屋敷神と魔除け石

屋敷神 半井桃水館

 対馬に古くからあるお宅の庭の隅に、屋敷神が祀られているのを見かけます。これは神社の氏神とは別で、その家固有の神様として鬼門とされる敷地内の北西、または北東に祀られることが多いようです。

そこで今回のご利益ヨロシクは、ちょっと変わった対馬藩家老屋敷跡に残る「陰陽石の魔除け石」をご紹介。

氏江家長屋門

 国道382号線沿いにある立派な長屋門。こちらは対馬藩主宗家の一門、氏江氏の屋敷跡で現在は長崎県対馬支庁や地方局、振興局となっています。石垣は人の背丈よりはるかに高く、李氏朝鮮との外交、交易に携わっていた対馬藩の栄華が忍ばれます。

氏江通り

 広大な敷地を囲む石垣塀沿いに進むと、北東の一角が張り出して、衝立状の大小の石が置かれています。説明看板によると「陰陽石の魔除け石」とあり、さらに外敵や賊から守るため武者が隠れていたことから「武者隠し」とも言われるとあります。

陰陽石の魔除け石

 陰陽石とあることから忌むべき方角に二つの石を祀り、家運と子孫繁栄を願ったものと思われますが、衝立状の石の裏側に武者を隠すということにも使えるところが、合理的ですね。

対馬特派員 鍵本泰志

名称 対馬藩家老屋敷跡

場所 長崎県対馬市厳原町宮谷

アクセス 厳原港から国道382号線を北上、1.4km徒歩で20分程度

海を眺めながらのお食事「つしま亭 さと」

今回は、美津島町 万関橋のすぐ近くにある「つしま亭 さと」へ行ってきました。

つしま亭 さと は対馬を北と南に区切っている万関瀬戸(まんぜきせと)にかかる万関橋のすぐ側にあるレストランです。

 

   

刺身定食…¥1,200

タイやイカのお刺身にごまだれのサラダと小皿料理が三品(イカの酢味噌和え、ふきのきんぴら、ほうれん草の和え物)、そしてお味噌汁の定食です。

脂の乗ったタイや甘みを感じるイカのお刺身に彩り豊かな小皿料理で海から山まで様々な対馬の食材を楽しむことが出来ます!

   

対馬のトンちゃん定食…¥1,150

対馬のB級グルメ「トンちゃん」と野菜の炒め物を中心にサラダと小皿料理三品、そしてお味噌汁の定食です。

ボリューミーな炒め物は白いご飯と相性が抜群!そしてトンちゃん定食の方は小皿料理にお刺身がついているのが嬉しいです。

 

お土産屋さんも併設しているため、島外からお越しの方にもお勧めのお店です!

 

〒817-0324

長崎県対馬市美津島町久須保661-3

0920-54-2009

営業時間: 月~木 11:00~16:00 金~日、祝日 11:00~21:00

定休日:不定休

厳原町より17.2km 車で30分

 

特派員 鍵本 拓弥

漁民が開いた村 浅藻(あざも)

浅藻 浅藻隧道からの眺望

 皆様は宮本常一という民俗学者をご存知でしょうか?日本全国を歩き、その地に伝わる民間伝承を調査した方で、昭和25年、26年に行われた九学会連合に参加し、島内各地を調査しています。

 今回ご紹介する浅藻(あざも)もその中のひとつで、宮本常一著「忘れられた日本人」(岩波文庫)の中に浅藻の開拓のことが書かれています。古老の元を訪ね、話を聞く形で書かれたこの文章は「梶田富五郎翁」という題名で収録されており、すぐれたインタビュアーであり、書き手であった宮本常一ならではの読みやすい内容となっています。

 浅藻は対馬の南端にある漁村で、永らく無人の浦でした。その後、明治初期に対馬の好漁場に注目した他県(主に山口県)の漁師が出漁してくるようになり、沖で転覆した豆酘(浅藻の親村)の船を救助したことにより浅藻へ住むことが許されるようになりました。

