中世から続く豆酘の赤米行事 頭受け神事②

頭受け神事

今回は「釣り・魚関係」がテーマでしたが、中世から続く豆酘の赤米行事 頭受け神事①の続編をお送りします。 

 酒宴は午後7時半ごろから始まり、なごやかに談笑しながら夜遅くまで続きます。退席する際は本座を出るときと再度入室するときに、ご神体に柏手を打ち拝まな いといけないのですが、それを怠ると罰ゲーム的な感覚で、余計にお酒を飲まされるとか、「お酒はもう飲めません」と言うかわりに「「水ばかりやっても米は 育たないから下の田んぼへ水を流してください」とお酒を水に、頭仲間を田んぼに例えて応答するようなお米の神事らしい様々なしきたりや、取り決めがあるということでした。

赤米の甘酒02 赤米と豆酘雑煮 

 控えの間で見学していた私にも、本座と同じ多くの料理と、赤米の甘酒、炊き立ての赤米や豆酘雑煮(この地区に伝わる郷土料理)までふるまっていただきまし た。頭仲間と同様、注ぎ鉢からお椀に注いでもらった甘酒は、ほんのりピンク色をした自然な甘さの飲みやすいお酒で、「熱いうちに食べてください」と言って 出された赤米の炊き立てご飯は、お赤飯より薄い色でこちらも豆酘雑煮とともに美味しく頂きました。

ウケトウの使い
 しばらくたつとウケトウの家から裃(かみしも)姿の使いの方が来て、口上をのべるので、ハライトウの頭主はお使いの方へご神体の受け渡し時刻を告げます。(深夜の時刻)

 本来ならここで頭仲間は一度解散し、ご神体を受け渡す深夜に再度酒宴を開催します。ご神体をモリマシと呼ばれる役が背負いウケトウの家まで運び、今度はウケトウ側で料理や お酒が出され酒宴が始まり、明け方まで続きます。外が明るくなるとウケトウの頭主は赤米の餅を寺田(ご神田)に埋めに行き、頭受けの終了となります。

 中世から続く赤米行事ですが、継承者不足や、体力はもちろん、時間的にも金銭的にも大きな負担を強いられることから昭和50年代頃から頭仲間の減少が続き、現在この行事を伝えている頭屋は 主藤公敏氏だけとなっています。そのため頭仲間の役は主藤氏の親戚、知人が務め、ハライトウとして送り出したご神体は、ウケトウとして同じ家の本座へ戻ってきま す。このようなことから現在は実際にご神体を背負うところは2年に一度しか行っておらず、今回は見ることは出来ませんでした。

主藤公敏氏ご夫妻

(頭主として赤米行事を伝承している主藤公敏氏と奥様)

 主藤氏は、「先祖代々 受け継がれてきた赤米と行事を後世に残すことが自分の務めだと思い、頭主が自分一人になっても続けている。宮中献穀にも選ばれ天皇陛下にもお会いできた し、国の無形民俗文化財にも指定された。世の中には頭が良い人はいくらでもいるが、私たちの先祖が守ってきたような農業の大切さや米作りの大変さを知り、 なぜこのような行事が続いてきたかを考えてもらいたい」とおっしゃってました。TPP問題でゆれる日本、米離れが叫ばれる日本において考えさせられるお言 葉でした。

対馬特派員 鍵本泰志

豆酘の赤米行事(つつのあかごめぎょうじ)

平成14年 国指定無形民俗文化財

平成25年 宮中献穀(宮中行事の新嘗祭に奉納)

年中行事

四月 籾種おろし

五月 田植え

十月 稲刈り

旧暦十月十七日 お吊り坐し

旧暦十月十八日 初穂米

旧暦十二月三日 斗瓶酒

旧暦十二月十九日 日ノ酒

旧暦十二月二十八日 寺田様の餅すき

旧暦一月二日 初詣り

旧暦一月五日 潮あび

旧暦一月十日 頭受け

旧暦一月十二日 三日祝い

寺田(ご神田)の場所 長崎県対馬市厳原町豆酘(つつ)

アクセス 厳原市内から県道24号を南下、内院方面へ左折せず直進し県道192号をさらに南下する。内山と瀬を通過し左折し再び県道24号を南下。「多久頭魂神社、樫ぼの、赤米」の青い標識を左方向に進むと左手にある。厳原から21km、車で40分。

ご協力 

赤米行事保存会 頭主 主藤公敏氏

対馬市文化財課

参考文献

文化庁国指定文化財等データベース

海神と天神―対馬の風土と神々― 永留久恵 著 白水社

厳原町誌

対馬の赤米神事と年中行事 八坂信久

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