支えているのは主食であるお米ですが、最近では食の多様化に伴い米離れが進んでいます。今回は対馬の南端、豆酘(つつ)地区に伝わる赤米(あかごめ)行事のひとつ「頭受け」を通じ、古来より大切に守り育てられてきたお米の大切さを考えてみたいと思います。

赤米

 赤米は稲の古い品種で、豆酘の赤米行事は、頭屋制に基づき1300年以上の長きにわたり伝承されてきました。この行事は頭仲間と呼ばれる供僧家と農家により行われ、寺田と呼ばれるご神田で栽培された赤米は、秋に収穫され新しい俵に詰められて、旧暦の十月十七日、頭仲間が1年交代の輪番で務める頭主の自宅の本座(座敷)に吊るされます。これを祈祷することで米俵がご神体となり、本座へは頭主でさえもみだりに入ることは出来なくなります。

 その後も赤米を氏神に供える初穂米をはじめ様々な神事が行われ、翌年の旧暦一月十日の夜から翌朝にかけ、本座で神様として祀られている米俵を今年の頭主の家へ運ぶ神渡りの儀式、「頭受け」が行われます。ご神体を送り出す頭屋をハライトウ、お迎えする頭屋はウケトウといい、行事が行われる本座にはトコブシを盛り付けた松竹梅の島台や赤米で搗いた臼の形をした餅が飾られます。

島台飾り 臼型餅

 ご神体の下に料理が載ったお膳やお酒などが準備されると和装の頭主をはじめ頭仲間が集まり、控えの間からご神体に対して柏手を打ち本座へ入っていきます。まず最初に赤米で作られた甘酒がふるまわれるのですが、女性は入れないため配膳役の男性が頭仲間へ甘酒を注いだり、お酒の準備を行います。 

本座への出入り

赤米の甘酒ふるまい

 

中世から続く豆酘の赤米行事 頭受け神事②へ続く

対馬特派員 鍵本泰志

豆酘の赤米行事(つつのあかごめぎょうじ)

平成14年 国指定無形民俗文化財

平成25年 宮中献穀(宮中行事の新嘗祭に奉納)

年中行事

四月 籾種おろし

五月 田植え

十月 稲刈り

旧暦十月十七日 お吊り坐し

旧暦十月十八日 初穂米

旧暦十二月三日 斗瓶酒

旧暦十二月十九日 日ノ酒

旧暦十二月二十八日 寺田様の餅すき

旧暦一月二日 初詣り

旧暦一月五日 潮あび

旧暦一月十日 頭受け

旧暦一月十二日 三日祝い

寺田(ご神田)の場所 長崎県対馬市厳原町豆酘(つつ)

アクセス 厳原市内から県道24号を南下、内院方面へ左折せず直進し県道192号をさらに南下する。内山と瀬を通過し左折し再び県道24号を南下。「多久頭魂神社、樫ぼの、赤米」の青い標識を左方向に進むと左手にある。厳原から21km、車で40分。

ご協力 

赤米行事保存会 頭主 主藤公敏氏

対馬市文化財課

参考文献

文化庁国指定文化財等データベース

海神と天神―対馬の風土と神々― 永留久恵 著 白水社

厳原町誌

対馬の赤米神事と年中行事 八坂信久

壌炎招福護摩祈祷 醴泉院

醴泉院護摩祈祷06

 新春を迎えるにあたって、470年余りの歴史がある天台宗、醴泉院(れいせんいん)で、災いを打ち払い福を招く護摩祈祷が行われました。

醴泉院護摩祈祷05

 ご本尊の前で護摩壇に火を点け、檀信徒さんたちの願い事が書かれた護摩木が次々に投じられ炎が大きくなるにつれ、対馬全島から集まった天台宗僧侶の読経が本堂に響き渡りました。ちなみにこの護摩とは元々インドから伝わったもので、天台密教でも最高の祈願法といわれています。

醴泉院護摩祈祷03

 護摩祈祷が終わると、僧侶が檀信徒さん一人々の無病息災や延命長寿を祈りながらお祓いをします。私もお祓いをしてもらいました。分厚いお経で背中を何回か叩かれた時は、けっこう痛かったのですが、お祓いが済むと不思議と体が軽くなったように感じました。その後、本堂の外で恒例の豆まきが行われました。僧侶たちの掛け声は「福はうちー!」皆さん嬉しそうに豆を頂いていましたよ。

醴泉院護摩祈祷豆まき

 最後に、去年頂いたお札のお焚き上げで今年の護摩祈祷も無事終了。これで今年も元気に過ごせますね。

醴泉院護摩祈祷お焚き上げ

対馬特派員 鍵本泰志

名称  醴泉院(れいせんいん)

住所  長崎県対馬市厳原町天道茂470番地

壌炎招福護摩祈祷 毎年立春の前、二月

 

後世へ伝えよう!対馬島郷土芸能発表大会

子供太鼓芸能かっちぇる

対馬の各地には古くから伝わる多くの郷土芸能があったといわれています。過疎化や少子化の影響を受け、昭和30年代にはなくなりつつあった郷土芸能ですが、平成になり「対馬島郷土芸能保存会」が発足し、これらを後世に伝える活動が行われてきました。

“後世へ伝えよう!対馬島郷土芸能発表大会” の続きを読む

広島から対馬へ 入江神社

秋晴れの中、海沿いにドライブしていたら偶然、お祭りをしている神社に出くわしました。

聞きなれない「入江神社」という社号を不思議に思い、地元の方々に神社の由来をお聞きすると、遠く広島から分祀された神様だということでした。

 

“広島から対馬へ 入江神社” の続きを読む

櫓漕ぎ舟の熱いバトル 舟グロー 厳原港まつり

長崎では中国から伝わったペーロンが有名ですが、対馬では、漁村に古くから伝わる伝統行事、「舟グロー(ふなぐろー)」が、お祭りの出し物や地域の行事として残っています。

「舟グロー(ふなぐろー)」の意味ですが、「舟くらべ」が訛ったものと云われています。

今回、厳原港まつりで舟グローに使用される和船2艘は、全長12mの木造船で22年前に厳原町の永留造船が制作。老朽化のため去年、全体をFRP樹脂で覆っており、新船のようです。

“櫓漕ぎ舟の熱いバトル 舟グロー 厳原港まつり” の続きを読む

テイクオフ! 第10回パラグライディング対馬大会

6月の島のお祭りは、今年で10回目を迎えるパラグライディング対馬大会の様子をお伝えします。
スタート地点は標高287mの千俵蒔山(せんびょうまきやま)。対馬の北西部にあるため韓国を望む海峡を眼下に見下ろす絶景ポイントです。

“テイクオフ! 第10回パラグライディング対馬大会” の続きを読む

漁港に映える海照らし ひとつばたご祭り

皆さんは「ひとつばたご」という木をご存知でしょうか?
海外では中国や朝鮮半島の東アジア。日本国内では対馬と愛知、岐阜などに自生しており、毎年5月になると真っ白い花を咲かせる落葉高木です。
対馬の北端にある鰐浦(わにうら)では、ひとつばたごの開花に合わせ、ゴールデンウィーク中に「ひとつばたご祭り」が行われます。

 

“漁港に映える海照らし ひとつばたご祭り” の続きを読む

宝満宮 春の大祭

ポカポカ陽気の日曜日。厳原町西里にある宝満神社(与良祖神社)では、春の大祭が行われました。

こちらのお祭りでは、レクリエーションが充実しており、その数なんと10種類。

大人から子供まで楽しめる内容に、地域の人々は楽しい一日を過ごしました。

 

 

“宝満宮 春の大祭” の続きを読む