浅藻湾

 「忘れられた日本人」の中には、潮の満ち引きを利用し、海底の石を沖に運び港を開いたことや、大きな鯛がたくさん釣れて、世の中の人がみんな漁師にならないのが不思議だったこと、石の屋根が多かった時代に、浅藻では瓦屋根の家だったこと。人が定住しだした明治20年頃までは入り江の反対側に狐火が燃えていた話などが書かれています。

 明治から大正にかけての豊漁の頃は、港は漁船であふれ、遊郭もあったほど賑わっていたという浅藻ですが。現在ではその名残があるだけで、他の漁村と変わらず静かな所です。

浅藻 赤レンガ倉庫

 平成20年に閉校した小学校の跡地、浅藻公園に、浅藻開港の碑が建っています。明治44年に立てられた石碑は港を見下ろす場所にあり、今も行きかう漁船を静かに見守っていました。

浅藻開港の石碑

対馬特派員 鍵本泰志

場所 長崎県対馬市厳原町浅藻

アクセス 厳原港から24.5km県道24号を南下。車で50分

参考文献 「忘れられた日本人」宮本常一著 岩波文庫

「厳原町誌」第一法規出版

新しい漁業の取り組み 阿須湾漁協

阿須湾

 厳原町の北東部に阿須(あず)という小さな漁村があります。私は幼い頃ここで暮らしていましたので、私にとっての原風景でもある懐かしい場所です。湾内に係留してある漁船を見ると昔と変わらず1本釣り主体の漁師さんが多いようですが、近年では温暖化、磯焼け、燃料費の高騰などで生活は厳しい状況に置かれています。

 そこで阿須湾漁協では漁業所得の向上を図るため様々な取り組みが行われており、その中のひとつに昆布の養殖があります。昆布というと北海道や東北など寒流が流れている地域のものだと思ってましたが、暖流が流れている対馬の昆布はどんな感じでしょうか?生産者が直接販売する日曜朝市でこの昆布を販売するというのでさっそく早起きして伺いました。

日曜朝市 阿須湾漁協 養殖昆布の販売

 朝市の会場ではトロ箱に地元で獲れた様々な鮮魚や一夜干し、野菜などが並べられ販売されています。その一角に阿須湾漁協と書かれたテーブルがありました。お話を伺うと5年ほど前から昆布の養殖に取り組んでおり、その品質の良さから現在は福岡のデパートへ出荷するまでになったとのこと。食べ方を尋ねると「さっと湯がいたら色が緑に変わるけ、それに酢ジョウユをかけて食ったら美味いよ。最高!」と言われさっそく1袋を購入。1㎏入りで300円でした。

 その場で袋の口を開けてみると、磯の香りがする新鮮な昆布がぎっしり。これは期待できそうですね。

阿須湾漁協 養殖昆布

 家に帰ってさっそく料理。カットしているときのネバネバがすごく、とても体に良さそうです。まずは漁師さんに言われた通り、湯通しした昆布に酢ジョウユをかけたもの。食べてみるとあっさり、さっぱりした中に旨味があり最高!(もう少し細切りにした方が良かったかも。ワカメみたいですね)さらにご飯のお供として佃煮も作ってみました。こちらも湯通しした昆布を濃口しょうゆ、日本酒、砂糖、水、みりんで水分が飛ぶまで煮るだけの簡単料理。ご飯が炊きあがるのが待ち遠しいくらいの美味しさでした。

昆布の佃煮、サラダコンブ

阿須湾漁協のみなさんが大切に育てた養殖昆布。この成功がさらに拡大して全島の漁業が活性化すれば良いですね。

対馬特派員 鍵本泰志

阿須湾漁協の養殖昆布販売

場所 長崎県対馬市今屋敷 ティアラ

日時 4月5日、12日、19日、26日の朝8時30分から売り切れまで

 

