秋晴れの中、海沿いにドライブしていたら偶然、お祭りをしている神社に出くわしました。
聞きなれない「入江神社」という社号を不思議に思い、地元の方々に神社の由来をお聞きすると、遠く広島から分祀された神様だということでした。
今回ドライブの途中、幟(のぼり)が立っているのを見つけた場所は対馬の中央部、浅茅湾に面した豊玉町の水崎地区。
神社の入口から見上げると、ジグザグに登る道が山頂まで続いていて、参拝するにはかなりきつそう・・・
下から見上げた写真だけ撮って帰ろうと思っていると、地元の方から「どっから来たと?厳原から?せっかくやけ(わざわざ来たんだから)、上まで登って神様を拝んで行かんね。」と声を掛けていただきました。
それでも、躊躇していると「上から見る景色は、きれいやけ。最高!」という一言に背中を押され、ハァハァ言いながら登ることに。
頂上からの景色は丁度、逆光で海面がキラキラ光り、浅茅湾を挟んで遠くに美津島町の山並みがシルエットで見え、とてもきれい。きつい思いをして登ってきた甲斐がありました。そしてここの神社の狛犬・・・そのユニークな表情に思わず大爆笑して疲れも吹き飛びました。
ここ、水崎地区は広島県(向洋、長浜、因の島)や山口県の漁業者が、帆船で来て漁期を過ごし(生活は船上)漁期が終わればまた、帰っていく場所だったらしく、広島の漁業者が対馬に来るようになったのは、江戸後期の安芸(広島)藩主、浅野斉賢の娘、嘉代が対馬藩主、宗義和に嫁いだことで、安芸藩から年に2回、音信をもたらす船を出すことにし、その運行に携わったのが向洋の漁民で、大魚が豊富にいる対馬の海を見て、試しに漁をしてみると簡単に釣れたことが広島で広まったと伝わっています。
その後、明治期には土地を購入し定住する人も出てき、日に日に移住者が増え、氏神様が必要となり、大正九年に広島県賀茂郡広村(現在の広島県呉市広地区)の村社、入江神宮神社に移住者の代表を送り、入江神社を奉迎したと記録にあります。
実は、私の先祖も広島県の向洋から対馬へ移住、定住(漁民ではなく、船で商売をしていたと聞いています)しており、今回、偶然出あった入江神社が広島から分祀され、私と同じ広島や山口出身の先祖をもつ方たちが大切に祭っている姿を見て、これもご先祖様のお導きかな?と嬉しくなりました。
名称:入江神社
住所:長崎県対馬市豊玉町嵯峨624番地4
アクセス:厳原町から約44km。車で1時間15分
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