「おー!当ったぁー!」
60m程離れた的に矢が当ると、桟敷席の観衆から嬉しそうな声が上がりました。
今回の島のお祭りは、江戸時代から続く神事で、大漁豊作、商売繁盛、無病息災などを祈願して弓を射る百手祭りをご紹介します。
「おー!当ったぁー!」
60m程離れた的に矢が当ると、桟敷席の観衆から嬉しそうな声が上がりました。
今回の島のお祭りは、江戸時代から続く神事で、大漁豊作、商売繁盛、無病息災などを祈願して弓を射る百手祭りをご紹介します。
今回の島のお祭りは、亀の甲羅を焼いて天下国家の吉凶を占う亀卜(きぼく)神事を紹介します。
この占いは弥生時代頃から行われている古いもので、中国から朝鮮半島を経由して対馬に伝わったといわれています。
恵比須さまといえば商売繁盛を祈願することで有名ですが、もともとは漁業の神様で対馬の漁村にはたいていお祭りしてあります。
ここ対馬の高浜漁港でも新春恒例の十日恵比須、豊漁祈願祭が執り行われました。
国書交換の儀(第五回朝鮮通信使・正史の子孫、尹星鎭(ユンソンジン)氏)
対馬で最大のお祭りといえば、毎年8月に行われる厳原港まつり・対馬アリラン祭です。今回はその中の朝鮮通信使行列にスポットをあてご紹介いたします。
今から700年以上前の鎌倉中期、二度にわたる元寇(蒙古襲来)で対馬は惨状を極めました。文永11年(1274年)10月5日、軍船9百、兵3万の蒙古・高麗の連合軍に対し、対馬守護代、宗助国(そうすけくに)は親兵80余騎を従え、勇猛果敢にこれを迎え討ちました。
10月6日午前4時に始まった戦は、午前9時には全員討ち死にしたと伝えられており、宗助国の墓は、下原にお首塚、樫根にお胴塚と別々にあり、戦の壮絶さを物語っています。ときに助国、68歳の老将であったということです。
対馬では昔から旧暦6月の午の日に「初午祭」という祭事が行われていました。これは2~3歳の男児を馬に乗せ健やかな成長を願うことと五穀豊穣を祈るもので、そのときの余興として各家庭で飼育されていた対州馬を競わせる競馬「馬跳ばせ」も各地で行われていました。