頑張れ島人! リピーターで繁盛している民泊ごんどう

民泊ごんどう ご夫婦

権藤令子さん(島自慢・郷土料理保存会所属)

権藤悦教さん(対馬観光ガイドの会やんこも所属  対馬グリーン・ブルー・ツーリズム協会会長)

 

 数年前から対馬に民宿ならぬ民泊(みんぱく)という宿泊施設が増えています。これは欧州で普及している農漁村滞在型のバカンスをヒントに、農林水産庁がゆとりある国民生活と農漁村を含む地域の振興を目的として平成17年に法律を改正。全国的なグリーンツーリズムの普及とともに、農漁村体験ができる宿のスタイルとして広がりました。今回は対馬の南端、豆酘(つつ)で民泊を経営している権藤さんご夫婦に、その人気の秘訣を伺いました。

民泊ごんどう 玄関  民泊ごんどう 玄関口

 民泊には自宅を利用します。違いと言えば玄関に地元の特産品や、観光パンフレットがおいてあることぐらいです。お客様が宿泊するお部屋も見せて頂きましたが、ごく普通の部屋で旅館と違い、かえってくつろげるような感じでした。

民泊ごんどう 部屋

 この民泊ごんどうはリピーターのお客様が多く、その理由として地元で収穫された食材で奥様が作る懐かしい郷土料理と、「観光ガイドの会やんこも」に所属しているご主人の観光案内の2本立てで繁盛しているとのことでした。

 11年前に漁協に勤めていたご主人の元へ関東の武蔵高校の先生が対馬の事を聞きに訪ねて来られ、翌年より毎年、同校の高校生をホームステイさせることなりました。それがきっかけとなり、その間にご主人は島自慢観光カレッジで2年間、観光ガイドや地域コーディネートの勉強をし、奥様は郷土料理保存会や独学で対馬伝統の郷土料理を学んだそうです。

 平成20年に民泊ごんどうをオープンし今年で7年目。郷土料理体験や農作物の収穫体験、ガイドブックには載っていないディープな観光案内など様々な趣向をこらしたことでリピーターが増え、お客様からの手紙には、どれも対馬での楽しかった思い出と感謝の言葉が綴られていました。

民泊ごんどう お客様からの手紙

 対馬は離島のため、交通アクセスの不便さなどから島外からの観光客が敬遠しがちなイメージがありますが、権藤さんご夫婦のように独自のコンテンツとアットホームな雰囲気の中、日本中からお客様が訪れる宿として成功しているのは他の離島でも参考になるのではないでしょうか?

 最後に、「この仕事は大変なこともあるけど、お客様が喜ばれる顔を見ると頑張れる。自分たちの民泊経営のノウハウは、やる気がある方にはどんどん教えるので、さらに多くの民泊が出来て対馬が活性化していけたら良いですね。」と仰っていました。

 

名称  「民泊ごんどう」ホームページはコチラ ブログはコチラ

住所  〒817-0154 長崎県対馬市厳原町豆酘2566

電話  0920-57-0775(FAX兼用)

アクセス 厳原港から21km車で40分 対馬空港から32km車で55分

松村安五郎と吉野数之助の碑 大船越瀬戸

忠勇義烈の碑01

 厳原から国道382号線を北上すると大船越瀬戸があります。この場所はもともと地続きだった対馬で、地峡部だったことから、東岸と西岸の間の丘を船を曳いて移動させたり、積み荷だけを移動したりと苦労していました。そのようなことから寛文12年(1671年)、対馬藩は開削工事を行い東西を船で行き来出来るようになりました。

 今回はこの瀬戸にまつわる悲しい出来事のお話です。

大船越瀬戸02

大船越瀬戸03

 文久元年(1861年)2月にロシアの軍艦ポサドニック号が浅茅湾に侵入。対馬藩の許可を得ず芋崎を占領し、石積みの波止場、井戸、宿舎、家畜小屋を作ったりと傍若無人の限りをつくしました。

 大船越瀬戸は外国へ行く船が通るため、船改めの番所が置かれていました。同年4月にロシア艦のボートがここを強行突破しようとしたことから、番所の士卒や村人が止めようとしたところ、ロシア兵の発砲で農民の安五郎(後に士分扱いとなり松村姓)

が即死。士卒の吉野数之助と大塚清蔵が捕えられポサドニック号へ連れ去られました。その後二人は釈放されましたが、傷を負った吉野数之助は手当を拒み自ら命を絶っています。

  忠勇の碑  義烈の碑

 その後、咸臨丸で来島した幕府の外国奉行が交渉にあたるも進展はなく、幕府によるロシア領事への退去交渉や英国海軍の協力で半年に渡るロシア艦の占領は幕を閉じました。

 番所の跡には犠牲になったお二人の顕彰碑がひっそりと建っていました。松村安五郎の碑(写真左)は「忠勇」、吉野数之助の碑(同右)には「義烈」と彫られています。悲しい出来事ですが、現代では珍しい勇気や正義感、忠義の心を最後まで持ち続けたお二人から、教えられるものがありました。

対馬特派員 鍵本泰志

参考文献 対馬国志第二巻 中世・近世編 永留久恵著

 

名称 松村安五郎と吉野数之助の碑

アクセス 厳原から国道382号線を北上。大船越瀬戸の手前を左折し300m程進むと左手にあります。

厳原から約14km。車で20分 

 

 

 

 

 

旨い酒には美味しいつまみ 河内酒造蔵開き

河内酒造蔵開き 樽酒

 お酒好きにとってはたまらないイベント、蔵開きの日が今年もやってきました。もちろん私もこの日を待ち焦がれた一人です。

河内酒造蔵開き 入口の行列

 しぼりたての新酒が味わえるとあって、朝10時からの開催にも関わらずすでにこの行列。広い酒蔵内ではさっそく400円で酒枡を買って樽酒を飲んでる人や、100円で酒粕が詰め放題のコーナーに急ぐ人、利き酒コーナーで真剣にお酒と向き合う人など毎年おなじみの光景が広がっていましたよ。

河内酒造蔵開き 枡酒

河内酒造蔵開き 酒粕詰め放題

河内酒造蔵開き 利き酒

 そして忘れてはならないのが、旨い酒につきものの美味しいつまみ。色々探しているとありました。ハーブや鷹の爪を入れたオリーブオイルで対馬産のどんこしいたけを煮たアヒージョオイル煮。肉厚のどんこしいたけはプリプリした歯ごたえで、イタリアンな味付けとマッチしてとっても美味しかったです。酒蔵のあちこちではさっそく購入したお酒やおつまみで酒宴が始まっており今年の蔵開きも大盛況でした。

対馬特派員 鍵本泰志

河内酒造蔵開き どんこしいたけアヒージョオイル煮

河内酒造蔵開き 酒宴

名称 河内酒造合名会社

住所 長崎県対馬市美津島町鶏知甲490-1

電話 0920-54-2010

URL http://kawachi.shop-pro.jp/

エメラルドグリーンの海を一望できる「内良の浜」

今回は美津島町 鶏知(けち)にある内良(ないら)の浜へ行ってきました。

ここ、内良の浜は十数年前までは海水浴場として指定され賑わっていましたが、今では海水浴場の指定を外され静けさに包まれています。

波に削られ丸くなった小石が大量に転がる浜辺に座り込めば、聞こえる音は潮騒だけ。

見渡す限りの海を独り占めできます。

夏でも比較的人の少ない内良の浜ですが、冬の海岸を散策するのも一味違う対馬の海を楽しめます!

 

〒817-0322 長崎県対馬市美津島町鶏知甲12

対馬特派員 鍵本 拓弥

中世から続く豆酘の赤米行事 頭受け神事②

頭受け神事

今回は「釣り・魚関係」がテーマでしたが、中世から続く豆酘の赤米行事 頭受け神事①の続編をお送りします。 

 酒宴は午後7時半ごろから始まり、なごやかに談笑しながら夜遅くまで続きます。退席する際は本座を出るときと再度入室するときに、ご神体に柏手を打ち拝まな いといけないのですが、それを怠ると罰ゲーム的な感覚で、余計にお酒を飲まされるとか、「お酒はもう飲めません」と言うかわりに「「水ばかりやっても米は 育たないから下の田んぼへ水を流してください」とお酒を水に、頭仲間を田んぼに例えて応答するようなお米の神事らしい様々なしきたりや、取り決めがあるということでした。

赤米の甘酒02 赤米と豆酘雑煮 

 控えの間で見学していた私にも、本座と同じ多くの料理と、赤米の甘酒、炊き立ての赤米や豆酘雑煮(この地区に伝わる郷土料理)までふるまっていただきまし た。頭仲間と同様、注ぎ鉢からお椀に注いでもらった甘酒は、ほんのりピンク色をした自然な甘さの飲みやすいお酒で、「熱いうちに食べてください」と言って 出された赤米の炊き立てご飯は、お赤飯より薄い色でこちらも豆酘雑煮とともに美味しく頂きました。

ウケトウの使い
 しばらくたつとウケトウの家から裃(かみしも)姿の使いの方が来て、口上をのべるので、ハライトウの頭主はお使いの方へご神体の受け渡し時刻を告げます。(深夜の時刻)

 本来ならここで頭仲間は一度解散し、ご神体を受け渡す深夜に再度酒宴を開催します。ご神体をモリマシと呼ばれる役が背負いウケトウの家まで運び、今度はウケトウ側で料理や お酒が出され酒宴が始まり、明け方まで続きます。外が明るくなるとウケトウの頭主は赤米の餅を寺田(ご神田)に埋めに行き、頭受けの終了となります。

 中世から続く赤米行事ですが、継承者不足や、体力はもちろん、時間的にも金銭的にも大きな負担を強いられることから昭和50年代頃から頭仲間の減少が続き、現在この行事を伝えている頭屋は 主藤公敏氏だけとなっています。そのため頭仲間の役は主藤氏の親戚、知人が務め、ハライトウとして送り出したご神体は、ウケトウとして同じ家の本座へ戻ってきま す。このようなことから現在は実際にご神体を背負うところは2年に一度しか行っておらず、今回は見ることは出来ませんでした。

主藤公敏氏ご夫妻

(頭主として赤米行事を伝承している主藤公敏氏と奥様)

 主藤氏は、「先祖代々 受け継がれてきた赤米と行事を後世に残すことが自分の務めだと思い、頭主が自分一人になっても続けている。宮中献穀にも選ばれ天皇陛下にもお会いできた し、国の無形民俗文化財にも指定された。世の中には頭が良い人はいくらでもいるが、私たちの先祖が守ってきたような農業の大切さや米作りの大変さを知り、 なぜこのような行事が続いてきたかを考えてもらいたい」とおっしゃってました。TPP問題でゆれる日本、米離れが叫ばれる日本において考えさせられるお言 葉でした。

対馬特派員 鍵本泰志

豆酘の赤米行事(つつのあかごめぎょうじ)

平成14年 国指定無形民俗文化財

平成25年 宮中献穀(宮中行事の新嘗祭に奉納)

年中行事

四月 籾種おろし

五月 田植え

十月 稲刈り

旧暦十月十七日 お吊り坐し

旧暦十月十八日 初穂米

旧暦十二月三日 斗瓶酒

旧暦十二月十九日 日ノ酒

旧暦十二月二十八日 寺田様の餅すき

旧暦一月二日 初詣り

旧暦一月五日 潮あび

旧暦一月十日 頭受け

旧暦一月十二日 三日祝い

寺田(ご神田)の場所 長崎県対馬市厳原町豆酘(つつ)

アクセス 厳原市内から県道24号を南下、内院方面へ左折せず直進し県道192号をさらに南下する。内山と瀬を通過し左折し再び県道24号を南下。「多久頭魂神社、樫ぼの、赤米」の青い標識を左方向に進むと左手にある。厳原から21km、車で40分。

ご協力 

赤米行事保存会 頭主 主藤公敏氏

対馬市文化財課

参考文献

文化庁国指定文化財等データベース

海神と天神―対馬の風土と神々― 永留久恵 著 白水社

厳原町誌

対馬の赤米神事と年中行事 八坂信久

中世から続く豆酘の赤米行事 頭受け神事①

赤米ご神体

 日本人の食を支えているのは主食であるお米ですが、最近では食の多様化に伴い米離れが進んでいます。今回は対馬の南端、豆酘(つつ)地区に伝わる赤米(あかごめ)行事のひとつ「頭受け」を通じ、古来より大切に守り育てられてきたお米の大切さを考えてみたいと思います。

赤米

 赤米は稲の古い品種で、豆酘の赤米行事は、頭屋制に基づき1300年以上の長きにわたり伝承されてきました。この行事は頭仲間と呼ばれる供僧家と農家により行われ、寺田と呼ばれるご神田で栽培された赤米は、秋に収穫され新しい俵に詰められて、旧暦の十月十七日、頭仲間が1年交代の輪番で務める頭主の自宅の本座(座敷)に吊るされます。これを祈祷することで米俵がご神体となり、本座へは頭主でさえもみだりに入ることは出来なくなります。

 その後も赤米を氏神に供える初穂米をはじめ様々な神事が行われ、翌年の旧暦一月十日の夜から翌朝にかけ、本座で神様として祀られている米俵を今年の頭主の家へ運ぶ神渡りの儀式、「頭受け」が行われます。ご神体を送り出す頭屋をハライトウ、お迎えする頭屋はウケトウといい、行事が行われる本座にはトコブシを盛り付けた松竹梅の島台や赤米で搗いた臼の形をした餅が飾られます。

島台飾り 臼型餅

 ご神体の下に料理が載ったお膳やお酒などが準備されると和装の頭主をはじめ頭仲間が集まり、控えの間からご神体に対して柏手を打ち本座へ入っていきます。まず最初に赤米で作られた甘酒がふるまわれるのですが、女性は入れないため配膳役の男性が頭仲間へ甘酒を注いだり、お酒の準備を行います。 

本座への出入り

赤米の甘酒ふるまい

 

中世から続く豆酘の赤米行事 頭受け神事②へ続く

対馬特派員 鍵本泰志

豆酘の赤米行事(つつのあかごめぎょうじ)

平成14年 国指定無形民俗文化財

平成25年 宮中献穀(宮中行事の新嘗祭に奉納)

年中行事

四月 籾種おろし

五月 田植え

十月 稲刈り

旧暦十月十七日 お吊り坐し

旧暦十月十八日 初穂米

旧暦十二月三日 斗瓶酒

旧暦十二月十九日 日ノ酒

旧暦十二月二十八日 寺田様の餅すき

旧暦一月二日 初詣り

旧暦一月五日 潮あび

旧暦一月十日 頭受け

旧暦一月十二日 三日祝い

寺田(ご神田)の場所 長崎県対馬市厳原町豆酘(つつ)

アクセス 厳原市内から県道24号を南下、内院方面へ左折せず直進し県道192号をさらに南下する。内山と瀬を通過し左折し再び県道24号を南下。「多久頭魂神社、樫ぼの、赤米」の青い標識を左方向に進むと左手にある。厳原から21km、車で40分。

ご協力 

赤米行事保存会 頭主 主藤公敏氏

対馬市文化財課

参考文献

文化庁国指定文化財等データベース

海神と天神―対馬の風土と神々― 永留久恵 著 白水社

厳原町誌

対馬の赤米神事と年中行事 八坂信久